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トイストーリー4について「ヴィラン」と「カーズ」をヒントに考えてみた:オモチャの幸せ・生きる意義

はじめに

この記事では私がふせったーでツイートした妄想ツイートについて詳しく補足説明します。

この記事では、「ウッディ」、「ボー」、「ギャビーギャビー」の三者が置かれた状況から、基本的に三者の関係性のみで展開を推測するため「バズ」や「フォーキー」たちには焦点を置いていません。

1)三者について現時点で判明していることを整理した上で、

2)これまで「トイストーリーシリーズ」で描かれた「幸せ」と「ヴィラン

3)ウッディとボーがそれぞれ考える「オモチャの生きる意義」について整理しつつ、

4)カーズシリーズで描かれた「障がい」と「世代交代」をヒントにしながら

トイストーリー4における「ヴィラン」の扱い方、ひいては「ウッディ」と「ギャビーギャビー」の迎える結末について予想します。

 

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なお、私が参照しているのは、すでに各種メディアで公開されているキャストや制作関係者インタビュー、予告編の映像のみで、いわゆる「Spoilers:ネタバレ」的なものは読んでいません。しかし、実際の展開と本当にかぶる部分が出てくる可能性も否めないのでネタバレに全く触れたくない方にはこれ以上スクロールすることはオススメできません。

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1)ウッディ、ボー、ギャビーギャビーについて現時点で判明していること

 

ikyosuke.hatenablog.com

 

ウッディ

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アンディのおもちゃ、特に「お気に入り」で「(オモチャ視点では)リーダー」としての役割を果たし、第二の人生としてボニーのおもちゃとして生きることを選択したが、ボニーの部屋の秩序においては、ウッディはもはやリーダーシップを取ることは求められていない。

それでもウッディはボニーをアンディとして見てしまいアンディのように振舞って欲しいと思っていたり、またボニーの部屋でもみんなをリードしようとするため、ボニーのおもちゃたちのリーダー的存在であるドーリーに煙たがられている。

 

ボー

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もともとアンディの妹の所有していたランプの傍らの置き人形だったが、モリーはアンディほどおもちゃに対する愛着はなく、成長するとすぐにボーを手放してしまう。

ボーは同じ持ち主の元に永遠にいることはできないことを悟り、納得した上でアンディの家を去ることを受け入れる。

「助け」にきたウッディに対し、一緒に次の持ち主の元へ行くことを提案するも、すぐにアンディが探しにきてしまったため、ウッディは十分に考えて選択する間も無くボーは連れて行かれ、アンディの元に残ることになる。

ボーは、その後手荒に扱われたりした上で、アンティークショップに売られることになるが、数年棚の上で放置された後に、自ら外の世界へ飛び出すことを選択する。

持ち主のそばにいるというおもちゃとしての役割ではなく、特定の持ち主のものにならず、自由な身として生きながら、持ち主を失ったおもちゃたち(Lost Toys)をなぐさめたり彼らに自由な身としての生きがいを伝える場を作っている。

 

ギャビーギャビー

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ウッディとほぼ同時期(1950年代)に作られたプルストリング(紐を引っ張ると喋る)のトーキング人形。

音声ボックスが壊れていて怖い声しか出ないため、子どもに遊んでもらえず、

60年間もの間アンティークショップの棚の上で忘れられ埃をかぶっている。

自分を直すことにできる音声ボックスを手に入れられれば、自分も誰かに欲しがってもらえて、遊んでもらえるチャンスが来ると信じており、ウッディの音声ボックスを狙う。

 

 

2)誰かの持ち物として愛されること=「幸せ」:でも本当にそのカタチだけ?

これまで描かれてきた「幸せ」について考えるために、トイストーリーシリーズに登場するオモチャのヴィランを二人取り上げる。

 

プロスペクター:スティンキー・ピート

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2作目のプロスペクターは、ギャビーギャビーと非常に近い境遇である。
彼は、ウッディたちと同じシリーズで発売されるも売れ残り、ディスカウントされても売れ残り続け、子どもに遊ばれることはなく、箱に入ったまま。さらに、コレクターズアイテムとしてもウッディやジェシーと揃わないと価値がないほどに扱われ、博物館で「永遠の命」を得ることだけに希望を見出していた。
気に入られて購入されることがなかったという経験から、子どもの持ち物になるなんてきっと良いことであるはずない、という思考になるのか、鼻から愛されることを諦めており、特定の持ち主に遊んでもらっても最終的には飽きられ捨てられるだろうという視点を持つ。

 

ロッツォ・ハグベア

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3作目のロッツォは、デイジーのお気に入りだったにもかかわらず、置き去りにされた後、新しい別個体のロッツォで置き換えられてしまったため、いずれ持ち主に飽きられたり、置き去りにされるし、置き換え可能であり、おもちゃは本質的に「ゴミ(trash)」であると考えている。そのため毎年新しい子どもたちが入ってくるデイケアというオモチャにとっての天国で「永遠の命」を得ることに希望を見出し、階級を作り出し低い階級のおもちゃに幼児の相手をさせることで、自分が幼児に破壊されないようにしつつも、子どもたちを相手するオモチャがいなくならないような仕組みを作り、デイケアを恐怖で支配していた。

 

この二人のヴィランは、それぞれ本人が望んでいるかは別として、何らかの形で持ち主の元へ届けられてきた。
陰謀が失敗したプロスペクターは、強制的に初めての持ち主の元へ届けられる。

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ロッツォも、最終的には偶発的に拾われ、子どもではないものの、その人なりに大切にしてくれる、愛着を持ってくれる持ち主に出会うことができた。

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このように、プロスペクターもロッツォも、「新しい持ち主の元へ届けられる」という描かれ方をされることで、「消されるヴィラン」よりはある程度「救済措置」が加えられていた。
しかしこれまでのシリーズでは、それが彼らにとって「幸せ」につながったかどうかは描かれなかった。

その点、飽きられ手放された後、「新しい持ち主の元での幸せな生活を送る」というモデルは、ジェシーを通して描かれてきた。

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そして3作目ではウッディ自身が自分の判断で、アンディからさらに次の持ち主の元へオモチャみんなで行くことを選択する。

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つまるところこれまでは、「すべてのオモチャにとって幸せ」=「誰かの持ち物になって寄り添い、愛され続けること」とされ、ヴィランだろうとなんだろうと、基本的にこの幸せが何らかの形で与えられてきたことになっていた。

 

そこに疑問を投げかけるのがボーである。

4作目の冒頭では、どうやらボーがあまりオモチャに愛着のないアンディの妹によって手放されるシーンがフラッシュバックとして描かれるようだが、ボーはこれまでの全てのオモチャたちと異なり、飽きられること、手放されることを恐怖だと感じていないようだ。むしろそれは当たり前のこととして受け入れているようである。

いずれ飽きられるなら、自分から外の世界に出て、持ち主がいることを前提としない自由な個人としての人生を謳歌するという選択さえ取っていることが明らかになる。

 

ikyosuke.hatenablog.com

 

 

 

3)ウッディとボーがそれぞれ考える「オモチャの生きる意義」

ここでオモチャたち、特にウッディが考えていたオモチャの生きる意義とボーのそれとを対比してみる。

 

ウッディが考えるオモチャの生きる意義(「ウッディ的幸せ」とする)

「ひとりの子どもの持ち物として所有され、その子のために必ずそばにいてあげて、尽くすこと」

ボーが考えるオモチャの生きる意義(「ボー的幸せ」とする)

「子どもは毎日オモチャをなくす、手放す。誰かの持ち物として尽くすのではなく、ひとりの自由な個人として人生を謳歌する」

→だからボーは、アンティークショップで埃をかぶっているのではなく、自ら外の世界へ飛び出した。

 

ヴィランは「ウッディ的幸せ」に囚われている

この2つを対比するとこれまでのヴィランもその考え方にある種囚われていることが浮かび上がる。

プロスペクターは、持ち主が出来て愛される希望が見出せなかったために、「永遠の命」を得ることを望んだ。

ロッツォは、持ち主に取り替えられる恐怖を味わったために、「永遠の命」を得ることを望んだ。

逆に言えば2人とも本当は子どもに愛されたかった、誰かに所有されてそばにいたいという、ウッディ的な幸せを求めていた、と考えられる。

その点でボーの生き方は、これまでのトイストーリーではほぼ全く持ち出されなかった新しいものなのである。

では、ギャビーギャビーはこの2つの考え方のどちらに当てはまるだろうか。

 

 

4)ギャビーギャビーの「生きづらさ」と「恵まれていた」ウッディ

製造時の不良で音声ボックスに欠陥があり可愛い声が出ないために、子どもに欲しがられない、愛されないと思っており、その不良品の音声ボックスさえ取り替えられれば自分は誰かに必要とされ遊んでもらえると思っている。その音声ボックスが手に入るまでアンティークショップから出ることなく待ち続けること60年。

同じアンティークショップで売られながらも、自ら外の世界へ飛び出し自由な個人として生きることを選んだボーとは、非常に対照的である。

ギャビーギャビーは先ほどの二つで言えば、「ウッディ的幸せ」を理想としていて自ら外へ踏み出すことはない。なぜならそれは彼女が誰かに気に入られる、選んでもらえるはずがないと思っているからだろう。この点はプロスペクターがずっと箱の中にいたのと近しい。

プロスペクターとの最大の違いは、ギャビーギャビーが愛されない、持ち主に手にしてもらえない、遊んでもらえない理由が、製造時からの欠陥にあること、少なくとも本人がそう考えていることだ。

この「生まれながら」に声が「正常に」出ないという設定は、先天的な「障がい」と見ることもできそうだ。

ウッディは、「正常に機能」し(「健常」)、子どもからものすごく愛され、大事にされてきた。さらにプレミア人形としてのものすごい価値もありながら(特権)、オモチャとしてひとりの子どものそばにいることを選び、さらに2人目の子どもの元へと渡った。加えて、オモチャたちのなかでも「リーダー」として信頼されている。

ギャビーギャビーからすれば、「羨ましい」のひと言では済まないほどに「恵まれて」いる。

 

 

5)「カーズ」シリーズが積み残したこと:「障がい」と「本当の引退」

ここで一度視点を大きくしてみる。

「障がい」について取り扱ったピクサー作品というとファインディング・ドリーが挙げられそうだが、今回私はむしろカーズ2を想起した。

一作目がジョン・ラセター監督作品であるという共通点を持つ、カーズシリーズを引き合いに出しながらトイストーリーシリーズ最新作のヒントを探ってみる。

 

カーズ2のヴィラン:欠陥車「Lemons(吹替:ペッパーたち)」

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カーズシリーズの2作目では、欠陥を抱えた不良品の車たち「Lemons(吹替:ペッパーたち)」(「障がい」を持った人たち)を、世間から必要とされず、ずさんな扱いを受けた結果ひねくれ陰謀をもって世界を脅かす「悪の組織」として描き、最終的に救済せずに「倒して」しまった。

 

※カーズ2において一面的なヴィランズに追いやり救済措置がなかったことが指摘されたことを受けてそれがある程度妥当とも見られる背景を説明したクルマに詳しい方のブログがあったので貼っておきます。

ameblo.jp

私の論調ではこの逆になってるように見えますがそれはあくまで彼らを「障がい」を抱える人のメタファーとしてみるという視点を置いているからであることは断っておきます。

 

カーズ3の「世代交代」:マックィーンの人生の選択

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3作目では、マックィーンがレーサーとしての老いを感じ、自分に残されたほぼ最後のチャンスを、放っておいたら回ってこない「新たな世代の『女性』アスリートのタマゴにチャンスを渡す」という機会にすることを選択し、訓練の過程で伝えたノウハウで彼女を優勝に導いた。(女性であることでチャンスが回ってきにくいことは、クルーズやルイーズの口を通して映画の中でも言及されており、過度にジェンダーを騒ぎ立てているつもりはない。)

