ikyosuke 作品分析

映画、ミュージカル、音楽、自分が好きなものを分析して語ります。

Ralph Breaks the Internet (シュガー・ラッシュ・オンライン)考察 [ネタバレあり]

概要

この記事では、『Ralph Breaks the Internet(邦題:シュガー・ラッシュ・オンライン)』のネタバレを含みながら、そのストーリーをディズニーの「プリンセス・ストーリー」という文脈に位置付けた時にどのようにアップデートされているかを分析・考察していきます。

 

分析のアウトライン

1)友達(親友・バディ)像

  • 「信頼」があれば、離れていても大丈夫

  • 夢を応援してくれない、相手を束縛するのは「友情」じゃない

2)プリンセス像

 書き換えられる部分

  • 「夢」は変更していい

  • 「ホーム」には帰らなくてもいい

 温存される部分

  • 自分のハンドルは自分で握る:「夢=自由」

  • 「I wish song」を歌う でも歌えるのは自分の心からの望みだけ 与えられた使命ではダメ(Moana)

3)ヒーロー(=BIG STRONG MAN)像

  • 「You’re welcome」は危険のサイン(Moana)

  • 常に相手を幸せにするのが自分の役目だなんて勘違いすべきではない

4)ヴィラン

  • 誰もがヴィランに成りうる(Frozen・Maleficent)

  • 物語の構造としても「ヴィラン」は出てこない世界観(Moana)

5)魔法使い像

  • 衰退する「魔女」「魔法」「真実の愛のキス」(Brave・Frozen)

  • 都合のいい「魔法のような手段」は存在しない→問題には自分で地道に向き合うこと(Brave・Frozen)

 

(物語の大筋を既にご存知の方は、スクロールしていただいて「続きを読む」以降の分析のみお読みいただくこともできます。)

 

物語の大筋

まずはざっくりとストーリーを3幕に分けて、それぞれの段階でのラルフとヴァネロペの軸となる思考をまとめると次のようになります。 

初期状態

ラルフ:「ヴァネロペが一緒にいてくれれば他には何もいらない」<ヴァネロペ依存症>

ヴァネロペ:「シュガーラッシュは退屈、もっと自由で刺激のある新しい世界に行きたい」<典型的なプリンセス願望> 

ACT1

ラルフ:「ヴァネロペを喜ばせるにはハンドルを手に入れるしかない、そうすれば元の生活と元のヴァネロペが戻ってくるはず」

ヴァネロペ:「自分のホーム(=シュガーラッシュ)、自分のあるべき姿(=レーサー)を取り戻すためにハンドルを手に入れなきゃ」

ACT2

ラルフ:「ヴァネロペを喜ばせるにはハンドルを手に入れるしかない、そのためならどれだけ痛い目にあっても、どれだけネットで誹謗中傷されても構わない」

ヴァネロペ:「外に広がる広大な自由な世界を知ってしまった、自分の居場所は本当にシュガーラッシュなの?」 

ACT3

ラルフ:「ヴァネロペをシャンクに奪われてちゃう!居場所を勘違いしているヴァネロペを自分が救ってあげないと」

ヴァネロペ:「ラルフには言いづらい、だけど見つけてしまった自分の居場所、もう元いた場所には戻れない」

  

分析のアプローチ

この作品、とにかく扱っているメッセージが多すぎるので自分の中でも要素に分けて整理してみようと思いました。

 

劇場を出た直後のツイートで、私は次のように書きました。

「もともとヴィランズを別視点から見て、再定義しようというとこからスタートしたシリーズ

Ralph Breaks the Internetでは、プリンセス像、ヒーロー像、ヴィランズ像、魔女・魔法使い像といったディズニーが扱うメインのものを一斉に書き換えようという試みに見えた 大革命ではないけど、多分現時点での集大成か」

 

そこで今回は、

メインテーマであり全体を通して描かれる

1)友達(親友・バディ)像

に着目しながら、まずはストーリーをなぞり、その上で

2)プリンセス像(主な比較対象:モアナ)

3)ヒーロー像(主な比較対象:マウイ)

4)ヴィランズ像(主な比較対象:エルサ、マレフィセント、テ・フィティ)

5)魔女・魔法使い像(主な比較対象:『メリダとおそろしの森』の魔女)

