westergaard 作品分析

映画、ミュージカル、音楽、自分が好きなものを分析して語ります。

【ミーン・ガールズ】セクシーな ハロウィーン の「フェミニズム(?)」

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はじめに

2004年の映画『ミーン・ガールズMean Girls)』はご存知だろうか?
アフリカからアメリカへ引っ越してきた女性の高校生が、スクールカーストが明確で、女王蜂とその取り巻き「プラスティックス」に「支配」されているハイスクールの中で洗礼を受け、自分もそのパワーのポリティクスに迎合していき自分を見失うという作品だ。

元ネタは、セルフヘルプブックとして広く読まれた『Queen Bees and Wannabes』という本で、そこではハイスクールの中で女性の生徒たちがどのように集団(クリーク)を形成するのかということを描き出されている。

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この映画はヒットし、女王蜂として描かれた「レジーナ・ジョージ」は、現実世界の集団でそのような位置にある女性に向けられる「代名詞」ともなったくらいに社会的な影響を持った。そして2018年には、映画の脚本を担当した Tina Fey が脚本を再び担当し、ミュージカル化されブロードウェイで上演された(トライアウトは2018年より前からおこなわれていた)。

この記事では、ブロードウェイのミュージカル版の「Sexy/セクシー」というナンバーについてのみ取り上げる。今回はミーン・ガールズの話全体を取り上げた議論はしないが、この話が2004年の映画ではあるものの2018年にブロードウェイで舞台化され、そのヒットを受けてさらなるミュージカル映画化が企画されているなど、まだまだ人気であるという状況についての考えはまとめねばと思っている。近いうち(2年くらいの幅で言っているが)に扱うかもしれない。

「SEXY/セクシー」とはどんなナンバーか?

舞台では第一幕の中盤にあたる息抜きナンバーだ。主人公がたどるメインノストーリーラインの展開にはほとんど影響しない、あってもなくても変わらないナンバーだ。

映画でいうと、ハロウィーンパーティに向かう前に高校生たちがメイクアップ、ドレスアップしているシーンからパーティを楽しんでいるモンタージュシーンの部分に当たる。映画はもともとミュージカルではないので当然こんな曲もない。

どんな曲か、まずはご覧いただこう。公式の上げている動画と、それに私が吹き替え訳詞をつけたものを掲載する。


www.youtube.com


www.youtube.com

 

[KAREN]

Hi.
ども

If I could change the world I'd make it Halloween.
Every single day.
あたしが世界を変えられるなら 毎日をハロウィーンにしたい

And also have world peace.
それから世界平和も

Maybe world peace should be first
World peace and then Halloween.
たぶん世界平和が優先ね 世界平和 それからハロウィーン

Wait, let me start over.
まってて、もう一回やり直す

Hi.
ども

If I could change the world I'd make us have world peace,
あたしが世界を変えられるなら 世界を平和にしたい

And also Halloween. Every single day.
それからハロウィーン 毎日を

On Halloween you can pretend to be someone else.
ハロウィーンには ダレかになりきれる

It's like the Internet
Only in person and with candy.
まるでインターネット 違いは対面で、キャンディもあること

 

When you are the hot one, it's a full time gig,
Looking like what people wanna see.
ホットな女の子ならずっと「おしごと」してるようなものね
周りの人たちに望まれるような格好をしてないといけない

Once a year I'm not:
I dress up and dream big,
一年に一度の例外がある
ドレスアップしておっきな夢を抱く

Disguised as someone else who is not me, but is still hot!
自分じゃないダレかに変装するの、なおかつそれでもホットな格好を!

I can be who I wanna be and sexy!
I can be who I wanna be and hot!
あたしはなりたい人になれる それからセクシーに!
あたしはなりたい人になれる それからホットに!

Don't like who you are?
今の自分が好きじゃない?
Then hit that costume shop,
Rock a new and different sexy look!
ならコスチュームのお店に行ってみて
新しい別のセクシーな格好を試そう!

