
はじめに
ピクサー映画の公開は日本では1.5〜2ヶ月遅れが通常運転となってしまったコロナ後の2020年代。最新作 Elio / 『星つなぎのエリオ』は8月1日に日本でようやく公開され、都内でも見事に空席ばかりとなっています。鬼滅旋風だけでなく他の夏の大作ラッシュにさらされる中、上映回数も2週目にしてかなり少なくなっており厳しい道のりを辿っています。
その『星つなぎのエリオ』をみた人であれば、2年前に公開されたこのティザートレイラーのシーンを見返すと、そのほとんどが本編になかったどころか各キャラクターの設定も大幅に変更されていることに気づくはずです。
エリオの「母親」だったオルガは、劇場公開版では「叔母」となっているほか、声も映画『バービー』(2023)で母親役を務めたアメリカ・フェレーラから、『アバター』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ、『エミリア・ペレス』で有名なゾーイ・サルダナへ変更され、恐ろしいロード・グライゴンも全く立ち回りが違います。そして何より主人公のエリオが宇宙へ連れて行かれるシーンは、当初の予告では嫌がっている演出になっていますが、本編ではめちゃくちゃ喜んでいるというほどに大きく変更されています。
制作過程の裏側で一体何があったのか?ハリウッドレポーターに6月末に掲載された記事を、私も「2ヶ月遅れで」翻訳しましたので掲載します。
記事翻訳
掲載媒体:The Hollywood Reporter
本のタイトル:Inside ‘Elio’s’ “Catastrophic” Path: America Ferrera’s Exit, Director Change and Erasure of Queer Themes
著者、掲載日時:BY RYAN GAJEWSKI / JUNE 30, 2025 2:30PM
『星つなぎのエリオ』の「破滅的な」道のりの裏側:アメリカ・フェレーラの降板、監督交代、クィア要素の削除
当初の監督による元の編集版を観たことのあるピクサーのクリエイターたちは、ハリウッドレポーター誌に映画の困難な制作プロセスについて語る「『星つなぎのエリオ』は完全になんの意味もない作品になってしまった」
ピクサーで最新作『星つなぎのエリオ』の制作に携わっていたスタッフたちは約2年前に目にした映像に感動した。当時のアニメーションスタジオのスタッフたちが特に気に入っていたシーンの一つに、主人公の少年が浜辺でゴミを集めて、それをピンクのタンクトップなど手作りの服に作り変えるシーンがあり、制作チームはエリオがこの服をヤドカリに披露するシーンを「トラッション*・ショー」(*トラッシュ+ファッション)と呼んでいた。
しかし、『星つなぎのエリオ』のチケットを購入したのに、このシーンに見覚えがないという人も、ドリンクバーをリフィルしにいくタイミングを間違えたというわけではありません。ハリウッドレポーター誌に話をしてくれた複数の関係者によれば、エリオは当初、監督のエイドリアン・モリーナがオープンリー・ゲイ(ゲイであることを公表している人)なことを反映して、クィア・コード化されたキャラクターとして描かれていたという。他の情報筋によれば、エリオは11歳なので、モリーナ監督は本作をカミングアウトの物語にするつもりはなかったという。しかしいずれにせよ、このキャラクター設定は制作過程を通して徐々に薄れていき、エリオは経営陣からのフィードバックを受けてより男性的なキャラクターへと変化していった。彼の環境保護とファッションへの情熱を直接的に表現したシーンだけではなく、エリオのベッドルームの壁に男性へ想いを寄せていることを暗示する写真が映し出されるシーンも削除された。公開された映画にも、捨てられたカトラリーやソーダ間のタブで飾られたケープを羽織った少年の姿など、トラッシュファッションを彷彿とさせる要素は残っているものの、その異様な服装の理由については説明がない。