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しかしその優勝は、「2人のもの」とされマックィーンは、ピストンカップでの出場ナンバーこそ譲ったものの、本人の口では「レースをやめる訳ではない」と言う。
第二の人生としてコーチ、クルーチーフという生き方を選択しながらも、勝てなくともレースはするというどっちも選んだ形にも見える。
老いてはいるので勝つことはできないかもしれないが走るための何か(例えばエンジンなど)を完全に失ったわけではない。

 

6)ギャビーギャビーは「ヴィラン」で終わるか、「新たなる希望」となるか

カーズの積み残しとして先にあげたのは二つ。

  1. 「欠陥」(「障がい」)をもって生まれた人たち(車たち)を、周縁に追いやられた結果「悪事」に走った「悪者」と描いてしまったこと。
  2. 世代交代と言えど、1つしかなかった生きる意義(レース)を2つ(レースとコーチング)にすることで、新しい生き方を見つけたようだが、結局1つ目の生きる意義を完全に捨てていない。
    (逆に言えば、もっとシビアな、取り返しのつかない世代交代、すなわちはじめに持っていた生きる意義を完全に失うという結末を描き得るということ。)

加えて

  1.  ディズニー作品の大きなトレンドとしてある視点からは「ヴィラン」とされていた(されかねない)人も視点を変えることで相対化されるという流れ(「マレフィセント」のマレフィセント、「アナと雪の女王」のエルサなど)
  2. そもそも「ヴィラン」的に振舞っていたのは、ある状況にあったからで誰かの行動で状況が変わればその人ももはや「ヴィラン」ではなくなり、固定的な「ヴィラン」など存在しないという流れ(「モアナ」のテフィティ/テカー、「シュガー・ラッシュ:オンライン」のラルフなど)

という大きな流れを考慮すると、トイストーリー4では「欠陥」が理由で愛されない(と思っている)ギャビーギャビーが、自分の人生逆転のためにウッディの音声ボックスを一方的に奪おうとする「ヴィラン」として、一面的に描かれることはまず無いと言ってよいだろう。ではどうなるか。

 

起こり得るギャビーギャビーの結末

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まず大きく分けて2つ

A) 持ち主が見つかるパターン(ウッディ的幸せ)

B) 持ち主には見つからないけど自由な個人として外の世界へ出て生きる(ボー的幸せ)

そして両者の中でも欠陥の処理の仕方が何パターンかありそうだ

  • A-1) 欠陥を持ちながらも愛してくれる持ち主が見つかる
  • A-2) 欠陥を直すことで愛してくれる持ち主が見つかる
  • B-1) 欠陥を持ちながらも愛してくれる持ち主を見つけに自分から外の世界へ出て行
  • B-2) 欠陥を直すことで愛してくれる持ち主を見つけに自分から外の世界へ出て行く

ウッディの選択=ギャビーギャビーの未来

ここで重要なのは、欠陥を直すことができるのはおそらくウッディの音声ボックスと交換することしか選択肢がなさそうだということ。
なぜなら50年代のプルストリング人形でウッディほどにコンディションが良いものはないと2作目でアルも言っているし、使えるものがあったとしたらギャビーギャビーがこの60年間のうちにアンティークショップで見つけてすでに交換していると思われるからだ。
つまりギャビーギャビーの結末がどうなるかはウッディの結末がどうなるかと背中合わせというわけだ。

あるいはギャビーギャビーの考え方が変わることで、もともと憧れていた「ウッディ的幸せ」を手に入れることを諦め、「ボー的幸せ」を目指すマインドになる可能性もある。

しかし、トイストーリーという話がウッディの物語であることを考えると、ウッディがマックィーンのように、これまでどれだけその人が頑張ってもチャンスが回ってこなかった人にチャンスを渡すという展開も大いにあり得る。

仮にウッディがギャビーギャビーに音声ボックスを譲るなら、それはマックィーンがクルーズに渡した「ゼッケン番号」ではなく、エンジンそのものであるとも言える。
とはいえ、機能する音声ボックスを失うことは、すなわち「死」ではない。人間が心臓を失うのとは意味が異なる。

まず、トイストーリーのおもちゃたちは、人間に聞こえる「トーキング人形としての声」と「オモチャ達同士で会話するための声」の2つの「声」を持っている。

仮に音声ボックスを失うなら、このうち前者を失うことになる。それはすなわち遊べるオモチャとしての価値が限りなくゼロに近づくことを意味する。もちろん腹話術的に声を当てることで遊ぶことはできるだろうが。

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ちなみにギャビーギャビーの取り巻きが腹話術人形のベンソンらであることは、この「声を失う」ことを意識させる設定であると考えられる。また、ウッディがもともと腹話術人形として企画されていたにも関わらず、それをわざわざトーキングのプルストリング人形にしたという過程をふまえると、ウッディが「声」を持っていたことが重要だったということも浮かび上がってくる気がする。

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六本木ヒルズで開催中「ピクサーのひみつ展」展示より

つまり、ウッディがギャビーギャビーに音声ボックスを譲るということは、「遊んでもらえるオモチャ」として生きるチャンスを譲ることであり、それは同時にウッディが「ボー的幸せ」を受け入れて、持ち主の元にいることではなくボーのように自由な個人としての残りの人生を送ることを選択することである。

 

しかし一方で、安直にギャビーギャビーが「音声ボックスを変えたから」という理由で子どもに欲しがられ、遊ばれるようになる、という展開にしてしまうことにはリスクもある。
それは、「障がい」や「欠陥」「機能不全」とみなされているものを「直す(治す)」ことで全てが解決する、という風に描くことになってしまうからである。
また、そのような「機能不全」は果たして必ずしも「直す(治す)」必要があるものなのだろうか。それを直す(治す)(=「正す」)ことよりも、重要なことはそれぞれの個々のあり方を受容するマインドセットや、巡り合いの方かもしれない。
となると、先ほど私があげた展開可能性としての4つの候補はどれもありえなくはなさそうである。

ウッディの成長と、ヴィランズ化しない描き方、おもちゃたちにとっての幸せのあり方の多様さ、を踏まえてピクサーのストーリーチームがどのような未来をギャビーギャビーとウッディに与えるのか、楽しみで眠れなくなってくる。

 

おわりに

あくまで今出ている情報からの妄想であり、かなり私の希望のような部分を入れながらメモ的につらつら書きました。
果たして実際の映画ではどうなっているか、公開を楽しみに待ちたいと思います!

I "WAS" MOANA:モアナのプリンセス正式加盟を考える メリダ先輩、アナ雪姉妹の遺したもの

「モアナ、プリンセス否認やめるってよ?」

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2019年5月8日午後、Twitterのフォロワーさんが、少し前の私のツイートに対するリプライで、モアナがどうやら正式にプリンセスになるらしい、という情報を教えてくださいました。

今回の情報は9月に新しく出るプリンセスの情報まとめ本「Disney Princess The Essential Guide, New Edition」のamazonの商品紹介ページから発覚しました。

 

(2019/09/05追記:2019年8月中にアメリカの公式サイトにもモアナが追加され正式にプリンセスになりました。しかし大々的な告知や従来のプリンセスのような「戴冠式」イベント(後述)は行われず、密かに追加されました。)

 

まず表紙のセンターにモアナが描かれ左右にはアクティヴプリンセスの代表であるベルとジャスミンが並んでいます。

商品説明の文章にもモアナが追加されたことが記載されています。

 

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(翻訳は筆者による)

DK's updated Disney Princess: The Essential Guideis the ultimate companion to Disney's much-loved Princess movies, now featuring Merida from Brave and the latest princess to be officially inaugurated: Moana.

DK(出版社の名前)のアップデートされた「ディズニープリンセス:エッセンシャルガイド」:ディズニーのとっても愛されているプリンセス映画への究極の手引書は、今やBrave(メリダとおそろしの森)のメリダ、そして最新のプリンセスとして正式に就任するモアナをフィーチャーしています。

Enter the magical worlds of Snow White, Cinderella, Sleeping Beauty, Ariel, Belle, Jasmine, Pocahontas, Mulan, Tiana, Rapunzel, Merida, and Moana and find out everything you ever wanted to know about the lives, loyal friends, and fiercest enemies of your favorite Disney Princesses.

白雪姫、シンデレラ、眠れる森の美女、アリエル、ベル、ジャスミンポカホンタス、ムーラン、ティアナ、ラプンツェルメリダ、そしてモアナの魅力的な世界へ足を踏み入れ、その生活や、忠実な友達、そして凶暴な敵対者たちについて、あなたがずっと知りたかった色々なことを発見してください。

With stunning artwork, readers will be transported to enchanted royal kingdoms with this irresistible book.

とても美しいアートワークに導かれ、読者は魔法にかけられた王国へこの魅力的な本とともに連れて行かれるでしょう。

 

「モアナってプリンセスじゃなかったの?」

ここまで読んで、「モアナってむしろプリンセスじゃなかったの?」と思われる方も多いのではないかと思います。

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というのも、シュガー・ラッシュ:オンラインでもプリンセスたちのシーンに登場していましたし、ウォルト・ディズニー・ジャパンの運営するディズニープリンセスの公式サイトをみてもプリンセスの一覧の中にモアナが掲載されているからです。

この辺り、一体どうなっているのかについて今回書こうと思ったのですが、色々と前提を紹介しないと伝わりづらい部分があるなと思ったので、段階を追って説明しようと思います。

知っている方は適当に読み飛ばしてください笑

 

 

そもそも「ディズニー・プリンセス」って?

もともと今「ディズニー・プリンセス」と呼ばれているキャラクター例えば、白雪姫やシンデレラなどは「ディズニー・プリンセス」というくくりで存在したわけではなく、ディズニーの長編アニメーション作品のうちの一つに登場する一人のキャラクターとして存在していました。

しかし、初期の3人(白雪姫、シンデレラ、オーロラ)に加え、1980年代以降のいわゆる「ディズニー・ルネサンス期」にアリエル、ベル、ジャスミンポカホンタス、ムーランなどのプリンセスが続々と登場したことを受けて、

2005年に、ディズニーストアやパーク(ディズニーランドなど)で商品展開やイベント、キャンペーンを行うにあたって、ひとまとめにしてビジネス展開するために、上記8人にティンカーベルを加えて、全9人で「ディズニー・プリンセス」という名でフランチャイズとしてまとめられました。

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正式に追加されるには「戴冠式」が必要!