Why can't be so downhearted?
なんでそんな落ち込んでるの?

Blast some trashy pop and drop it to this hot and sexy hook!
適当なポップスでもかけて、ホットでセクシーなこのサビにノろうよ!

I can be who I wanna be and sexy!
I can be who I wanna be and hot!
あたしはなりたい人になれる それからセクシーに!
あたしはなりたい人になれる それからホットに!

 

Be somebody new.
Do a total transformation.
新しい人に生まれ変わろう。
完璧な変身を遂げて。

Animal or mineral too, or even vegetation.
動物だって鉱物だって植物にだってなれちゃう。

I give you: Sexy Corn!
こちらは、セクシーなとうもろこし!

I can be who I wanna be and sexy!
あたしはなりたい人になれる それからセクシーに!

 

Sexy Quint from Sexy Jaws, catching sexy sharks,
セクシージョーズのセクシークイントがセクシーなサメを捕まえてる

Sexy Elenor Roosevelt or sexy Rosa Parks.
セクシーなエレノア・ルーズベルトあるいはセクシーなローザ・パークスも。

I can be a sexy pirate, or a sexy ballet dancer,
I can be a sexy doctor, and cure some sexy cancer!
あたしはなれちゃうセクシーな海賊、あるいはセクシーなバレエダンサー
あたしはなれちゃうセクシーな医者、治療するのセクシーな癌を!

That's not right, is it?
そんな癌ないよね?

[GRETCHEN]
No.
ない。

[KAREN]
I can sexy cure some cancer?
あたしはセクシーに治せる癌を?

[GRETCHEN]
No.
違う。

[KAREN]
I can cure sex cancer?
あたしはセックス癌をなおせる?

[GRETCHEN]
Sex cancer doesn't exist!
セックス癌なんてない!

[KAREN]
I did it!
やっちゃった!

 

[KAREN & Ensemble]
Happy Halloween!

ハッピー・ハロウィーン

 

[KAREN]
This is modern feminism talking:
I expect to run the world in shoes I cannnot walk in.

モダン・フェミニズムが言います:
世界を、歩くのもままならない靴(ヒール)で走り回れ、と。

I can be who I wanna be and sex . . . 
Sex . . . Sexy!
あたしはなりたい人になれる それからセクシーに!

I'm a sexy mouse.
あたし セクシーマウス。

 

バービーの "You Can Be Anything" キャンペーンと "I Can Be/Eye Candy"

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You Can Be Anything | Barbie

 

I can be who I wanna be and sexy!
I can be who I wanna be and hot!
あたしはなりたい人になれる それからセクシーに!
あたしはなりたい人になれる それからホットに!

I can be a sexy pirate, or a sexy ballet dancer,
I can be a sexy doctor, and cure some sexy cancer!
あたしはなれちゃうセクシーな海賊、あるいはセクシーなバレエダンサー
あたしはなれちゃうセクシーな医者、治療するのセクシーな癌を!

 

この歌のサビで繰返されるキーワード "I Can Be" を聞けば必ず思い出すのは、「You Can Be Anything」 言説だ。1959年よりマテル社から販売されてきたバービー人形は、2015年からポピュラー・フェミニズムの流れに乗り「You Can Be Anything」キャンペーンを打ち出し始めた。

バービー人形に「学者」「医者」「スポーツ選手」などあらゆる職業の「衣装/コスチューム」を用意することで、「女の子はだれでもなりたいものになれる」という言説を体現する商品化だ。
そして皮肉にも、それらを着るのは「バービー人形」であり、「だれでも」の部分自体が問われなければならなかった。(当時はまだ現代のような多様な肌の色や多様な体型、障害の有無などの「ボディ・タイプ」が用意されていなかった。もちろん用意されれば解決という話でもないが。)

たしかに「女の子はだれでもなりたいものになれる」という言説は、たしかに誰も否定のしようがない「エンパワメント」言説のようにみえる。理想としては間違っていないし、掲げるべき理念であることは確かだろう。しかし、現実問題そこにたどりつくためにはまだまだ障壁がたくさんある。