『星つなぎのエリオ』の波乱万丈の道のりは、6月20日から22日にかけて興行収入が急降下するずっと前から始まっていた。まさに2023年の夏は、地球の指導者と誤認され、銀河系間組織により宇宙の果てへと連れ去られる孤独な少年を描いたこのアニメーション映画にとって運命的な夏となった。問題をかかえた制作の最初の兆候は、ピクサーの2017年のアカデミー賞受賞作品『リメンバー・ミー』の共同監督として知られるモリーナ監督が、アリゾナでの先行試写会を実施した時に現れた。このイベントに精通した関係者によると、観客は映画を楽しんだと述べたが、そのうち何人が劇場に観に行きたいかと尋ねると誰一人として手を上げなかったという。このことがスタジオ幹部にとって警鐘を鳴らすことになった。
モリーナがピクサーの幹部たちに最新版のカットを見せたのもちょうどこの頃だった。上映が終わって灯りがついたとき、ピクサーのピート・ドクターCCOからモリーナが受け取った具体的なフィードバックについては諸説あり、スタジオの関係者の間では、モリーナがそこでの会話に傷つけられたという噂も飛び交っている。確かなのは、モリーナがその後すぐにプロジェクトを離脱し、『星つなぎのエリオ』の大部分が新たな共同監督であるマデリン・シャラフィアンとドミー・シーのもとで作り直されたということだ。
1年間の延期を経て、6月22日に劇場公開されたが、(アメリカ)国内興行収入はわずか2千80万ドルと振るわず、ピクサー史上最低の初動成績となった。
「行われた変更に深く悲しみ、憤慨しました」と語るピクサーの元アシスタント編集者のサラ・リガティッチは、社内のLGBTQグループPixPRIDEのメンバーとして『星つなぎのエリオ』の制作中にフィードバックを提供していた。
リガティッチは、シャラフィアンとシーを映画監督として称賛しているものの、彼女たちが最初のカットを公開した後、多くのクリエイターたちがプロジェクトから降りたことを指摘する。「そのカットになってから才能あるクリエイターたちが次々とプロジェクトを去っていったことは、この美しい作品を変えて台無しにしてしまったことに多くの人がどれほど不満を抱いていたかを如実に物語っています。」ピクサーの別の関係者によれば、モリーナ監督の降板を受けてスタッフが去ったという説に対する異議もある。
『星つなぎのエリオ』の変更は、同作に携わった匿名希望のピクサーの元アーティストにとって明白だった。「最初のバージョンの制作を通して、(スタジオのリーダーたちが)エリオのクィアとしてのセクシュアリティを仄めかすシーンを片っ端から削っていったことは明らかでした。」
2023年にモリーナ版カットの最終版がピクサー幹部向けに上映された直後、ピクサーは社内でモリーナがプロジェクトから一時的に離れることを発表し、映画制作に関わっていた人たちはしばらく活動を停止することになった。ハリウッドレポーターの情報筋によると、モリーナはその直後、ピクサーの2020年の短編映画『夢追いウサギ(Burrow)』の脚本・監督を務め、2022年長編映画『私ときどきレッサーパンダ(Turning Red)』と『星つなぎのエリオ』ではストーリーボードアーティストを務めたシャラフィアンが監督に昇格することを知らされたという。モリーナはシャラフィアンと共に『星つなぎのエリオ』の監督を務める機会を与えられたが、当初の構想に数々の変更や修正が加えられた後、プロジェクトを離脱することを決意した。その後まもなくして、ピクサーは社内で『私ときどきレッサーパンダ』の監督兼共同脚本家であるシーがシャラフィアンと共に『星つなぎのエリオ』の監督を務めると発表した。2024年夏、ドクターはThe Wrapに対して、モリーナが「優先のプロジェクト」に移るため『星つなぎのエリオ』から離脱したと語った。より具体的な計画は、2025年3月にディズニーCEOのボブ・アイガーがピクサーによる『リメンバー・ミー2』の制作を発表したことで明らかになった。このプロジェクトではモリーナが共同監督として復帰する予定だ(ディズニーは2006年にピクサーを買収している)。
「突然、アイデンティティに関わるこの大きなキーとなる部分を取り除いてしまうと、『星つなぎのエリオ』という作品は完全に何についてでもない作品になってしまうんです」ともとピクサーのアーティストが言う。「今劇場で公開されている版の『星つなぎのエリオ』は、エイドリアンが手がけた元のベストなバージョンよりもはるかにひどいです。」この映画に携わった別の元ピクサースタッフはこう付け加える「(キャラクターとしての)エリオは本当に可愛らしくて、個性豊かだたのに、今ではとってもありふれた存在に感じられます。」