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その後、「プリンセス作品」が出るたびに映画公開の一年後を目安にプリンセスへの追加というのが公式にアナウンスされて、そのフランチャイズに続々とプリンセスが増えていくことになりました。

最初に加わったのは2009年全米公開の「The Princess and the Frog(プリンセスと魔法のキス)」のティアナ。ティアナは、「ディズニー・フェアリーズ」フランチャイズ(2005年~)に移籍することになったティンカーベルと入れ替わりに、新しい9人目のプリンセスとなり、2010年3月14日、ニューヨークで「戴冠式」が行われました。

続いて、10人目は2010年に公開された「Tangled(塔の上のラプンツェル)」のラプンツェルが2011年10月2日にロンドンで、11人目はピクサーキャラクターとして初めて「ディズニー・プリンセス」となった2012年公開「Brave(メリダとおそろしの森)」のメリダが2013年5月11日にフロリダのディズニーワールドで、それぞれ戴冠式を経て正式なメンバーとして追加されました。

アイドルではありませんが、このように「ディズニー・プリンセス」は実は映画が公開されただけではなく、正式に追加されて戴冠式を経ないと入れないハードルの高いグループなのです。

 

アナとエルサはプリンセスじゃないの? 意外とドライなビジネス関係

ちなみに、メリダの次に登場した「プリンセスらしきキャラ」は2012年公開の「Wreck-It Ralph(シュガーラッシュ)」のヴェネロペ・ヴォン・シュウィーツや、2013年公開の「Frozen(アナと雪の女王)」のアナとエルサですが、ヴァネロペはプリンセス設定ではあるもののゲームキャラであるせいか、またFrozen姉妹については、「Frozen」フランチャイズで十分に独自で商品展開できるだけのブランド力と売り上げがあるからというビジネス的な理由で、2019年の続編公開を半年前にした現時点でもいまだに「ディズニー・プリンセス」フランチャイズには正式追加されていません。

平たく言うと、Frozen姉妹は独自経営で十分儲かるから、ディズニープリンセスに加盟しなくても自立してやっていけてしまうという笑

アレンデール王国自体も貿易で潤っている国でしたが、リアルな世界でも潤っているのですね。

このように、非常にドライな理由で「ディズニー・プリンセスである/でない」という所属可否が決まっていることがお分かりいただけると思います。

 

プリンセス、グループ編成年表

ここで一度、これまでのグループ編成の流れ(アイドルかよ)を簡単に年表でまとめると次のようになります。

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「I’m not a princess」:2016年、ベルとモアナのプリンセス否認

さて、問題のモアナ。

映画が公開されたのは2016年ですが、これまでの傾向からいうとその翌年には戴冠式が行われて正式に追加されるという手続きが行われいたはずだったので、モアナはFrozen以降の流れを受けて、「ディズニー・プリンセス」にはならないのではないかと、少なくとも私は推察していました。

というのも、モアナは映画の中で自分のことを「チーフの娘である」と言う一方、マウイが一族の娘で動物の相棒もいるんだしプリンセスじゃないか、というメタ的な揶揄りを入れるとモアナは「OK, first I am not a princess」とプリンセスではないことをはっきりと発言します。

この「I am not a princess」 というセリフは、モアナと同年に公開された実写映画「美女と野獣」でもエマ・ワトソン演じるベルが、自分のことをプリンセスと呼ぶマダ・ド・ガルドローブに対してそっくりそのまま言います。

ベルについては、いまやディズニープリンセスの代表的な一人という位置づけが確立していますが、実際のところ生まれはシンデレラと同じようにロイヤルではない家庭に生まれていますので、文字通りプリンセスではないわけです。

しかし、これらは映画自体が「プリンセス映画」として観客にみられていることを踏まえた上で、物語というフレームの中の登場人物たちがわざわざ一歩外側の視点(=観客と同じフレーム)に立って揶揄ったり、否認したりしている、いわゆる「メタ的なネタ」と言えます。

少なくともモアナの下りについては、「一族の娘で動物の相棒がいる」のを「プリンセス」とみているのは舞台となっている時代のポリネシアンの登場人物の視点ではなく、あきらかに現代の観客である私たちの視点を写したものであると考えられるからです。

 

この「プリンセス否認」は昨今「流行り」のメタ的なネタということにとどまらず、これまで長らく問題視されてきた「ディズニー・プリンセス」に対するジェンダーの観点を踏まえた、これからの子どもたちに向けた新しい認識形成について意識していることが考えられます。

 

子ども「モアナはプリンセスじゃない」:プリンセスの与える影響をみた学問研究

実はこのモアナの「I’m not a princess」に関連して、子どもたちがモアナをどう認識しているかについて明らかにするための学問的な研究がなされています。ここでは具体的に、Hineらが2018年に行なった研究について紹介したいと思います。

この研究では、複数の子どもたちを対象に「Sleeping Beauty(眠れる森の美女)」と「Moana(モアナと伝説の海)」を視聴してもらい、その前後でインタビュー調査をするという形式で、3つの問いを立ててそれを明らかにするための考察がなされています。

第1の問い:子どもたちが、その二つの映画の間における「伝統的な(traditional)」と「現代的な(modern)」のジェンダー役割描写の「進歩(progression)」に気づくか?

▶︎考察1:全体として、結果によると子どもたちはより中性的でバランスのとれたジェンダー像をモアナに、よりフェミニンな(古典的な女性性をベースとした)ジェンダー像をオーロラに位置付け(identify)した。

 

第2の問い:進歩に気づくかどうかという発見は、子どもたちの中のより広いプリンセスの概念化において影響するのか?

▶︎考察2:映画を鑑賞する前後という条件を変えた調査をしても、参加した子どもたちにおけるプリンセスの概念化に関して、大きな違いは見られなかった。

 

第3の問い:子どもたちは、現代的なディズニープリンセスについて、彼女らのかつてよりもバランスのとれたジェンダー役割描写について「プリンセス」として認識するのか?

▶︎考察3:子どもたちは、具体的なヴィジュアルのヒント(ここではドレスを着ているかどうかなど)を、そのキャラクターが「プリンセスかどうか」の判断をする際に用いている可能性が高く、また、この研究に参加した子どもたちはモアナをプリンセスとして位置付け(identify)しなかった。おそらく彼女が(子どもたちの期待する)ヴィジュアル的なヒント(ドレス)の条件を満たさなかったからだろう。

さらに、モアナが「OK, first, I am not a princess」というプリンセス否認をした点に大方同意しているようで、「モアナはプリンセスか?(Is she a princess?)」という質問に対しては「いいえ(No)」と回答した率が最も高かったことは特筆すべき。

 

上記に加えて、この研究における考察の部分で注目すべき点は、以下にまとめられそうです。

 

  •  子どもたちが、プリンセスというジャンルとしてではなく、キャラクター個別でみている可能性が示唆される。
  • モアナのような新しい表象が子どもたちの認識を変えることができるとしても、ディズニー作品の場合は今でも古い作品に触れることができるため認識を変えていくには不十分である可能性がある。
  • プリンセスという概念は、モアナのような(より進んだ)表象が登場しても、プリンセスとして子どもたちに認識されないかもしれないため、実は影響がないかもしれない。
  • 一方で、子どもたちは、(かつてのステレオタイプ的なジェンダーから脱した)新しい表象について気付いているため、それらのモデルに触れることで、女性の役割についてよりポジティヴな解釈がされることが見込まれる。

つまり、この研究を参考にすれば、子どもたちはプリンセスたちを「ディズニー・プリンセス」というカテゴリーとしてというより個別で見ている可能性があり、モアナのようなプリンセスがオーロラたちのような「古い」ジェンダー表象とは違っていることについては認識しているようであるということは言えそうであるということになります。

一方で、プリンセスとしての認識を多様化するにはモアナ(のようなキャラクター)もプリンセスのカテゴリーで見てもらわないと、カテゴリー自体の認識をアップデートすることには繋がらない、とまとめている点は非常に興味深い。

なぜなら今回ディズニーは、それがビジネス的な理由であったにせよ、わざわざ自らプリンセス否認させたモアナを「正式なディズニー・プリンセス」として再カテゴライズすることを決めたのだから。

 

 

プリンセスカテゴリーアップデートはかねてより望まれていた:多様化と「メリダ署名運動」の意義

カテゴリーとしてのプリンセスの概念を多様化する試みは長らく行われてきました。

というのも、ディズニープリンセスたちが2000年以降のフランチャイズとしての「ディズニー・プリンセス」になる以前から、「受動的で(性的にも)対象化された存在」としてのアイコンとして、クラシックプリンセスの3人は長らく批判の対象となってきたからです。

89年のアリエル以降のプリンセスはまさに、80年代のフェミニズムの波を受けてそれに対するディズニー側からのアンサーとして出てきた時代適応型のプリンセスといっても過言ではありません。

 

【1】フェミニズム対応型プリンセス:アリエルとベル

実際、彼女らの最初登場したアリエル(1989)は、「海の中(under the sea)」での生活に満足できず、「上の世界(upabove)」へいくために「声(voice)」を失うことを引き換えにしてでも自分の「feet(足)」を手に入れて「立ち上がり(stand)」「歩き(walk)」「走る(run)」ことを夢見るというのは非常に巧妙なメタファーであることは何度も論じられてきている。(主にPart of Your Worldの歌詞より)

 

【2】エスニシティ多様化路線:ジャスミンポカホンタス、ムーラン、ティアナ

しかしそれでも王子様と結ばれて幸せにいつまでも暮らす(happily ever after)的展開は温存され、元からロイヤルだったアリエル、本人が初めから望んでなかったとは言え「シンデレラストーリー」を実現した庶民出身のベル(1991)はどちらも「ホワイト」であった。

物語の構造的にも、性の位置付け的にも、幸せのあり方としても、エスニシティの面でも変わってはいない。

続いて出てきたジャスミン(1992)は「Prize to be won(勝ち取られる賞品)」ではないと言いつつも、身分は低い男であっても結局はイケメンと結婚する結末を迎える。またペルシア系というファジーエスニシティを与えられホワイトから脱したようにも見えるが声優は変わらずホワイト系であった。

その後は、ネイティヴアメリカンの伝承をベースにしたポカホンタス(1995)、中国の古典を原案としたムーラン(1998)など、アメリカにおけるエスニシティの多様性*を意識していることが露骨にわかるプリンセス展開がなされていった。(*アジア系アメリカ人は、現在のアメリカにおいても割合こそ低いが「増加率」は最も高い)

アメリカのニューオーリンズを舞台に登場したティアナが2009年に初のアフリカンアメリカンのプリンセスとなり、ここで「エスニシティ多様化路線」は一旦幕を閉じる。

 

【3】実は「ディズニー・プリンセス」に加わる予定だったおとぎ話を相対化したジゼル

ティアナの2年前に登場した「Enchanted(魔法にかけられて)」のジゼルは、これまでディズニーが描いてきたプリンセス像をセルフパロディ化して揶揄りながら、フェアリーテイルの世界=おとぎ話の国(アンダレーシア)と現実世界(ニューヨーク)を「相対化(どちらにも優劣つけない「みんなちがってみんないい」的な)」し、現実世界で夢を掴むことを目指すエンディングを迎えた点で非常に画期的であった。

このこともあったのかディズニー側は「ディズニー・プリンセス」フランチャイズにジゼルを加えようとしていたようだが、実写とアニメのハイブリッド映画であったため女優のエイミー・アダムズの版権料を彼女が死ぬまで支払い続けることはコストがかかりすぎるという判断から、追加を諦めたらしいという逸話が残っている。

 

【4】総集編を結局古典的にCGでまとめたラプンツェル

ピクサーアニメーションスタジオ買収の後、ジョン・ラセター監督を迎えた新体制が落ち着き、初のCGアニメーションプリンセスとして登場したラプンツェル(2010)は、毒々しく美と若さに執着する血縁のない母親に育てられ、外の世界に憧れ、泥棒をしている男と対等に取引しながら自分の夢を叶えつつ、恋に落ち、自分が実はロイヤル=プリンセスであったことに気づき、魔法を解くことで危機を脱して、冒険を共にした男性と結ばれるという終わり方をしており、これまでのプリンセスの「総集編」的な構成になっている。

 

【5】となりのスタジオから来た「外様」プリンセス:「ゲームチェンジャー・メリダ

これまで、①ジェンダー像、②エスニシティを多様化させるという点で、プリンセスカテゴリー内での表象を多様化してきたディズニーに対し、別スタジオであるピクサーサイドから登場したプリンセスがあらゆる点で「プリンセス」概念から逸脱しており、これまでのお約束をひっくり返した。