がどのように従来の姿から書き換えられているかを分析していこうと思います。

また、描くかとみせかけて描かない、

6)子育てをする「理想の親」像

についても最後に少し触れようと思います。

  

1)友達(親友・バディ)像

- 依存から信頼へ:自分の中の「insecurity」の解消は自分でするしかない -

 

ACT1:

シュガーラッシュで起こることはすべて把握してしまって毎日同じことしか起こらないシュガーラッシュはつまらない、もっと刺激が欲しいと思い始めるヴァネロペ。

一方、悪役としてプログラムされたせいでみんなから嫌われていたが一昨目でヴァネロペを助けたことで、唯一自分を気にかけてくれる親友ができ、彼女と毎日いられるならそれ以上の望みは何もないというラルフ。

コースが3つしかないことに不満を言ったヴァネロペを喜ばせようと、新しいコースを作ったところヴァネロペは喜んだけど、プレイしていた子どもは状況がわからず壊れたと思い強くひねってしまい、さらに取れたハンドルを戻そうとしたオーナーがハンドルを壊してしまう。

ebayに代わりのパーツがあるが生産終了済みの商品のため高値になっており、オーナーはゲームを破棄することに決め、ヴァネロペたちシュガーラッシュの住人は無職かつホームレスに。

つまらなかったとは言え、生きがいだったレースを失い、これから毎日何を過ごして暮らせばいいのか、と途方にくれるヴァネロペ。

一方ラルフは仕事しないで毎日親友の自分と遊んで暮らせるなんてパラダイスじゃないか、と。

ラルフのスイッチを入れてしまうのは、次の会話。

ヴァネロペ:If I’m not a racer anymore, then what AM I?

ラルフ:You’re my best friend!

ヴァネロペ:That’s not ENOUGH!

 

本作のキーワードは「insecure」。この時点でヴァネロペは居場所・ホームを失い、また生きがいであった仕事を失った結果、自分が何者であるかわからなくなっており、未来も見えないため非常に不安定:insecure になっています。

一方ラルフは、現状に満足しないヴァネロペを喜ばせようと思った結果、さらにヴァネロペを追い込んでしまったことに負い目を感じつつも、自分の親友であるだけでは足りないと言われたことで、彼女が何を求めているのか理解できず不安定:insecureになっています。

毎晩仕事帰りにヴァネロペと飲みに行くタッパーのバーでも、タッパーに「Insecure なのはどっちだよ。(むしろお前だろ?)」と言われる始末。

 

「ヴァネロペを喜ばせるにはハンドルを手に入れるしかない」と考えたラルフはヴァネロペを連れて新しく設置されたWIFIルーターを通ってインターネットの世界へ。

ebayに着いた時には、ハンドルの入札終了まであと30秒というところ。金額であることを理解せずにありえない額まで釣り上げてしまったラルフ。落札したものの支払いの手段がない二人は、24時間以内にお金を用意する方法として、ゲームのアイテムを奪ってきて売る商売をしているJPスパムリーのアドバイスで、Slaughter Race というオンラインレースゲームに忍び込み、ボスキャラであるシャンクの車を奪おうとしますが、捕まってしまいます。

シャンクは、ヴァネロペのレースの才能を褒めた上で、ネット上でお金を稼ぐもっといい方法としてBuzzzTubeを紹介してくれます。

BuzzzTubeにおいては、視聴者がハートを送るとそれがお金に換算されるという仕組みになっており、広告収入云々のないシンプルな仕組みになっています。BuzzzTubeのキュレーターを務めるアルゴリズムであるイエスの助けの元で、ラルフが出演する動画を撮り一気に再生回数が伸ばして一晩でハートを集めまくります。

ヴァネロペはそれを助けるために、ポップアップ広告を持って宣伝をして回ることにします。

でもラルフは動画を撮り続けなきゃいけないのでそれは離れ離れになることを意味します。

ラルフが言うには、「僕らは靴と靴下みたいに一緒じゃ無いと成り立たない関係なんだ!」ろ。

ヴァネロペは、「だからこそ一瞬くらい離れても大丈夫なんだ」と主張しますが、それに対しラルフは

「お前は kid (ラルフが通常ヴァネロペに対して使う呼び名としての意味と、子どもという文字通りの意味が重なっている)なんだから、迷子になったらどうするんだ?」と。

ヴァネロペが「じゃああんたは大人なの?」となじるとラルフは「少なくとも大きいし。」と。(BIG STRONG MANのフラグ)

結局イエスが専用のブラウザ(=乗り物)と、連絡を取り合うBuzzzFace?という正方形の折りたたみ式スマホみたいな端末を二人にくれる、ということでラルフは了承。

別れ際に、

ラルフ:We’ve never been a part for 6 years. I’m going to miss you.