人種、階級、そしてなによりも性による差別が、制度上ない領域においても見える形・見えないか形・見えにくい形で残り、まかり通っている。選択肢が用意されていても、選択ができない状況はいくらでもある。そういった「非対称性」の残る現段階において、「You Can Be Anything」キャンペーンのような薄っぺらいエンパワメントをすることは、まるである女性が「なりたい自分になれない原因」が、すべてその人個人の「選択をしない意思の弱さ」に押し付けられる可能性すらあるのだ。

この「You Can Be Anything」 言説の前提には当然、ポストフェミニズム状況がある。
ポストフェミニズムについては以前、ブラックウィドウの記事で紹介したが、1970年代からの第二波フェミニズムによって男女平等は既に達成され、もはやフェミニズムは古くなった必要なくなったのだという「感覚」のことを批判的に言う概念だ(いろいろな見方があるが、現代においてはこの捉え方をする場合が多い)。

 

ikyosuke.hatenablog.com

 

ポストフェミニズムの何が批判されているかといえば(もちろんこれだけで論文が一本かけるようなテーマであるので非常に簡略化して書くが)、フェミニズムがまだまだすべての女性に対して十分なほどに達成されていない今、「フェミニズムは終わった」とすることによって、女性の中での多様な立場性や序列、それらによって抑圧されている人たちの存在を見えなくする点だ。つまり、"You Can Be Anything" 言説をリアリティをもって受け取れるのは、一部の女性でしかない。

こういったフェミニズムの「複雑さ」を見えなくし、まるで「あらゆるものがフェミニズム的」であるかのように見せてしまう「絡め取り方」をしていることは、セレブリティたちの手動するフェミニズム的な運動(セレブリティ・フェミニズム)や、異性愛やファッション、美容や消費主義を擁護することのないフェミニズム的な言説(ホット・フェミニストの主張)、そして女性起業家などを称揚する企業フェミニズムネオリベラル・フェミニズム)のうようなものに共通して指摘されている問題点なのだ。

この「SEXY」という曲は、その曲名や歌詞の中で繰り返される、「なりたい自分以外の人になりきる+セクシーでホットじゃないとだめ」というサビのフレーズにも象徴されるように、まさしく「ホット・フェミニスト」的な主張を具現化したものだ。もっといえば、それらのホット・フェミニストに影響を受けた「女性の高校生」の歌として文脈付けられているのも象徴的だ。

さらにこの曲は「I Can Be」がアンサンブルとカレンの合唱部分として繰り返されることではっきりと言葉が聞き取りにくくなっており、「Eye Candy」(目の保養)としても聞こえなくもないようになっている。

これは意図的なものかどうかはわからないが、文脈を考えれば十分にあり得る。というのも、舞台の上にはつねに同じパーティに来ている「男たち」(男性アンサンブルが演じている)がいて、「彼女たちが彼らの目線にさらされている」という状況がこのナンバーの間ずっと舞台上で表現されつづけている。男たちには歌う歌詞は割り当てられておらず、ただ女性たちを「見て」いるのだ。この「まなざし」を表現するために舞台上に配置されたコレオグラフィになっていると考えても、この「I Can Be/なんにでもなれるエンパワメント」が「Eye Candy/目の保養」と聞き間違えられ得るという状況がより皮肉な演出にもみえてくる。

女性が「自分のためにお洒落をすること」がそのまま「性的搾取」に繋がりうる(セクシーなセルフィーが「おかず」にされる…など)というインターネット上あるいは現実で嫌というほど見えてくる状況と苦しいほどに重なる。

 

また、この歌詞には「dream big」おっきな夢を抱く というフレーズも出てくるが、これは『アナと雪の女王』シリーズの脚本と監督を努めたジェニファー・リーウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオではじめたキャンペーン「Dream Big Princess」キャンペーンでも象徴的に使われており、実質的にはバービーの「You Can Be Anything」となんらかわりはない、と言えよう。

プリンセスが取り入れている「多様性」や「エンパワメント」に違和感を感じていた方も多いだろうが、まさしく上記の通りなのである。
一見とてもフェミニズム的であり、そういった見え方をするものが増えること自体には意義があるが、その根底においては非常にポストフェミニズム的であり、フェミニズムの目指すところとは相反する立場の人たちのロジックのサポートにすらなり得るのだ。

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Dream Big Princess Global Video Campaign | Disney Partners

 

なぜ冒頭は演説風?