まさにゲームチェンジャーであった。そしてそれはプリンセスという伝統がほとんどない(正確には「バグズライフ(1998)」のアッタ姫がいるが)「外様」であったからこそ可能だったことも予想される。

メリダが画期的だったのは、

  • ロマンスに憧れておらず、恋愛や結婚への願望はない
  • これまで多くの場合、いつの間にか死んだり、限りなく影が薄かった「母親」と向き合うことになる
  • 悪役としての魔女がでてこないどころか、魔法も使いこなせないダメ魔女しかでてこない
  • 魔女は魔法に責任を取らず、魔法のような解決方法はなく
  • 恋愛対象どころか、助けてくれる男性も登場せず
  • 自分で向き合って解決せざるを得ない状況に追い込まれる

というこれらの点が挙げられる。

 

メリダ署名運動」の意義

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このようなプリンセスが特に娘を持つ親たちから望まれていた、期待されていたことがよくわかるのが、「Say No to the Merida Makeover, Keep Our Hero Brave!」キャンペーン、いわゆる「メリダ署名運動」だ。

ここでは、メリダが2013年にピクサーキャラクターとして初のディズニープリンセスに加わることが決まった時、他のプリンセスの作画に合わせ、ディズニーサイドが用意した、新しいメリダの作画が、目をより大きくし、ドレスはキラキラになり、大事にしていた弓を持たず、スタイルもより腰のあたりが細くなった、よりセクシーなデザインに変更されていたことについて、ピクサー側のブレンダ・チャプマン監督も中心となった異議申し立てが行われ、 change.org というウェブサイトでオンライン署名が集められ、主にジェンダー的な視点からこのムーヴメントが非常に大きな波となり、ディズニー側は作画変更を取り下げ、新たな作画を用意するという対応をした。

この一連の騒動で私が重要だと考える点は、メリダを「ディズニー・プリンセス」に加えることへの反対よりも、加えるにあたって作画がよりフェミニンになったことへの反対が大きかったという点である。

つまり、従来の「プリンセスのステレオタイプ的なイメージ」に当てはまらないメリダのようなプリンセスを「ディズニー・プリンセス」に加えることで、「プリンセス」というカテゴリーのイメージを多様化させることについては賛成している人が多かった可能性があるということです。

言い換えれば、「枠に当てはまらない」プリンセスが「ディズニープリンセス」の一員になることに、「女の子」のロールモデルとしてのプリンセスのあり方における多様性を担保するという点で非常に重要な意味があった、と考えられるわけです。

 

【6】独立経営可能な、「自立系」売れっ子姉妹

ピクサーが出してきたゲームチェンジャーをはるかに超えるセンセーションを巻き起こしたのがディズニーサイドがメリダの次に登場させたFrozen姉妹ことエルサとアナでした。

このうちエルサはロマンスとはまったく結び付けられず、白馬の王子様はしたたかな権力欲に満ちた策士として描かれ、結婚はせずとも家族の一員として労働者階級の男性(もしかしたらエスニシティが違うかもしれない)が受け入れられることになるという点でメリダとはまた違う画期性を示したわけです。

何よりも全てを解決する「True Love(真実の愛)」にずっとつきまとってきた異性間恋愛を前提とした規範(ヘテロノーマティヴィティ)から物語構造を解放(Let go)させたことがメリダの次に登場した作品としては重要な点で、それを外様ではなく本家でやったことに意義があったと考えられます。

しかし、この姉妹はあまりに世界的なセンセーションを巻き起こした結果、グッズは作品単独で展開してもたくさん売れ、そういったビジネス的な理由からこの二人は「Frozen」という作品独立のフランチャイズで展開されつづけ、今でも「ディズニー・プリンセス」に入ることなく、独立で稼いでるのです。

これはもちろん、ビジネス的側面もあれば、これまでのプリンセスのあり方とは違うということを強調する意味合いもあるともとれ、また結果としてそれを強調しているようにも考えられます。

つまり、アナとエルサはビジネスとしてのみでなく、描かれた「プリンセス像=ロールモデルとなる女性像(広い意味でロールモデルとなる人間像)」としても「新しく」て「自立」しているといことがフランチャイズ的な独立の結果、強調されているようにも見えるということです。

 

【7】プリンセスじゃなくて、わたしはモアナ:それが意味していたことは?

これらを踏まえて登場したのがモアナで、先に示したように「I am not princess」とはっきり否認するわけです。

ここでHineらの研究の結論に立ち返ってみます。

  •  子どもたちが、プリンセスというジャンルとしてではなく、キャラクター個別でみている可能性が示唆される。
  • モアナのような新しい表象が子どもたちの認識を変えることができるとしても、ディズニー作品の場合は今でも古い作品に触れることができるため認識を変えていくには不十分である可能性がある。
  • プリンセスという概念は、モアナのような(より進んだ)表象が登場しても、プリンセスとして子どもたちに認識されないかもしれないため、実は影響がないかもしれない。
  • 一方で、子どもたちは、(かつてのステレオタイプ的なジェンダーから脱した)新しい表象について気付いているため、それらのモデルに触れることで、女性の役割についてよりポジティヴな解釈がされることが見込まれる。

 

これを踏まえて、これまでみたきたことをまとめると、11人目のメリダ加盟までは、プリンセスという枠組みをアップデートすることに意義があったわけです。(だからあれだけ作画を死守する必要があったのだろう。)

しかし、もはやプリンセスに入らないプリンセスが影響力を持てる時代がFrozenによって到来し、それに続いて出てきたモアナはついにプリンセス否認をしました。

この時点でモアナがいつものスケジュール感(映画公開後1年)で「ディズニー・プリンセス」に加えられなかったことから私は、もはや「プリンセス」というカテゴリーに入らなくても、そのカテゴリーを超えて、一人の個人の生き方(「I AM MOANA」)として、「(ディズニーが提示する)理想的な『女性』像(広く捉えて人間像)」としてやっていける可能性を示してきているんだろうな、と考えていました。

これがモアナがプリンセス否認し、加盟しなかった(というかディズニー社側が追加しなかった)意義だと考えています。

 

ウォルトディズニージャパンと本国ディズニーの温度差

モアナは、当然Frozen姉妹ほどグッズの収入はなかったことは商品展開や店頭の売れ行きなどからも容易に推測がつきましたがそれでも独自ブランド展開をしていたことを、自分としてはディズニー側のそういう意思表示として捉えていました。

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実際、ウォルトディズニージャパンは、本家のディズニーが今回モアナを正式にプリンセスに追加することを決める前から、プリンセス一覧にモアナを入れていました。一方Frozen姉妹については本国に準拠して入れていません。

また、おそらく映画の知名度が低いことから、ポカホンタス、ムーラン、ティアナ、メリダは省略されており、記載がありません。

(この辺りについてはまたいずれ人種やエスニシティと絡めて書きたいと思っています。)

これは「映画の知名度が低い」=「グッズ出しても売れない」=「稼げない」という思考か、あるいは、そう「思い込まれてる」せいで展開するというリスクを犯さないがために結局商品が出していないだけの可能性もあります。出さなければ売れるか売れないかって本当のところはわかりませんが、知名度が低いことは明らかなので、リスクは犯したくないという部分がすくなからず見え隠れします。これはシュガー・ラッシュ:オンラインに関連して登場したプリンセスのグッズ展開や、イベント等あるいはプロモーション画像等での扱いにおいても顕著で、特にポカホンタスメリダは省かれがちです。

 

総論1:モアナがプリンセス加盟することでプラス側面とマイナス側面

話を戻すと、今回のモアナのプリンセス正式加盟は、これらの視点で見ると非常に残念です。その理由が独自ブランドではディズニーが期待するほど稼げなかった(人気がなかった)ことの結果であるかどうかは定かでありませんが、結果として、独立した個人としての一人の生き方のロールモデルではなく、プリンセスの中の一人になってしまうからです。

一方で、プリンセスというカテゴリーにモアナが入るということは、先のHineらが導き出していたように、子どもたちの「プリンセス」というカテゴリーの認識をアップデートすることにつながる可能性があるという点で希望も見えます。

確かにこれは、これまでずっと先輩プリンセスたちが貢献してきた道をそのまま受け継ぐ(=プリンセスというカテゴリー内でのロールモデル的なあり方、生き方を多様化する)路線ではありあす。

しかし、先祖が代々積み上げてきた石の上に、貝殻を置くような行為ではあり、モアナ的でもあると私には見えたりもします。

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これらのことは公に語られていないし、おそらくこれからも語られないため明らかにはならないと思います。

しかし、プリンセスのカテゴリーをアップデートすることに寄与することは、いまリアルタイムでモアナをみて生きている私たちとしては残念であっても、今後生まれてくる子どもたちがモアナをはじめてプリンセスの一員として見たときには、「こういうプリンセスもいるんだ」という認識につながることは間違い無く、「プリンセス」がディズニーキャラクターの中でも特別な位置付けであることを考えると、それはそれで意義のあることと考えられます。

 

総論2:姉妹は独立を保てるか?「How far they'll go?」

ただし、仮に今回のモアナ加盟がビジネス的な理由だけであるとしたら、

プリンセスというカテゴリーに入らず独立しているFrozen姉妹も、仮に続編以降のビジネス的な成果が芳しく無ければ、プリンセス加盟を余儀なくされる可能性があるということを意味しており、その点が非常に危惧されます。

Frozen姉妹の独立経営はどこまでいけるのか、How far they’ll go

エルサのことなので test the limits and break through してくれると期待して筆を置きたいと思います。

 

長文おつきあいいただきありがとうございました。

実写版アラジン「A Whole New World」新歌詞、アニメ版・四季版・原詞直訳との比較、独自訳も

はじめに

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実写版アラジンの吹き替えキャストによる「A Whole New World」が生披露され話題になりました。

この記事では、その生披露によってはじめて明らかになった新しい吹き替え歌詞を独自に書き起こし、有名な92年アニメーション版の歌詞、劇団四季の歌詞と比較して見ることができるように書き並べて見ます。

さらに、そもそもの英語による原詞をブログ筆者が訳した和訳を掲載することで、原詞はどんなニュアンスを表現しているのかわかるようにしました。

そして記事の最後に、筆者が劇団四季の歌詞公開前に独自で訳していた独自訳詞「すべてがはじめての世界」を掲載しています。

英詞は一つしかないのにいろいろな訳詞がつくのは面白いですよね。
今回の記事ではさほどそれぞれの歌詞についてのツッコミはしていませんので、全てを一箇所で見られるメモ的な記事にはなりますが、原詞の和訳(できるだけもとの歌詞の意味ニュアンスを捉えた日本語訳)と独自訳詞(メロディに乗る)はしっかり考えて(過去にですが笑)つけていますので、なにかの参考になればと思っています。

実写版アラジン「A Whole New World」の新吹き替え歌詞

youtu.be

 

 

【アラジン】

連れてゆくよ 君の知らない

きらめき輝く 素敵な世界

不思議 全部 その目で確かめて

魔法の絨毯で旅に出よう

ア・ホール・ニュー・ワールド

新しい世界

風のように自由さ

夢じゃないんだ

 

ジャスミン

ア・ホール・ニュー・ワールド

新しい世界

抑えきれない ときめき

あなた教えてくれた

 

【アラジン】

さあ二人飛んでゆこう

 

ジャスミン(アラジン)】

信じられないわ

夢じゃない 夢

ダイヤモンドの空

どこまでも ほら

ア・ホール・ニュー・ワールド

(よく見てごらん)

夢は星の数

(心開いて)

まるで二人 流れ星

昨日へは戻れない

 

【アラジン(ジャスミン)】

ア・ホール・ニュー・ワールド

(今この時)

未来へと続く

(忘れないから)

 

【二人】

追いかけよう二人で

世界の果てまでも

 