それでも、劇場公開された本作は高い評価を受け、Rotten Tomatoesでは批評家による評価が81%、シネマスコアはA(25歳以下の場合はA+)を獲得した。批評家のアンジー・ハンは、ハリウッドレポーター上のレビューで本作を「子ども向けの完璧なSFアドベンチャー」と評している。

『星つなぎのエリオ』の変化の中には、他の変化よりも顕著なものがあった、2022年にディズニーのファンイベントD23で本作が初めて発表された際に、アメリカ・フェレーラがステージに登壇してエリオの母親であるオルガ役について説明した。続く2024年のD23では、エミー賞受賞者のフェレーラがスケジュールの都合で降板し、ゾーイ・サルダナがエリオの叔母のオルガ役でキャストに加わることが発表された。ハリウッドレポーターの情報筋によると、フェレーラは既に本作のセリフを収録していたが、降板の決断をしたのはモリーナの降板に起因しているという。さらに、脚本変更によるセリフの再収録が頻繁に求められたことがフェレーラにとって負担になったことも大きいだろう。元ピクサーのアーティストは「アメリカは(モリーナがいなくなったことで)作品の指揮を取る人たちの中にラティネックス(ラテン系のジェンダーを特定しない形式:“Latinx”)の代表者がいない状態になったことに憤慨していました」。(なお、フェレーラとモリーナはコメントの要請に応じなかった。)
ピクサーは2024年を好調な成績で締め括った。『インサイド・ヘッド2』が世界興行収入で16億ドルを突破し、その年の最も成功した映画となった。さらにスタジオは『ファインディング・ニモ』や『ウォーリー』などのヒット作でアカデミー賞監督賞を受賞したアンドリュー・スタントンがピクサー史上最高の興行収入を誇るフランチャイズの最新作『トイ・ストーリー5』の監督を務めると発表した。スタジオは引き続き主力キャラクターの続編制作を優先している。しかし今後数ヶ月間を覆う懸念材料は『星つなぎのエリオ』の行方でした。オリジナル作品として一般認知度が高くなく、さらに公開が大幅に延期されたためだ。
メディアの報道ではその制作予算が150億ドルと報じられているが、元ピクサー従業員はハリウッドレポーターに対し、当該作品がそれよりもはるかに高額なコストをかけていたと述べている。『星つなぎのエリオ』に携わったアーティストは具体的な数字は知らないものの、モリーナのバージョンがほぼ完成していたことを考慮すると200億ドルを優に超える額だったと推定しており、彼女はこれが「惨憺たる興行成績」をさらに悪化させたと述べている。他の元ピクサー社員と似たテーマを指摘する中で、そのアーティストはシャラフィアンとシーが、その状況下で会社の上層部に可能な限りの最高の映画を提供するために全力を尽くしたのだと強調している。
『星つなぎのエリオ』の制作は、ピクサーと関わりがある人たちにとって複雑な感情を引き起こし、同社が多様性を優先する意図があるのか疑問視する声が高まっている。ドクターは2024年のインタビューで、スタジオは「最も共感できる映画(most relatable films)」を制作すべきだと指摘し、これがマイノリティのキャラクターや声の排除を主張するものであるとして受け取られた。これらの発言は、2022年に当時のディズニーCEOだったボブ・チャペックがフロリダ州の いわゆるDon’t Say Gay法案への対応を批判された直後に発せられたものだった。加えて、トイ・ストーリーのスピンオフである『バズ・ライトイヤー(LIGHTYEAR)』は2023年に公開され興行成績不振に終わった。これは右派の評論家が、同作の同じジェンダー同士のキスシーン(same-gender kiss)を巡って騒動を巻き起こしたためだ。また、ピクサーの配信シリーズ『ウィン・オア・ルーズ』は今年初めにディズニープラスで配信開始されたが、トランスジェンダーのストーリーラインが削除されたことで物議を醸した。