[KAREN]
あたしが世界を変えられるなら 毎日をハロウィーンにしたい
それから世界平和も
たぶん世界平和が優先ね 世界平和 それからハロウィーン
まってて、もう一回やり直す

あたしが世界を変えられるなら 世界を平和にしたい
それからハロウィーン 毎日を
ハロウィーンには ダレかになりきれる
まるでインターネット 違いは対面で、キャンディもあること

冒頭はあまり「賢くない」カレンが、演説をするような歌詞から始まる。また中盤でも、「癌」についてのくだりがある。そしてカレンは癌のことについてもよく分かっておらず、挙げ句の果てに「セックス癌」なるものをでっち上げる始末だ。

これらのくだりの元になっているのは、米国の美人コンテスト/ミスコン(Beauty Pagent)で課せられるスピーチ(競技種目のひとつと捉えて良い)のイメージだ。ここでは、女性がただ「見た目」だけで選ばれるのではなく、社会問題についてもアンテナを張っていて、社会的に意義ある主張もできることをアピールする場になっているが、その中で言及されることは往々にして表面的であることが多いというステレオタイプ的な認識をベースにした皮肉であろう。

ここで重要なのは彼女たち自身がどれほど真剣にその主張をしているかではない。いかに「そういったスピーチをさせる」こと自体が「お飾り/トークン」として「扱われているか」が問題なのだ。つまり、非常に乱暴に言ってしまえば、その場にいる(ほとんどの)「男たち」は彼女たちの発言の内容は気にしておらず、その見た目ばかりに夢中である(あろう)ということだ。

これはミーン・ガールズの先輩に当たるティーンもの映画でいうと「Clueless(クルーレス)」(1995) に登場する主人公シェールのディベートのシーンでも象徴的だった。彼女は「米国の移民問題」を「パパのパーティの招待客」の話に置き換えて解釈し、「優等生」からバカにされる。映画としてはこっちの「優等生」側が脇役なのでそれ以上深くは立ち入らないが、このように社会問題に関心がない「おバカなブロンド(Dumb Blonde)」というのは度々描かれてきた。

ミーン・ガールズを見たことがある人はご承知のとおりだが、この曲を歌うカレン・スミスは、まさしく「おバカなブロンド(Dumb Blonde)」のステレオタイプで描かれているコメディキャラだ。

「おバカなブロンド(Dumb Blonde)」ステレオタイプに真っ向から立ち向かった映画としては『Legally Blonde(キューティーブロンド)』(2001)があるのでそちらを参照してほしい。「馬鹿なブロンド」とは付き合えないという理由で彼氏にフラれたことをきっかけに、彼氏と同じハーバードの法科大学院を目指し、実際に弁護士になって世間を見返してやるという話になっている。実際に物語の中には、周りから嫌がられる「主張の強いフェミニスト」キャラが登場し、その描き方が非常にポストフェミニズム的であるのは言うまでもない。作品全体としても、結果としては「You Can Be Anything」言説を強化するような薄っぺらいエンパワメントにとどまっているのである。それはそうだ。「バービー人形のような見た目」で「できない」と考えられたことを「できた」と示すための映画なのだから。
(「キューティーブロンド」という邦題はまったくこの作品の意義がわかっていない訳され方で、2周以上遅れていて萎えるが。)

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「歩くこともままならないヒールで世界を走り回れ」と叫ぶフェミニズム