【アラジン/ジャスミン

ア・ホール・ニュー・ワールドア・ホール・ニュー・ワールド

願いを/願いを

叶えよう/二人で

一緒に

 

 

1992年 アニメーション版 A Whole New World 吹替え歌詞(訳詞:湯川れい子

【アラジン】

見せてあげよう 輝く世界

プリンセス 自由の花をホラ

目を開いて この広い世界を

魔法のじゅうたんに身を任せ

 

おおぞら 雲は美しく

誰も僕ら引きとめしばりはしない

 

ジャスミン

おおぞら 目がくらむけれど

ときめく胸

初めてあなた見せてくれたの

 

【アラジン】

すばらしい世界を

 

ジャスミン(アラジン)】

すてきすぎて信じられない

きらめく星はダイヤモンドね

ア・ホール・ニュー・ワールド(目を開いて)

初めての世界(こわがらないで)

ながれ星は

ふしぎな夢に満ちているのね

 

【アラジン(ジャスミン)】

すてきな(星の海を)

新しい世界(どうぞこのまま)

 

【二人】

ふたりきりで明日を

一緒に見つめよう

 

【アラジン/ジャスミン

このまま/ふたりが

すてきな/世界を

見つめて/あなたと

いつまでも

 

 

1992年 劇団四季版 A Whole New World 吹替え歌詞(訳詞:高橋知伽江

【アラジン】

見せてあげよう 本当の世界

何でもできるさ 君が望めば

連れてゆこう 不思議な旅へ

魔法のじゅうたんで 星空へ

 

自由さ 新しい世界

僕らはもう 誰にも 縛られはしない

 

ジャスミン

自由よ 新しい世界

高く高く 飛べるの  今あなたと二人で

 

【アラジン】

今君と二人で

 

ジャスミン(アラジン)】

ときめいてる 生まれて初めて

きらめく星くずとたわむれて

自由よ(目を開いて)

流れ星みたい(よく見てごらん)

この大空 駆け抜け 後戻りはしないの

 

 

【アラジン(ジャスミン)】

自由さ(なにを見ても) 

地平線目指し(心がおどる)

 

【二人】

夢のようなこの時

いつまでも二人で

 

【アラジン/ジャスミン

自由な/自由な

明日を/明日

作ろう/作ろう

ふたりで

 

3バージョンの比較

赤字:アニメ版青字:四季版、黒:実写版

3バージョンを同時に比較できるように並記してみました。

【アラジン】

見せてあげよう 輝く世界
見せてあげよう 本当の世界
連れてゆくよ 君の知らない

プリンセス 自由の花をホラ
何でもできるさ 君が望めば
きらめき輝く 素敵な世界

目を開いて この広い世界を
連れてゆこう 不思議な旅へ
不思議 全部 その目で確かめて

魔法のじゅうたんに身を任せ
魔法のじゅうたんで 星空へ
魔法の絨毯で旅に出よう

おおぞら 雲は美しく
自由さ 新しい世界
ア・ホール・ニュー・ワールド  新しい世界

誰も僕ら引きとめしばりはしない
僕らはもう 誰にも 縛られはしない 
風のように自由さ 夢じゃないんだ

 

ジャスミン

おおぞら 目がくらむけれど
自由よ 新しい世界
ア・ホール・ニュー・ワールド 新しい世界

ときめく胸
高く高く
抑えきれない

初めてあなた見せてくれたの
飛べるの  今あなたと二人で
ときめき あなた教えてくれた

【アラジン】

すばらしい世界を
今君と二人で
さあ二人飛んでゆこう

ジャスミン(アラジン)】

すてきすぎて信じられない
ときめいてる 生まれて初めて
信じられないわ  夢じゃない 夢

きらめく星はダイヤモンドね
きらめく星くずとたわむれて
ダイヤモンドの空 どこまでも ほら

ア・ホール・ニュー・ワールド(目を開いて)
自由よ(目を開いて)
ア・ホール・ニュー・ワールド(よく見てごらん)

 

 

初めての世界(こわがらないで)
流れ星みたい(よく見てごらん)
夢は星の数(心開いて)

ながれ星は ふしぎな夢に満ちているのね
この大空 駆け抜け 後戻りはしないの
まるで二人 流れ星 昨日へは戻れない

【アラジン(ジャスミン)】

すてきな(星の海を)
自由さ(なにを見ても) 
ア・ホール・ニュー・ワールド(今この時)

新しい世界(どうぞこのまま
地平線目指し(心がおどる)
未来へと続く(忘れないから)

【二人】

ふたりきりで明日を
夢のようなこの時
追いかけよう二人で

一緒に見つめよう
いつまでも二人で
世界の果てまでも
 

【アラジン/ジャスミン

このまま/ふたりが
自由な/自由な
ア・ホール・ニュー・ワールドア・ホール・ニュー・ワールド

すてきな/世界を
明日を/明日
願いを/願いを

見つめて/あなたと
作ろう/作ろう
叶えよう/二人で

いつまでも
ふたりで
一緒に

 

そもそもの原詞を直訳(対訳)してみると(訳:当ブログ筆者westergaard)

では実際の原詞のニュアンスをできるだけ広いながら和訳するとどうなるのか。筆者なりに訳してみました。

【アラジン】
 I can show you the world
きみにみせてあげるよ
Shining, shimmering, splendid
キラキラに輝く素晴らしい世界を

Tell me, princess, now when did
さぁお姫様
You last let your heart decide?
最後に自分で心を決めたのはいったいいつだい?

I can open your eyes
ぼくになら きみを目覚めさせてあげられるよ
Take you wonder by wonder
次々に驚きが待っている世界へ
Over, sideways and under
縦横無尽にかけめぐる
On a magic carpet ride
魔法のじゅうたんに乗りながら

A whole new world
すべてがはじめての世界
A new fantastic point of view
素敵で新しい見え方をするんだ
No one to tell us, "no"
誰にもダメって言われないし
Or where to go
行き先を指図されることも
Or say we're only dreaming
そんなのただの夢だよって言われることもないよ

ジャスミン
A whole new world
すべてがはじめての世界
A dazzling place I never knew
今まで知るよしもなかった まばゆいほど輝くこの場所
But when I'm way up here
今こんな高くまで登ってみると
It's crystal clear
はっきり感じられる
That now I'm in a whole new world with you
いま あなたとすべてがはじめての世界に居るんだって

【アラジン】
Now I'm in a whole new world with you
いま きみとすべてがはじめての世界に

ジャスミン(アラジン)】
Unbelievable sights
信じられない景色
Indescribable feeling
言い表せないこの感覚
Soaring, tumbling, freewheeling
舞い上がり、宙返り、自由に飛び回る
Through an endless diamond sky
永遠につづくダイヤモンドの空を駆け抜けて

A whole new world
すべてがはじめての世界
(Don't you dare close your eyes)
(目を閉じたらダメだよ)
A hundred thousand things to see
見るものはまだ10万個はあるわ
(Hold your breath; it gets better)
(息を止めて:もっとすごくなるよ)
I'm like a shooting star
流れ星になった気分
I've come so far
すごく遠くまできたのね
I can't go back to where I used to be
もう元いた場所には戻れない

【アラジン(ジャスミン)】
A whole new world
すべてがはじめての世界
(Every turn a surprise)
(曲がる度に驚きが待ってる)
With new horizons to pursue
新しい地平線を追いかけて
(Every moment, red-letter)
(一瞬一瞬が記念すべき瞬間)

【二人】
I'll chase them anywhere
僕はどこまでも追いかけるよ
There's time to spare
時間はたっぷりあるから
Let me share this whole new world with you
このすべてがはじめての世界をきみと分かち合わせてね

【アラジン/ジャスミン
A whole new world / A whole new world
すべてがはじめての世界
That's where we'll be / That's where we'll be
そここそ僕らが行く場所
A thrilling chase / A wondrous place
ワクワクする追いかけっこ/驚くほど素晴らしい場所
For you and me
きみと僕のための

 

翻訳時のメモ

私はこの曲で一番好きな表現は「ever moment red-letter」なんです。
red-letterは日本のカレンダーの祝日と同じで赤字になっている日、つまり記念日なんですよ。で、これがevery moment あらゆる瞬間なので、一瞬一瞬すべてが記念すべき時間、という意味になっています。素敵ですね。

また、「new」を「新しい」という訳ではなく「はじめて」とあてているのがこだわりです。「new」という概念は確かに一対一で日本語をつければ「新しい」ということですが、その人にとって「新しい」というのはその人にとって「はじめて」ということでもあると思います。

「新しい」というワードは実際彼らがこの瞬間を体験した時に出て来にくい(ちょっとカタイ?)のではないかと思い、それよりもジャスミンとしてもアラジンとしても初体験したこの「自由」で「夢のような」時間をいいあらわす言葉としては「はじめて」の方が適しているのではないか、と考えた故に当てています。

 

当ブログ筆者が2016年に趣味で訳した A Whole New World 独自訳詞(訳詞:westergaard)

最後に、私が実写版歌詞が出た今から3年も前に、劇団四季の歌詞が出る直前に訳した独自訳詞を掲載しておきます。プロではありませんので拙い部分もありますが、上記のニュアンスをつかんだ翻訳をベースにメロディに乗るように抜粋しながら言葉を選んで載せています。日本語は音節数が多いので英詞に入っている全ての要素は網羅できません。だからこそ訳詞には翻訳者の意図(何を残したいか、何を重要だと考えるか)が反映されるんです。

なお、繰り返しになっているキーワード「A whole new world」にあたる部分は必ずこの後で訳すようにしています。

また伸ばす母音や子音についてはできるだけ英語に揃えられるように努力しています。


 

【アラジン】

 I can show you the world

Shining, shimmering, splendid

見せてあげよう 素晴らしい世界

 

Tell me, princess, now when did

You last let your heart decide?

自分でなんでも 決められるさ

 

I can open your eyes

Take you wonder by wonder

見にいこうよ 未知なる世界

 

Over, sideways and under

On a magic carpet ride

空飛ぶ 魔法の絨毯に乗って

 

A whole new world

A new fantastic point of view

すべてが はじめての世界

 

No one to tell us, "no"

Or where to go

Or say we're only dreaming

もう僕らは誰にも 指図されない

 

ジャスミン

A whole new world

A dazzling place I never knew

すべてが はじめての世界

 

But when I'm way up here

It's crystal clear

That now I'm in a whole new world with you

いまはじめて味わう この自由な世界を

 

【アラジン】

Now I'm in a whole new world with you

この自由な世界

 

ジャスミン(アラジン)】

Unbelievable sights

Indescribable feeling

素敵すぎて 言葉も出ない

 

Soaring, tumbling, freewheeling

Through an endless diamond sky

きらめく星空を 飛び回り

 

A whole new world

(Don't you dare close your eyes)

すべてが (ほらよく見て)

 

A hundred thousand things to see

(Hold your breath; it gets better)

初めての世界 (期待膨らむ)

 

I'm like a shooting star

I've come so far

I can't go back to where I used to be

どこまででも 行きたい

後戻りはできない

 

【アラジン(ジャスミン)】

A whole new world

(Every turn a surprise)

すべてが (何もかもが)

 

With new horizons to pursue

(Every moment, red-letter)

初めての世界 (素敵に見える)

 

【二人】

I'll chase them anywhere

There's time to spare

どこまででも ふたりで

 

Let me share this whole new world with you

一緒に分かち合おう

 

【アラジン/ジャスミン

A whole new world / A whole new world

僕らが/ふたりが

 

That's where we'll be / That's where we'll be

自由に/暮らせる

 

A thrilling chase / A wondrous place

居場所を/つくろう

 

For you and me

ふたりで

 

 

 

最後のは余計だったかもしれませんが、英詞は一つしかないのに、時代に合わせて(また権利の関係で(小声))いろんな訳詞がつくというのもアメリカ本国では味わえない面白い現象ですよね。

 

最後までお読みいただいたみなさま、ありがとうございました。

Toy Story 4 冒頭17分の展開(ネタバレ)

はじめに

CinemaCon カンファレンスで上映された Toy Story 4 の冒頭17分間の内容についてあらゆるソースからの情報をまとめたものを ToyStoryFanGirl.com が掲載しています。それを和訳した記事になります。

toystoryfangirl.com

 これまでの経験を加味すると、「冒頭何分」といって事前に上映される時は、実際の作品においてはその前に少しだけ本当のオープニングがあったりするパターンも多いので本当の本当に冒頭17分なのかは確認ができませんが、少なくとも以下に記述する展開は本編で実際に起こることになると思われるので、ネタバレを回避したい方はこれより先はスクロールしないようにしてください。

 

 

***********

以下 ネタバレあり

***********

 

記事に記載されている冒頭17分のあらすじ・和訳

The movie opens nine years in the past, with the flashback scene we saw thanks to Good Morning America.