しかし、『星つなぎのエリオ』のクィアなテーマを控えめに扱うと言う決定は、本当に親会社であるディズニーから出たものだったのだろうか。内部関係者たちはそうは思っていないようだ。「多くの人たちがディズニーのせいにしたがるが、その指示は社内の関係者から出ています」とアーティストは述べる。「その多くは、ピクサーの上級幹部からくる「事前に従っておく(obeying-in-advance)」行動です。」そう述べた人物は来年公開予定のアニメーション映画『私がビーバーになる時(Hoppers)』が環境保護のテーマを控えめにしなければならない例を挙げ、さらに初期開発段階のある映画が驚くべき支持を受けたことを明かす。「その監督は「この映画に離婚のシーンは入れられない」と指示されたんです。驚くべきことです。」一方、このプロジェクトに精通した別の関係者は、これが重大な干渉であるとする主張を否定して、このような提案は初期開発プロセスではよくあるものであると指摘しており、離婚を禁止する命令はなかったと付け加えている。
スタジオは、『星つなぎのエリオ』が、出足が遅かったものの最終的に利益を上げた作品である2023年の『マイ・エレメント(Elemental)』と同様劇場興行成績を上げることを期待しているが、現在はすでに来年に注目が集まっている。3月に公開される『私がビーバーになる時』の成績がオリジナル作品のパイプラインの評価となる一方で、夏に公開予定の『トイ・ストーリー5』に対する期待は天文学的な高まりを見せているからだ。
『星つなぎのエリオ』に携わった元ピクサー社員は、スタジオが「48時間ハッカソン」を計画し、従業員が自由にクリエイティヴなアイデアを追求できる機械を整えた点を評価している。しかし、これらのセッションが実際にプロジェクトやコンセプトとして実現するかどうかは別問題である。一方で『星つなぎのエリオ』の制作プロセスにおける苦悩は、映画の辿った軌跡がある種の反面教師となったのを目の当たりにしたクリエイターたちにとって今もなお胸を締め付けるものであり続けている。「ピートや他のディズニー幹部に、脚本の書き直しに価値があったかどうかぜひ聞いてみたいですね」とアーティストは言う。「エイドリアンに元の物語をそのまま語らせるだけで済ませていれば、これほどの額の大損を被ることはあったでしょうか。」
(記事翻訳ここまで)
おわりに
実際に何が起こったかは、我々はこれらの記事から推測することしかできませんが、映画を見た人の多くが思うように確かに他のピクサーの作品よりも「薄味」な理由がよくわかる裏側だなと思いながら読みました。ピクサーの作品は、常々語られているように物語を語る監督自身が自らの経験や実感に基づいてその人生哲学を作品に落とし込んでいくからこそ、小さな話であってもとてもリアリティや真実味のある真に迫るドラマであると言う魅力があり、それこそが多くの人の心を動かしてきました。むしろ今回の作品は「完全に何についてでもない映画」になったからこそ、ある種「絵本らしい」側面もありそこが魅力にも感じられなくもないと言うことは指摘しておく必要がありますが、それでもこの背景を知ると心が痛みます。
ピクサーの従業員でゲイを公表しているハンター監督が作った短編『殻を破る(OUT)』のような作品を出していた時期からは打って変わって、トランスジェンダーのプロットを大幅削除した『ウィン・オア・ルーズ』の騒動に続いてこれです。
2024年の『インサイド・ヘッド2』公開に合わせて来日したピート・ドクターCCOに私がインタビューさせてもらった時には、
私が思うに、観客を驚かせ続けるための最善の方法は、さまざまな背景を持つ人たちが前に出て、その人ならではのユニークな物語を語るようにすることです。そしてその物語を、同じ立場にいない人にとっても意味のあるものにしたいのです。
と語っていましたが、この語りの裏で起こっていたことを知ってしまった今、このインタビューをどのように再解釈すれば良いか、悩ましいところです。
なんにせよ、こんなトラブルを感じさせないような作品までには仕上がっていることに、ピクサーの底力を同時に感じる部分もありますが、次の『私がビーバーになる時』以降のオリジナル作品にも不安と同時に期待を寄せていきたいと思います。
なお、『ウィン・オア・ルーズ』についてはトランスとして生きる経験を持つ漫画家のまんまるいちかさんにお話を伺った動画を公開していますのでぜひそちらをご覧ください。