ヴァネロペ:You’ll be fine. If your video goes viral we can get home! (この時点ではヴァネロペは、シャンクやSlaughter Raceに惹かれつつも、まだシュガーラッシュに帰ることがゴール。)

ラルフは見送った後で、イエスに行き先を確認するとゲーム地区に送ろうとしていることが発覚。

地図で目に入ったのは紛れもなく「Slaughter Race」。

ラルフは「危険だから」と言って「Family Friendly」なサイトの方がいい、なんなら事実上はプリンセスな訳だしこのお城のマークのとことかどうかな?ということで OhMyDisney.com へ行き先を変更。プリンセスたちの元へ導いてしまったのも実はラルフが原因を作っているという。

 

ここまでが前半。多分時間にしてもここまが半分くらいだったのではないかと思います。

このように本作の前半では、「現状に満足しない」親友ヴァネロペを喜ばせるために翻弄するラルフの姿が一貫して描かれます。

また、ヴァネロペのことを信用していない、一人前の一人の「大人」として扱っていない、どこかで保護してあげなきゃという思いが働いてしまっている様子が上手く描かれます。

ジェンダーも反映されていると思う一方で、いわゆる友達や恋人同士、また親子関係としても当てはまるような多様な読みが可能な描き方になっているのが秀逸。

 

ACT2:

ヴァネロペは OhMyDisney.com でラルフの動画へユーザーたちを導くポップアップ広告を持って宣伝活動をしていると、警備員であるストームトルーパーたちに捕らえられそうになる。逃げ込んだ先はプリンセスの楽屋。

警戒するプリンセスたちに対して彼女は自分が設定上のプリンセスであることを言いますが信じてもらえません、しかし彼女がプリンセスであると認めてもらえた要素が一つだけありました。それは、「力持ちで体の大きい男のおかげで問題が解決したと思われている」ことに対する反発心。

ヴァネロペを受け入れてくれたプリンセスたちは、シンデレラの友達であるネズミたちに頼んでヴァネロペが着ているのと同じ、ガウンよりも着心地の良さそうな部屋着に着替えます。アリエルがこういうシャツが着て見たかったという想いを Part of Your World に乗せて歌うと、スポットライトが当たり伴奏が流れてくるのを見て、ヴァネロペが質問すると、ティアナが「プリンセスが自分の夢を歌う時にはこうなるの」と。

本当に今欲しいものについて歌ってみたらと促されたヴァネロペが「ハンドル(Steering wheel)」の歌を歌おうとしても何も起きない。ムーラン、ポカホンタス、アリエル、モアナ、白雪姫、シンデレラが言うには「重要な水面を見つめていないと歌が出てこないかもしれない」と。

 

一方、イエスと一緒に動画を作り続けているラルフ。あと30分というところでアップロードが止まってしまい、間に合わないかもしれないと思ったラルフは、半ば強引にハートを集めに行きます。その途中で「コメント欄」という場所に足を踏み入れてしまいます。

そこで目にしたのは、ハートの数にも関わらず、「ラルフの動画はアホ」「馬鹿っぽい」「太ってて醜い」などたくさん書かれている誹謗中傷のコメント。

「ネットにおける一番大事なルールはコメントを見ないこと。これはあなたの問題じゃなくて彼らの問題だから(First rule of the internet, DO NOT READ COMEENTS. It’s not about you, it’s about them!)」となだめるイエスに対してラルフは「俺はもともと嫌われ者だったから気にならない。ヴァネロペが俺のことを好き(like)でいてくれるなら、他の人なんていらない。ヴァネロペがくれたこのハート(=「YOU’RE MY HERO」メダル)だけが本当に重要なんだ。(つまりBuzzzTubeのいいね=ハートは手段でしかなく、同様にコメントも別に重要な問題では無い、と。)」