映画は設定上の9年前、グッドモーニングアメリカの番組で披露されたあのフラッシュバックシーンから始まる。

youtu.be

 

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The toys are working to rescue RC from being washed away in a rain storm, and picking up from the point where Jessie and the Barbies team up to open the window, Woody, Slink, and the barrel monkeys form a chain and manage to get RC to safety.

アンディのおもちゃたちが、雷雨の中流されそうになっているRCを救出し、ジェシーとバービーたちが協力して窓を開けたところから引っ張りあげようとしている。
ウッディ、スリンキーとバレルオブモンキーズが鎖を形成し、RCを安全なところまで連れてこようとする。

 

Meanwhile, Molly is getting rid of some of her toys.  She decides she no longer wants Bo Peep, and although Andy tries to stop her, Molly insists. 

そうしているうちにモリーは自分のオモチャを減らす作業を始める。
彼女はもうボーは要らないと決める。
アンディは妹を止めようとするもモリーはきかない。

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The lamp is placed in a box and taken outside, where a man is picking up the toys for his own child.  Woody tries to rescue Bo, but she’s okay with moving on to another kid.  She asks him to come with her, but as he’s contemplating it he realizes Andy is looking for him, and he chooses to stay with Andy.

ボーのランプは箱に入れられ外に持ち出される。そこでは人が自分の子どものために持っていくオモチャを選んでいる。
ウッディはボーを救出しようとするも、ボー本人はほかの子どものところへ行くことを了承している。
彼女はウッディに一緒に行かないかと尋ねるが彼が悩んでいるうちに彼はアンディが自分を探していることに気づき、彼はアンディの元へ残ることを選択する。

 

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Flash forward to present day, with the toys are now belonging to Bonnie.  Woody is holding a pre-playtime meeting in Bonnie’s closet, and when she makes her toy selections, she picks Jessie and Bullseye over him.  Woody is left behind for the third time in a week, which makes him very concerned.

時間は現在へ戻ってきて、おもちゃたちは今はボニーのものになっています。
ウッディはボニーのクローゼットの中で遊びの時間の前のミーティングを開き、ボニーがおもちゃを選ぶときウッディを差し置いてジェシーとブルズアイを持ち出しました。
ウッディは自分の今週3回目のお休みにとても不安になります。

 

It’s time for Bonnie to start kindergarten, and attend her orientation day.  She doesn’t want to go, however.  She’s in tears and hiding behind her bed, while her parents try to reassure her.  Woody is worried about her, and wants to help, even though toys aren’t allowed to go to school.  A new doll character, the Mayor, reminds Woody that “Bonnie isn’t Andy, no matter how much he might want her to be.”  Woody sneaks in Bonnie’s backpack anyway.

ボニーが幼稚園に通い始める時が来て、オリエンテーションに参加する日がやってきました。
ところがボニーは行きたくありませんでした。
両親が安心させて元気付けようとしている間、ボニーは涙ぐみながらベッドの裏側に隠れています。
ウッディは彼女のことが心配で助けてあげたいのですが、おもちゃたちは学校に行くことは許されていません。
新しい人形のキャラクター、メイヤー(追記: どうやらドーリーのことらしい)ウッディに言います「ボニーはアンディじゃないの。どれほどアンディがボニーにそうなってほしいと思っていたとしてもね。」
ウッディは結局ボニーのリュックにこっそり入り込んでしまいます。

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At school, Bonnie is having a hard time fitting in.  She keeps quietly to herself, and some of the other kids aren’t nice to her – one bully, in particular, steals her craft supplies.  Woody tries to help by gathering what bits he can from the trash and placing them where Bonnie can find them – and she in turn creates Forky.  In the backpack with the new handmade toy, Woody is congratulating himself on saving the day at school:  “We’ve got this whole school thing down. Wait, I can’t believe I’m talking to a spork.”  Suddenly Forky comes to life, much to Woody’s surprise.

幼稚園で、ボニーは馴染めずに辛い時間を過ごしていました。
彼女は自分の中に閉じこもっていて、何人かの子どもたちは彼女に対して意地悪をします。いじめっ子のひとりは彼女の工作の材料を盗んでしまいます。
ウッディは自分が集められる材料をゴミ箱から集めてボニーが見つけられる位置に置きます。そうしてボニーはフォーキーを作りました。
新しいハンドメイドのおもちゃと一緒にボニーのリュックの中に入れられ、ウッディは学校での1日を大成功に終わらせたことを喜びました。
「オレたち学校での出来事を無事に乗り切ったぞ!まて、信じられないな。オレ先割れスプーンに話しかけてるぞ。」
するとウッディも驚いたことに、突然フォーキーに命が宿ります。

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Woody introduces the toys to Forky back in Bonnie’s room.  But Forky keeps trying to put himself back in the trash, since that’s where he feels he belongs.  Woody realizes that Forky is an important comfort to Bonnie as she adjusts to the changes in her life, so he and the others have to keep an eye on him as they begin their road trip before the official start of school.

ウッディはボニーの部屋に戻ると、おもちゃたちにフォーキーを紹介します。しかしフォーキーは自分をゴミ箱に入れようとし続けます。ゴミ箱こそが自分がいるべき場所だと感じるからです。ウッディはフォーキーが、ボニーの生活の変化に適応するために重要な安心を与えるものであることに気がつきます。
そのため、一家が幼稚園の正式なスタートの前のドライブ旅行に行くにあたり、彼は他のおもちゃたちと一緒にフォーキーを見張らないといけなくなります。

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判明したこと

  • あの回想シーンからスタートするらしい。
  • バレルオブモンキーも登場するらしい。
    ▶︎一作目からのファンとしては嬉しい。一昨目でポテトたちがバズを救出しようとしたときにもバレルオブモンキーを使っていたので、落ちた時に発動される「Operation Pull Toy」においてはバレルオブモンキーを使うことになっていたのかもしれない。
  • RCが助かるかどうかについては言及がない。
    ▶︎直後にボーが去ることを受け入れる展開からもRCが助からないのではないかと推測される。
  • ボーは自ら次の持ち主の元へ行くことを受け入れるが、ウッディも一緒に行かないか、と誘うらしい。
    ▶︎これは正直意外だった。ウッディは悩んだ末にアンディが探しているのに気づいて残ることを決めるわけだが、ウッディはこのことを仲間には話していないのではないかと思われる。おそらく「間に合わなかった、助けられなかった」というように言っている可能性すらありそう。
  • ウッディはあいかわらずミーティングを開催するのが好きらしい。
    ▶︎どこにいっても仕切りたがりな性格なのは変わらないようだ。
  • ウッディはボニーのお気に入りにはなれなかったみたい。
    ▶︎インターナショナル版の予告編でボニーがブルズアイとジェシー、他のもともともっていたおもちゃたちと遊ぶシーンはそういう意味があったのか。たしかにウッディはいない。
  • 新キャラクター「メイヤー」という人形がボニーの部屋のおもちゃとして登場するらしい。
    ▶︎しかし映像には今まで登場していないので、チャックルズ的なあまり表にはでてこないキャラクターになるのだろうか。
  • ウッディはリュックに忍び込んで幼稚園に行ってしまうらしい。
    ▶︎さすがおもちゃのルール破りがちな保安官。
  • フォーキーがゴミ箱に帰りたい、ゴミ箱こそが家だと感じるのはもともとウッディがゴミ箱から材料を拾ってきたかららしい。
    ▶︎いづれゴミになるから、というのはわかっていたが、ほんとうに文字通りゴミ箱の中にあったものを使う展開になるとは思っていなかったので驚き。
  • フォーキーに命が宿るタイミングはちょっとこの文章だけだとわかりにくい。ボニーがフォーキーを完成させて名付けた時なのか、ボニーが話しかけた時なのか、ウッディが話しかけた時なのか。どちらにしろその材料集めにウッディが一枚噛んでいることは確からしい。

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Frozen Broadway 音楽(サントラ21曲含め51曲)・セット ほぼ完全ガイド

 

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この記事は分析や考察というよりデータです。
これまでサントラでナンバリングされているナンバーについて(一部除外していますが)それぞれ解説して来ました。

今後はサントラでナンバリングされていない曲や部分も取り上げて行こうと思ったのでその軸になる記事を作ろうと思い、このメモを作りました。

 

私が区別できる限りで、全楽曲と場面転換、セットをまとめました。

とりあえず私が区別できる範囲では次の通りです。

 

音楽:51曲(おそらくこれ以上)

サントラ収録曲:21曲(+1 Outtake)

場面転換:32回

セット数:26種

<用語解説>

Reprise:すでに登場した曲のフレーズやモチーフを使って歌唱するナンバー

Playoff:すでに登場した曲のフレーズやモチーフを使って場面転換や会話のバックグラウンドで演奏されるナンバー(underscore, incidental, chase, tagとも言う)

Pre-prise:まだ登場していない曲のフレーズやモチーフを先取りして演奏、歌唱されるナンバー

 

<凡例>

♫:音楽

00:サントラのトラックナンバー

*:私が独自でつけたタイトル

<j>:Frozen Jr. の楽譜を参考にしたタイトル

▶︎:セット転換

[00 XXXXX ]:セット番号・セット名(私が独自で名付けています)

 

 

 

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【開幕前】

[00 オーロラ(屋外)]

白幕の上に透明の幕

そこへオーロラのプロジェクション

 

【第1幕 開始】

♫01 Let the Sun Shine On

そのままオーロラ

▶︎白幕が上がって▶︎

▶︎遅れて透明の幕が上がって▶︎

[01 子ども部屋]

▶︎壁が上がって▶︎

[02 メイポールの広場(屋外)]

▶︎壁が降りてきて▶︎

[01 子ども部屋]

♫02 A Little Bit Of You

♫ First Joik <j>

-a イデュナのヨイク

-b Hidden Folkのヨイク

-c パビーの魔法を取り除くヨイク

♫ Monster (Pre-prise)

-a パビーの予言するエルサの未来 

-b エルサと両親の判断

♫ Don’t Let Them In, Don’t Let Them See

▶︎召使いたちが去ると同時に窓付の壁が回転してエルサの部屋のドアが中央に配置される▶︎

[03 城の廊下a]

♫03 Do You Want To Build a Snowman

(セットの転換は最後のサビのアナのWhat are we gonna do?の直後までなし)

▶︎エルサパートのDo you wanna build a snowman?に合わせてエルサの部屋のドアが回転し、凍りついたエルサの部屋の窓が中央に配置される▶︎

[04 エルサの部屋]

♫ Don’t Let Them In, Don’t Let Them See (Playoff)

まだ戴冠式ドレスではない衣装のエルサが窓越しから立ち上がり舞台の中央に向かってゆっくり歩き出して司教と補佐が持ってくる宝珠を持つ練習をする

▶︎窓付の壁に再び転換し寝癖アナの乗ったベッドが滑り込んでくる▶︎

[05 アナの部屋]

I’ve Been Wake For Hours*

♫04 For the First Time In Forever

▶︎I can’t wait to meet everyone! What if I meet the one の最中に壁が左右から滑り込んできて転換(同時に手前には男性の絵画1枚と、胸像1つが左右に、奥側の通路には左右1つずつ甲冑が滑り込んでくる)▶︎

[06 城の廊下b]

▶︎エルサパート突入に合わせて左右の壁がさらに狭められ、その間に後ろに門が出現▶︎

[07 城の玄関ホール]

▶︎But it’s only for todayに合わせて徐々に左右の壁のギャップが開き始める▶︎

▶︎Tell the guess to open up the gate!