Sexy Quint from Sexy Jaws, catching sexy sharks,
セクシージョーズのセクシークイントがセクシーなサメを捕まえてる
Sexy Elenor Roosevelt or sexy Rosa Parks.
セクシーなエレノア・ルーズベルトあるいはセクシーなローザ・パークスも。

見てきたように、この曲は非常に「ポストフェミニズム」的だ。

中盤のさまざまな仮装を紹介する部分で、アクティビストであった「エレノア・ルーズベルト」も「ローザ・パークス」も、セクシーなコスプレをするための「元ネタ」に矮小化されている点でも表される。(エレノア・ルーズベルトは当ブログでは、『The PROM(ザ・プロム)』の際に触れた。)

ikyosuke.hatenablog.com

 

説明するまでもないだろうが、もちろん「セクシーなエレノア・ルーズベルト」や「セクシーなローザ・パークス」のコスプレを全米の少女たちがしているわけではなく、これはあくまで皮肉として扱っているわけである。それだけ社会的・政治的運動としての側面が(すくなくとも "彼女ら" にとって)「コスチューム」レベルに今で「形骸化している」現状を象徴しているのだ。

フェミニストであること」を何で定義するかの議論は容易ではない。しかし、「ホットフェミニスト」や「セレブリティフェミニズム」の主張するような「女性の数だけフェミニストになる方法がある」という考え方をしてしまえば、もはやフェミニストであることの意義が不明となることは、フェミニズムの研究に従事する者たちから指摘されているとおりだ。

誰もがフェミニズムの議論に積極的に参画すべきだが、「誰でもフェミニスト」となってしまってはその主張は「からっぽ」だ。#AllLivesMatter が#BlackLivesMatterの意義を奪い取ってしまうことと同じように。

この意味で言えば、カレン・スミスを「フェミニスト」であるとアイデンティファイすることは難しい。彼女は、「女性は見た目をよくし、セクシーであれ」という旧来的な社会通念に囚われそれを再生産している主体でしかないからだ。

 

いっぽうで、カレン・スミスはこの歌の中で重要な指摘もしている。
というのもこのキャラクター自体が、ミーン・ガールズという作品の中では、そして特に舞台版ブロードウェイ版においては、(一見ただの「馬鹿」っぽくみえるけども)ひとつものごとを両側面から捉え、実は他の人よりも核心的な部分に近づいているという位置づけになっている。

該当箇所は以下の部分だ。

This is modern feminism talking:
I expect to run the world in shoes I cannnot walk in.
モダン・フェミニズムが言います:
世界を、歩くのもままならない靴(ヒール)で走り回れ、と。

I can be who I wanna be and sex . . . 
Sex . . . Sexy!
あたしはなりたい人になれる それからセクシーに!

このフレーズでは、カレン・スミスからすると「モダン・フェミニズム」においては、「歩くのもままならない靴」というのは当然「ヒール」のことで、女性性の象徴としてのヒールをはきながらも「世界を走り回れ」すなわち「(男性と同じように)世界で活躍しろ」というメッセージを発している "ように見える/聞こえる" ということがここで歌われているのだ。

「歩くのもままらない靴」では当然走ることはできない。つまりこれは、旧来的な女性性の維持と同時にさらに男性と同じような「女性の活躍/成功」をも求めるという現状の「フェミニズムっぽく聞こえるエンパワメント言説」の抱えている矛盾を指摘しているフレーズと解釈することができる。

カレン・スミスやそれ以外のすべての女性も、「Eye Candy(目の保養/男からの搾取の対象/性的客体化)」になることなく 「I Can Be Anything / Dream Big(自己実現/自己の選択に基づいた生き方)」できるはずだ。否、できる世界になるべきだ。

しかし、実際まだそんな世界にはなっていない。

「毎日がハロウィーンになったらいいのに」というカレン・スミスの最初の願いは、最大限彼女に寄り添った解釈をするのであれば、「毎日が自分の選択に基づいた自由な生き方ができるそんな世界であればいいのに」という願いの表明であったのかもしれない。

 

 

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