このセリフは一見潔くて美しいようでいて、ラルフの不安定さを非常によく表しています。

「ヴァネロペが好きでいてくれる限り」といいつつも彼の本心は、「ヴァネロペがいつ何時も自分と一緒にいてくれる限り」なのでしょう。

 

この時点でラルフは必要だった額以上のお金をBuzzzTubeを通して稼ぐことを達成。

ヴァネロペにBuzzFaceで連絡を入れると、ヴァネロペは水面に向かって歌が出てくるのを待っているところでした。

嬉しい報告にヴァネロペは一瞬喜びますが、ラルフの「Finally our life goes back to normal!」というセリフで表情が曇ります。

本当に自分が望んでいることはなんなのだろうか、と考えていると自然と歌が口から出て来て、ラルフがなんて言うかは不安だけど、自分のいるべき場所は「Slaughter Race」なんだと確信。

 

無事にシュガーラッシュのハンドルの支払いは完了し、ゲームセンターに発送されることに。しかし約束したはずのヴァネロペの姿が見当たりません。ラルフが再び連絡を入れてもヴァネロペはシャンクと話し込んでいて気づきません。バイブレーションで落ちた反動で通話状態になってしまい、さらにヴァネロペ側はサイレントモードに設定されていたため、ラルフからだけ一方的に会話が聞ける状態に。

ここで再びラルフのスイッチを入れてしまった、ヴァネロペとシャンクの会話。

 

ヴァネロペ:「ラルフに言えないことなんだけど、正直ここに着た瞬間からシュガーラッシュよりも自分のホームだって感じたの。これこそ私の夢なの。何が起こるか本当にわからない。でもラルフの夢は毎日同じことをすること。」

シャンク:「私が何年も前に学んだことを一つ教えるなら、友達同士が同じ夢を見なきゃいけないっていう決まりはどこにもないってこと。生活が元に戻ったら、いつでもここに遊びにきていいよ。」

ヴァネロペ:「元に戻る(go back to normal)なんて望んでない。ここにいることこそが私の望みなの!」

言葉も出ないラルフはここで通話を切ります。

 

ACT3:

ラルフは、「ヴァネロペは俺の親友なはずだ。自分の知ってるヴァネロペは絶対に俺を見捨てたりなんてしないはず。ヴァネロペはシャンクに洗脳されたんだ。」と考えます。

ラルフの中では「Slaughter Race = ヴァネロペにとって確実に悪影響のあるゲーム」という位置付けなのです。

ウイルスで「Slaughter Race」の進みを遅くしてつまらなくさせればヴァネロペは帰ってくるだろうと考えたラルフは、最初にお金の稼ぎ方を紹介してくれたJPスパムリーに頼んで、ウイルスの手に入るダークネットへ向かいます。

ウイルスメーカーのダブルダンにゲームをつまらなくするようなウイルスを売ってくれるように頼むと、「アーサー」というゲームの中における不安定な(insecure)プログラムを見つけてそれを複製しまくる、彼の言うところの「insecurity virus」を紹介される。ラルフが確認するとゲームの中にとどめている限りは誰も傷つくことはないとダブルダン。

 

ヴァネロペは、「Slaughter Race」に残り、シュガーラッシュには帰らないことをまだラルフに伝えていません。シャンクに促されつつも、ラルフにその決断を伝えることで拒絶されるのではないかという不安から、踏み出せずに言います。それが彼女の心境をinsecureにしており、勝手にglitchする症状が発生しています。

そのため、ラルフが実際にアーサーを放ったところ、ヴァネロペのinsecureをコピーし始め、Slaughter Race内のあらゆるものがglitchし始めます。

ウイルスが検知されウェブサイトがリセットされようとしている中、異変を察知したラルフが間一髪でヴァネロペを助け出します。

この時点でラルフはヴァネロペにとってはある意味ヒーロー。

ラルフは自分がしたことを正直に説明しようとしますが、ヴァネロペに盗み聞きしたり、ウイルスを持ち込んだりしたことを咎められると、お前もシュガーラッシュや俺のことを見捨てようとした以上責任はあるじゃないかと怒鳴ってしまいます。

ヴァネロペはこんなことをするなんて酷いといって、「YOU’RE MY HERO」メダルをインターネットの奥底へ捨ててしまいます。

ヴァネロペを救出する際に破ったファイアーウォールの穴からアーサーがインターネットに抜け出し、ヴァネロペを失ったことで取り乱しているラルフのinsecurityを検知し、無数に複製し続けます。