に合わせて門が開き来客たちが入ってくる▶︎

▶︎クリストフ退場に合わせて門が閉められる▶︎

▶︎壁が降りてくる▶︎

[08 城の大広間(?)]

♫05 Hans of the Southern Isles

♫06 Queen Anointed

▶︎壁が上がり開いた扉の向こう(舞台の一番奥)に戴冠式ドレスのエルサが登場し、男召使いが司教から受け取ったケープを着せる▶︎

[09 戴冠式の会場(教会の中か)]

♫07 Dangerous To Dream

▶︎Queen Elsa of Arendelle!! の後、左右からシャンデリアが滑り込んでくる▶︎

[10 ボールルーム]

♫ For the First Time In Forever (Waltz version)

♫ Tango of Weselton*

▶︎壁が上がって紫色の花が左右から垂れ、背景には大きな月が見える綺麗な夜空▶︎

[11 城内の庭園?(屋外)]

♫08 Love Is an Open Door

♫ Love Is an Open Door (Playoff)

▶︎曲中に壁が降りてきてシャンデリアも滑り込んでくる▶︎

[10 ボールルーム]

♫ Magic Reveal* (Don’t Let Them In, Don’t Let Them Seeのアレンジ)

▶︎壁が上がり奥に開いた門、手前には廊下が▶︎

▶︎エルサが柱を触り、舞台全体が凍り始めると背景の壁は全て上がり、左右の崖が中央に寄ってくる▶︎

[12 ノースマウンテン麓-A]

♫09 Reindeers Are Better Than People

♫10 What Do You Know About Love

▶︎間奏開始と同時に吊り橋が降りてきて、同時に背景の山脈のうち、奥の方に見えている山が高くなる = 単に橋が降りてきたのではなく、観客の視点が高くなったと言う演出(ココ好き!)▶︎

[13 ノースマウンテン吊り橋]

♫ What Do You Know About Love (Playoff)

▶︎アナとクリストフが舞台袖で橋からハシゴを使って降りている間、ステージ上には、アンサンブルが扮する別のアナとクリストフがスヴェンを追いかける形で2度舞台を横切って時間経過を表す▶︎

▶︎映画に登場する凍った木々の枝が垂れ下がるあの美しい風景が広がる▶︎

[14 ノースマウンテン中腹]

♫ I Didn’t Know Anything* (Let It Go 間奏, For the First Time In Foreverのアレンジ)

♫ A Little Bit if You (A Cappella Reprise)

♫11 In Summer

▶︎イントロ開始で書き割りの夏のセットが登場▶︎

[15 オラフの夢みる夏の世界]

▶︎曲の終わりにかけて元の照明・セットへ▶︎

[14 ノースマウンテン中腹]

♫ In Summer (Playoff)

♫ Frozen Arendelle* (Let It Go 間奏のアレンジ)

▶︎背景に壁が降りてきて、再びプロジェクションで凍っていく様子が再現される▶︎

[16 アレンデール場中庭]

♫12 Hans of the Southern Isles (Reprise 1)

▶︎壁が上がって奥に山々の頂上が見える背景に▶︎

[17 ノースマウンテン頂]

♫13 Let It Go

▶︎2度目のサビで後ろにカーテンが降りてくる▶︎

[18 アイスパレス建設中]

▶︎Here I stand and Here I’ll stay で階段建設(プロジェクション)

▶︎間奏に合わせて幕が上がる▶︎

[19 アイスパレス内部]

【第1幕 終了】

 

 

【幕間】

▶︎幕が降りると雪が降り積もっていく様子が白い幕とその手前の透明の幕に少々立体的に投影される▶︎

▶︎その間にオーケンの店とサウナが物理的なセットとして設置され、設置完了すると白い幕が上がり透明幕のみになり、オーケンの店の手前に雪が積もっていくように見える▶︎

[20 オーケンの店]

 

 

【第2幕 開始】

♫ Entr’acte (Let It Goのアレンジ)

▶︎透明の幕が上がる▶︎

♫14 Hygge

▶︎幕が降りてきてアキラ100パーセント的Hyggeダンスをしている間に幕の後ろは再びアイスパレスのセットへ▶︎

[19 アイスパレス内部]

♫15 For the First Time In Forever (Reprise)

♫ Mountain Fall <j> (Vuelie アレンジ)

▶︎フラッシュとともに幕が降りる▶︎

▶︎幕が再び上がるとオラフがバラバラになって転がっている▶︎

[21 ノースマウンテン麓-B]

♫ Do You Want To Build A Snowman (Reprise1)

♫ Kristoff’s Joik <j>

▶︎壁が上がって舞台の一番奥からHidden Folkの集団が姿をあらわす▶︎

[22 Hidden Folkの地(映画だとリビングロックの谷)]

♫16 Fixer Upper

♫ Magic Remove* (Part 1)

♫17 Kristoff Lullaby

♫ Magic Remove* (Part 2)

▶︎背景のオーロラが緑から青へ▶︎

[23 ノースマウンテン登山道]

♫ End This Winter, Bring Back Summer

▶︎アイスパレスの壁と装飾が降りてくる▶︎

[19 アイスパレス内部]

♫18 Monster

♫ Monster (Playoff)

▶︎エルサのI surrenderの台詞の直後、アイスパレスの壁と装飾が上がり、城の門が降りてくる▶︎

[24 城門(外)]

♫ Kristoff Lullaby (Playoff)

▶︎クリストフのWe did the right thing, let’s go homeの直後、窓付の壁が降りてきて暖炉が滑り込んでくる▶︎

♫ For the First Time In Forever (Playoff)

♫ Hans of the Southern Isles (Reprise2)

♫19 True Love

♫ True Love (Playoff)

▶︎アナはオラフに連れられてクリストフを探しに外へ▶︎

[25 氷原]

♫20 Colder By the Minute

♫ Do You Want To Build A Snowman (Reprise2)

♫ Vuelie (Playoff)

▶︎エルサがアナと共に柱を触ったことをきっかけにステージが氷解(プロジェクション)▶︎

[26 アレンデール(屋外)]

♫21 Finale / Let It Go

▶︎アナ・エルサが中央に乗り、周りの円形部分が回転することで全キャストが一度は観客の正面にくる

【第2幕 終了】

 

♫ Bows (Let the Sun Shine On, For the First Time In Forever)

♫ Exit (Love Is An Open Door)

 

 

 

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適宜更新していきます

Toy Story 4 新キャラクター説明の和訳 + 予告編の考察

さて、アメリカ時間3月19日朝、Toy Story 4の最新予告編が発表されました。


Toy Story 4 | Official Trailer

Toy Story 4の最新予告編と同時に発表された新キャラクターの詳細について、ディズニーから発表されたプレスリリースに掲載された説明が、PixarPostやSlashFilm.comに再掲載されていたので、その部分をメモ用に和訳しました。

キャラクター詳細の和訳の後に少しだけ今回の予告編についての考察メモを記しています。

 

参考記事:

www.pixarpost.com

www.slashfilm.com

 

Gabby Gabby (ギャビィ・ギャビィ) 

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Gabby Gabby

GABBY GABBY, an adorable, talking pull-string doll from the 1950s. But unfortunately for her, a manufacturing defect in her pull-string voice box has left her sounding anything but adorable. She has spent more than 60 years forgotten in the depths of a jam-packed antique store—her only companions are a band of voiceless ventriloquist dummies. Gabby Gabby knows someone will want her if only she can find a working voice box to repair hers.

 

ギャビィ・ギャビィは、1950年代のプルストリング人形(ウッディと同じ紐を引っ張って喋る人形)。
しかし残念ながら彼女のプルストリングスの音声ボックスには製造欠陥があり、決して可愛くはない音しか出ない。
彼女は60年もの間、ごちゃごちゃとしたアンティークショップの奥深くに忘れられていた。
彼女の唯一の仲間は、喋ることのない腹話術人形の子分の一団。
ギャビィギャビィは自分を修理することのできる音声ボックスさえ見つけられれば、きっと自分は誰かに欲しがってもらえるようになるはずだと思っている。

 

Duke Caboom (デューク・カブーン)

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Duke Caboom

DUKE CABOOM is a 1970s toy based on Canada’s greatest stuntman. Riding his powerful Caboom stunt-cycle, Duke is always prepared to show off his stunt poses with confidence and swagger. However, Woody learns quickly that Duke has an Achilles heel: He has never been able to do the awesome stunts advertised in his own toy commercial. For years, Duke has been sitting in an antique store, constantly reliving the failures of his tragic past.

 

デューク・カブーンは、カナダの偉大なるスタントマンを基にした1970年代のおもちゃ。強力なカブーンスタントサイクルに乗り、デュークは常に自分のスタントを見せびらかす準備ができていて、自信があり威張っている。
ところが、ウッディはすぐに彼が「アキレス腱(弁慶の泣き所)」を持っていることに気づく。それは彼が彼自身のおもちゃのコマーシャルで宣伝されている凄いスタントができたことが一度もなかったというこよ。彼は何年もの間、アンティークストアの棚の上で座って、頻繁に自分の悲劇的な過去の失敗を何度も思い出させられてきている。

 

 

Giggle McDimples (ギグル・マクディンプルズ)

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Giggle McDimples

GIGGLE MCDIMPLES is a miniature plastic doll from the 1980s Giggle McDimples toy line. Giggle is Bo Peep’s best friend. Small enough to perch on Bo’s shoulder, Giggle is Bo’s confidant, supporter and advisor. “Giggle is Bo’s Jiminy Cricket—we’re able to get insight on Bo through their relationship together,” says Cooley. “Giggle is definitely the smallest toy in the Toy Story universe. She’s been stepped on, vacuumed up, and probably put up a kid’s nose in her time.”

 

ギグル・マクディンプルズは、1980年代のギグル・マクディンプルズシリーズから登場したミニチュアのプラスチック製人形。
ギグルはボー・ピープの大親友。ボーの肩に乗っかれるほど小さいが、ギグルはボーの腹心の友で、サポーターありアドバイザーでもある。
監督のクーリーによれば「ギグルはボーにとってのジミニークリケットで、私たちは二人一緒の関係性を通してボーの深い理解を得ることができた」とのこと。
「ギグルは確実にトイ・ストーリーの世界の中で一番小さいおもちゃである。彼女は生きて来る中で、人に踏まれ、掃除機に吸われ、おそらく子供の鼻の穴の中に突っ込まれたことがあるだろう。」

 

Benson (ベンソン)

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Benson

BENSON is a classic, antique ventriloquist dummy, and Gabby Gabby’s right hand. He leads a small group of ventriloquist dummies that serve as Gabby's henchmen. With no person to give them a voice, these silent toys patrol the antique store with a looming quietness that is inherently unsettling.