この過程でラルフのクローンが大量に生成されインターネット中を破壊し始めます。

 

ヴァネロペと合流したラルフは、検索エンジンのノウズモアからアンチウイルス地区へクローンを導けば一瞬で全てを消去できると知らされます。

エスのパーソナルブラウザでクローンラルフたちを導きながらアンチウイルス地区へ急ぐ一行。

ラルフはゾンビのようにヴァネロペを追いかけ続ける大量のクローンを見ながら「こうしてみると自分がどれだけヴァネロペに固執して自暴自棄になっていたかがよくわかる」と呟きます。

 

でも最近のディズニー作品では当然そうであるように、他人の力を頼った解決方法はうまくいきません。

アンチウイルス地区にたどり着く直前で、クローンの大群に襲われてPinterestビルに突っ込みます。

ヴァネロペとイエスを逃してラルフが一人でクローンの大群が形成したジャイアントラルフと闘いますが、勝ち目はありません。

ラルフは振り払われて、ヴァネロペはジャイアントラルフに捕まってしまいます。

ジャイアントラルフはヴァネロペを捕まえると、インターネットの世界で一番高いGoogleの頂上に登り、満足そうにヴァネロペを眺めます。

ラルフが再び攻撃を仕掛けると今度はラルフを握りつぶそうとするジャイアントラルフ。

ヴァネロペはその状況に耐えかねて、「私の親友を殺さないで!私が唯一の友達になってずっと一緒にいれば満足なんでしょ?」と叫ぶ。

それを聞いたホンモノのラルフは、「そんなこと自分は望んでないはずだ!友達っていうのはそういうものじゃない!友達なら夢を応援してあげるべきだ!確かに彼女を手放すのは心が痛むかもしれない、でも大丈夫。どんなに離れても親友は親友でいられる、信用しあってさえいれば!」そうジャイアントラルフに言い聞かせます。

斯くしてラルフの心のinsecurity:不安が解消されると、ジャイアントラルフは心臓にあたる部分から消えていきます。

 

ジャイアントラルフが消えて足場がなくなったラルフ。

JPスパムリーが助けに来ますが、ラルフは重すぎて彼のポンコツなブラウザでは強度が足りずすり抜けてしまいます。

下で見ていたプリンセスたちがラルフを助けようと試みます。

モアナが波を作り、アリエルが螺旋状にかたちづくり、ジャスミンのカーペットに乗ったエルサが(まるでインクレディブルのフロゾンのように)凍らせて滑り台にし時間を稼ぐ。

その間に、ラプンツェルの髪の毛をオーロラが糸車で編み込んで、シンデレラのネズミたちがが複数のガウンを縫い付けることでパラシュートを作り、ベルがバットで打った白雪姫の毒林檎をムーランが四等分にしその爆発でパラシュートが開くようにします。完成したものをメリダの矢で飛ばして、白雪姫のガウンを着せることで意識を失ったラルフにうまく装着させ、ポカホンタスの起こした風でベッドのある場所に着地させます。

白雪姫のドレスを着たまま意識のない状態のラルフに対し、ティアナがカエルの姿のナヴィーンにキスをさせて目覚めさせます。

 

ヴァネロペは再起動したあとの「Slaughter Race」にコードも組み込んでもらい、死んでも再生するように設定してもらった上で、「Slaughter Race」を新たなホームにすることにします。

ラルフは、「割れちゃったけどそのおかげで半分ずつ持っていられる」といって、ヴァネロペが投げた際に割れてしまった「YOU’RE MY HERO」メダルの半分を渡します。二人はお互いが見えなくなるまで手を振り続けます。

 

ラルフは、ヴァネロペと過ごす時間が減った分、読書会に参加したり、他のゲームのメンバーを招いてパーティーをしたり、いろいろな人と関わるようになりました。

そして次の電話は、ヴァネロペがしてくるまで待つ、と。

これまでのディズニーにおけるバディものは、ピクサー作品も含めて一緒にいることがとにかく大事でした。それを離れていても信頼し合っていれば大丈夫というところに昇華させた点はバディものとしてのディズニー作品をアップデートさせた点であると言ってよいでしょう。

 

 

2)プリンセス像

何がジョークとして笑い飛ばされて、何が温存されるか

 

①もはや過去のものとなったプリンセスらしい要素

“Ladies, I’m a PRINCESS, too!” — Vanellope

“What kind of princess ARE you?” — Pocahontas

 

ヴァネロペがシュガーラッシュというゲームにおける設定上のプリンセスであることは一昨目の最後に明かされました。

しかし彼女は自分らしくないからといってドレスは脱ぎ捨ててしまいます。

彼女が OhMyDisney.com のプリンセス楽屋に迷い込んだ時、警戒するプリンセスたちに対して彼女は自分が設定上のプリンセスであることを言いますが信じてもらえません。

プリンセスたちがヴァネロペに確認するプリンセスらしさを規定する事項を、彼女たちがヴァネロペに尋ねた順にリストします。

 

<ヴァネロペが当てはまらないもの(会話に出てきた順)>

ラプンツェル:魔法の髪 Magic hair

エルサ:魔法の手 Magic hand(まぁ細かく言えば手だけではないが) 

シンデレラ・ポカホンタスジャスミン:動物と会話する Do animals talk to you?

白雪姫:毒を盛られる Poisoned

オーロラ・ティアナ:呪いをかけられる Cursed

ベル・ラプンツェル:誘拐される・監禁される Kidnapped / Enslaved

アリエル:魔女と契約して脚の代わりに声を奪われる 長いので原語は省略

白雪姫:真実の愛のキス True Love’s Kiss

ジャスミン:父親との揉め事 Daddy issue

白雪姫・シンデレラ・アリエル・ベル・ジャスミンポカホンタス・アナ・エルサ:母親がいない・早くに亡くなった Don’t have Mom

 

これらは、ヴァネロペには当てはまりませんし、真実の愛のキスに至ってはヴァネロペに「Ew… Barf!(うぇっ、吐くわ!)」とまで言われてしまいます。

つまり従来プリンセスを規定する要素だと思われてきたものについて、ヴァネロペをテストする形を通して否定していると読むことができます。

 

②プリンセスであることの条件

「BIG STRONG MANに助けられたと思われている」プリンセス像に対する反発

 

<ヴァネロペが唯一当てはまったもの>

ラプンツェル:力持ちで体の大きい男のおかげで問題が解決したと思われている

 

“And now for the million-dollar question. Do people assume ALL your problem got solved because a BIG STRONG MAN showed up?” — Rapunzel

“Yes! What is up with that?!” — Vanellope

“She IS a princess!” — ALL

 

これが当てはまったことでヴァネロペはプリンセスとして認められる。

2018年時点において、「プリンセス」であることの条件はこれなのです。

Big strong は Masculineに言い換えられるでしょうから、この OhMyDisney.com にいるプリンセスたちにとって、自分たち対する他者からの認識は「<プリンセス=助けてもらう側>というFemininenな像として見られている」ということがわかります。

ここには、自分たちの手で解決しもはや男性を必要としなかったアナやエルサ、メリダたちも一緒に首を縦に振っているので、これは事実どうであるかということよりも、一般的な認識として、プリンセスはそういうものと捉えられているという状況に対する反発だと読み取れるでしょう。

 

そして、当然これをラプンツェルが言うのはしっかり筋が通っています。

別にそれは、彼女がCG時代の、またラセター体制下におけるプリンセスの先駆けであったからというだけではありません。

むしろ彼女は「自由」を掴むために冒険し、「男性」の力も借りて「育ての親」を倒して「実の親(ロイヤル)」の元に戻るという点で、初期プリンセスと90年代プリンセスの要素を混ぜただけとも見ることができ、その点において本編自体の物語の構造や展開はあまり刷新されなかったとも読めます。

けれども、本編終了後に始まったラプンツェルを主人公とするテレビシリーズ「Tangled the Series (ラプンツェル・ザ・シリーズ)」では、オープニングソングのタイトル「Life After Happily Ever After」に表現されるように、これまでの「ロイヤルになって(戻って)幸せに暮らしました」という終わりは本当のエンディングではないということを強調しています。dpost(2018) さんの言葉を借りれば「最新のディズニープリンセスは、そこからがスタート」なのです。

dpost.jp

つまり、2018年時点におけるラプンツェルとは「これまで思われてた像とは本当は違うんだ」ということを自ら体現しているプリンセスの代表と考えられます。

(まあこのシリーズも彼女の髪の毛が戻ってしまった点については賛否がありますがここでは踏み入れないことにして)