 

ベンソンは古典的なアンティークの腹話術人形で、ギャビィ・ギャビィの右腕。
彼は少人数の腹話術人形の集団を率いてギャビィの子分として仕えている。
誰も彼に声を当てることがないため、この無音のおもちゃたちは迫り来る静けさとともにアンティークストアをパトロールしており、生理的な動揺を引き起こす。

 

予告編の考察メモ

なんだか少し見えてきましたね。

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私が予想していたようにボーの登場はウッディのピンチを助けるシーンで決定で良さそうですね。ラルフ2の流れから見ても「プリンセス(広義でディズニーの描く理想の女性像)」としての位置付けを考えると、男性の主人公を助ける側としての登場の仕方が一番しっくりくると思っていたので、そこについてはあまり驚きはりませんでした。

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ただ、TS2とTS3の間の時間軸におけるボーとウッディのお別れのシーンもしっかり回想で描かれるようであることが複数のショットからわかりますが、これは涙なしには見られないだろうなと思います。

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TS3の冒頭のこの一行に込められたウッディの想いがしっかりビジュアル化されるわけで待ちきれません。

 

 

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上記の説明を読む限りでは、カナディアンスタントマンのフィギュアのデュークカブーンは一作目で自分がスペースレンジャーだと思ってシドの家の2階から飛んで落ちて壊れてしまったバズを想起させます。きっとバズとの絡みがあるのでしょうね。

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また、ギャビィギャビィが欲しがっているのはウッディのボイスボックスでしょう。もちろん手に入れたところで、ウッディの声しかしないはずなのですが、それでもいいのかどうかは不明です。

人気がなくてディスカウントになっても売れ残り続けたプロスペクター、忘れられて代わりを買われてしまったロッツォもどちらも悲しい過去をもっていましたが、製造欠陥のせいで60年者間忘れられているギャビィギャビィはあまりに悲劇的です。
自分たちの製造欠陥からこじらせてダークサイドに落ちてしまう、というのはカーズ2でも描かれましたが、彼らは改心することなく倒されてしまいました。
善悪が相対化する時代においてピクサーはこの新たな敵対者たちをどう描きどう処理するのか楽しみです。

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また喋らないで無音で近づいて来る腹話術人形が集団でいるというのはこれはもうホラーですね。クワイエットプレイスとかそのあたりの映画も意識したシーンがでてくるのかな?ホラー嫌いとしてはすこし不安です。笑
(あとこのシーンフォーキーバラバラにされてますよね、大丈夫なの?)

 

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ボーに連れられてウッディが訪れるジュークボックスの中の「Lost Toy」たちのパーティでは、ピクサー初期の短編TinToyのおもちゃや、『ニセモノバズがやってきた』こと『Small Fly』に登場した人気のない売れ残りミールトイの一人の鷹のおもちゃまで登場しており、単なるカメオ出演にとどまらず、しっかりバックグラウンドが描かれる可能性もあり、そのあたりも楽しみです。

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そして今回の予告編で印象が変わったのがフォーキー。

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このシリーズの中で、自分を「trash」だと表現するのは彼が初めてではありません。
ロッツォがそうでした。でもそれとは少し意味が違うわけです。

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ロッツォのロジックでは、おもちゃは置き換え可能で、いずれは飽きられて手放されて捨てられる、だから自分の意思で未来を決めて、永遠に新しい子どもたちが入ってきて遊び続けてもらえる保育園こそが永遠の命を得られる天国。それ以外の道においては究極的には何処かのタイミングで捨てられるゴミである、という考えでした。

フォーキーの場合はそもそもおもちゃとして持ち主が手にしたのではなく、持ち主の手によって作られた命であることがこれまでのどのおもちゃとも違います。
予告編を見る限り、この時点でボニーにとって一番大事なおもちゃはフォーキーになっています。自分の作ったおもちゃが大切になるのは子どもにはあることだと思う一方で、フォーキーは自分はサラダやスープをすくってそのあとは捨てられるモノなんだと自分で言っています。

アンディは確かにクリエイティヴで、既存のおもちゃを想像力を働かせて物語の中で役割を演じさせて遊ぶことにおいては長けていましたが、彼が作ったおもちゃは確かに一度も登場しませんでした。

持ち主と作り手が同じ、という場合のおもちゃのあり方や、持ち主との関係という点ではこれまで全く触れられてこなかった部分であり、同時にどうなったら「trash」なのかという点にも大きく関わってきます。

それはGabbyGabbyのように欠陥だったら生まれつき「trash」なのか。
飽きられたら、忘れられたら、失くされたら「trash」なのか。
ロッツォもボーも自分で自分の運命を決めるという点では共通していますが、その人生を人間からの愛を受け続けるために恐怖政治を行って自分だけ幸せに生きるのか、それとも人間との関係ではなく自分自身の人生を謳歌するために生きるのかという点で大きく描き分けられていて興味深いですし、ここまで多様な生きかたを知った上でウッディはどういう選択を取るのか。

そしてフォーキーはどのような決断をするのか、いろいろな可能性が膨らむ2分間の予告編でした。

 

 

その他 メモ

この下は今回の予告編に関するちょっとしたメモです。

謎1 ダッキー&バニーの絡み方

 

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このショットでは、ボー、ウッディの後ろにダッキー&バニーとデューク・カブーンもいるが、今回の予告編ではダッキー・バニーの絡み方が全然ほのめかされなかったのでこれがどういう場面なのかは謎である。

 

謎2 ボニーが連れてこなかったおもちゃたち

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Road tripに連れてきたおもちゃのメンバーはおそらく

元アンディ)ウッディ、バズ、ジェシー、ブルズアイ、レックス、ハム、スリンキー、ポテトヘッド夫妻

もとからボニー)ドーリー、バターカップ、トリクシー、フォーキー

と思われる。

となると留守番しているのが、

元アンディ)エイリアン

もとからボニー)プリックルパンツ、お豆さん兄妹、トトロ、チャックルズ

ということになる。

 

プリックルパンツとエイリアンが残っているところあたりから想像つくのは、TS3のエンドロールであった芝居のシーン。もしかしたらお家で留守番している間に、プリックルパンツ劇場の次の演目の練習でもしているのかもしれない、などと想像力が働きます。お豆とトトロ、チャックルズはわかりませんが、プリックルパンツとエイリアン3人は予告編の最初のショットで確認できるので捨てられたり寄付されたりはしていないようで安心しました。

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謎3 アンディのデザイン

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これは、そういうものだと言われればそうかと納得するしかないんですが、TS3の回想(時系列的にはTS2のあと)とTS3の大学生アンディの間と思われるシーンのアンディの描写が今回の予告編に含まれていましたが、なんかデザインが不自然?な気がしました。

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まあアンディでないはずがないので、アンディであることに間違いはないのでしょうが、それにしてもこの間にフィットするはずの割にはすこししっくりこないかな?と感じたという程度のメモでした。

 

【非公式楽曲】Touch Of Ice 歌詞・和訳(Julie Kryk 2014)について

はじめに

昔のメモを整理していたら忘れかけていたものが出て来ました。

それは「Touch Of Ice」という楽曲の対訳メモ。

これは、本編登場後に最初の短編Frozen Feverが公開される4〜5カ月前にネットで当時話題になったエルサの内面ソングとされるものです。

「これが短編に使われるんじゃないか」、とか「いやいや続編の曲だ」などいろんな話が出ていて、結局ただのファンメイドの非公式楽曲だったらしいというオチなのですが、ブローズンが世に出て一年、F2の情報も出はじめた今改めて聴き直すと、意外と良くできているなということに気づいたので、今回は5年前のメモに残っていた訳を繋ぎ合わせながら、対訳をつけてみました。

 

最初にアップされた動画はどうやら消されているようですが、こちらがアップ主と同じ名前を名乗る動画。

ちなみにこの動画の画像に出ている frozenthesequel.com というサイトを探したところ、もう存在しないようです。

にしてもロペス夫妻が書きそうな曲を再現していて、非公式ながら感動します笑
ぜひお聞きになりながら下の歌詞、対訳をご覧ください。

 

www.youtube.com

 

歌詞・対訳

This flowing water
Reflects the sun in your eyes
流れる水が
あなたの瞳の太陽を映し出す

 

I wish you could see
The part of me that I must hide inside
気づいて欲しい
私の隠さなきゃいけない一面に

 

They think I can control it
制御できるって思われてるけど

 

But as time goes by
This power's getting stronger
この力は
日に日に強くなるの

 

 

Who am I?
いったい私は何者なの...


Will I be defined by this curse I hold inside?
生まれ持った"呪い"で 自分を決めつけられちゃうの?

Should I be deprived of a life that I deserve?
自分らしい人生なんて 捨ててしまうべきなの?

Just because life threw me a curve
ただ運命がいたずらしたのよ

I'm just a Girl, with a touch of ice
普通の女の子だもの ちょっと"氷気味"なだけの…

 

For you, it's easy
To be who you really are
あなたは楽よね ありのままで居られるもの

I wish you could give
The true love kiss that wakes me up inside
"真実の愛のキス"で 呪いを解いてくれたらいいのに

But nothing can control this
でも 何も手立てはないのよね

And as years go by
It will only get stronger
それに この力は年々強くなる一方よ

 

Who am I?
いったい私は何者なの...
Will I be defined by this curse I hold inside?
生まれ持った"呪い"で 自分を決めつけられちゃうの?

Should I be deprived of a life that I deserve?
自分らしい人生なんて 捨ててしまうべきなの?

Just because life threw me a curve
ただ運命がいたずらしたのよ

I'm so much more than just a touch of ice
きっと私は ただ"氷気味"なだけじゃないはず

 

What would I give
To hold your hand in mine and really live
私は何ができるかな
手を取り合って ありのままで生きられたら

 

Who am I?
いったい私は何者なの…

 

Should I be deprived of a life that I deserve?
自分らしい人生なんて 捨ててしまうべきなの?

Just because life threw me a curve
ただ運命がいたずらしたのよ

I'm warm inside, I'm warm inside
心の内はあったかいの そうあったかいの

With not much to hide, well...
大して隠すこともないの まぁ…

Just a touch of ice
ちょっと "氷気味" なだけなの

 

おわりに

どうですか?

たぶん挿入されるとしたら、Do You Wanna Build a Snowman の裏あたりなのでしょうが、ブローズンが世に出ている今聴くと、「Dangerous To Dream」 のベータ版といってもいいくらいの出来だと思います。

そして現実世界にはあり得ない「True Love Kiss」を少し揶揄するところも、ハンスに裏切られたアナが「私が探していたのはおとぎ話だったのね」と歌う「True Love」とも呼応。さらにはシュガーラッシュオンラインで破壊して来たTrueLoveKiss観ともエコーします。

そして、「Who am I? / Will I be defined by this curse I hold inside? / Should I be deprived of a life that I deserve? / Just because life threw me a curve」と、自分が何者か問うところは、Monsterの原型とも取れますし、
「I wish you could see / The part of me that I must hide inside」
「For you, it's easy / To be who you really are」と、アナと自分を比べて違いを述べるところはまさに「Dangerous To Dream」の「I have to be so cautious / And you're so extreme / we're different you and I」に、
さらに 「I'm warm inside / With not much to hide, well / Just a touch of ice」というところも「'Cause I can't show you / I'm not cold as I seem(DTD)」と対応。

 

ファンメイドの予想ではありますが、これがブローズンの制作過程でボツになった曲だと聞いても信じてしまうような出来。

バックコーラスの入り方も 「Dangerous To Dream」のそれと似ています。

こんなことがあるんですね。