であるからこそ、このセリフを彼女が言うことに意味があるのだと思います。

 

さらに、「Happily Ever After」という言葉に着目すれば、ラルフとヴァネロペが冒頭でワイファイルーターに入って行く時、ラルフは次のようなセリフを言います。

「インターネットに行って、代わりのパーツを見つけて、シュガーラッシュが破棄される予定日より前に届けてもらえれば、ゲームは直って全ては元通り。Happily Ever Afterだ!」と。

ラルフにとっての Happily Ever After がもと通りの生活に戻ることであることが強調されるとともに、結果として代わりのハンドルが手に入った(従来の「ハッピーエンド」)の後でようやく「I wish song」が歌われ、そこから物語が佳境に入る(=ヴィランが姿を表す)という展開は、まさに「Life After Happily Ever After」的世界観を示していると言えるでしょう。

 

③モアナの先をゆく最新のディズニープリンセス:ヴァネロペ・ヴォン・シュウィーツの誕生

『Moana:モアナと伝説の海』では、ありたい姿を決めるのは自分であり、与えられた使命を果たすのではないというメッセージが「海に選ばれた少女」から「自ら向かう少女」への転換という形で描かれましたが、そのアップデート版がヴァネロペを通して描かれます。

「シュガーラッシュを救うハンドルを手に入れる少女」から「自分の新しいホームを見つけに行く少女」への転換として。

 

これ、現時点で最新のプリンセス像であるモアナをさらに書き換えようとしているのです。

モアナが新しかった理由は dpostさんが2016年の記事でも書かれているように、「向かう方向は『呼ばれた場所』と同じであったとしても、自らの内なる言葉で表現できないうちは "足りない”」(dpost, 2016)からこそ「I am Moana」と自らを定義することによって、「与えられるのではなく、自らが望み、自らを定義し、知る」プリンセス像を描いた点にあります。

 

dpost.jp

 

ただし、モアナの場合は、結局呼ばれた方向と同じところへ行くことを自ら決断することでゴールへ辿り着き、しかも対立していた家族の元へ戻り、さらに無言のうちに受け入れるというまさにラプンツェル的エンディングを迎えてしまう点は刷新しきれなかった部分とも言えます。

 

それに対して、今作のヴァネロペの場合は使命であるシュガーラッシュのハンドルを救って「ホーム=シュガーラッシュ」へ帰ることは本人の望むゴールではないことに気づきます。

この辺り、夢や目標が変わるということが描かれているのもディズニーとしては新しいのではないでしょうか。

そして、この夢や目標が冒険の道中で変わってしまうということが、無垢で一途なラルフの心を惑わせてしまうというのも憎い。

まとめると、モアナからの最大のアップデートは、ヴァネロペが「夢を変更するプリンセス」そして「ホームに帰らないプリンセス」になったこと

 

④ヴァネロペの求める自由とは何か:「Steering Wheel:ハンドル」とは

他人の指示に従うことが「仕事」である Sugar Rush と 「仕事」においても自分のことは自分で決められる Slaughter Race の対比

 

一作目で明らかなようにアーケードゲームのキャラクターたちは、基本的にプレイヤーの操作に従って動きます。

当時最新だった Hero’s Duty ではプレイヤーが動かすものはキャラクターでなくカメラのようなものになっていましたが、それの進化系は今作のインターネットで再現されるネットユーザーのアバターです。

この世界ではインターネットの中をユーザーに似たアバターが歩き回ることでいろいろなウェブサイトを訪れます。

オンラインゲームである Slaughter Race にログインすると、そのネットのアバターが Slaughter Race 専用のアバターに変身します。

つまりSugar RushとSlaughter Raceの最大の違いは、ゲームの中のキャラクターが、Sugar Rushではプレイヤーの分身として動かなきゃいけないのに対し、Slaughter Raceでは全員自分自身として自由に動くことができるということです。

 

そもそも今作の冒頭でハンドルが壊れてしまったのは、プレイヤーが曲がろうとした方向と、ヴァネロペが曲がろうとした方向が逆だったため、プレイヤーが壊れたと思い込み力づくで回してしまったからです。

本来Sugar Rushのようなゲームのキャラクターはプレイヤーに従うのが仕事ですから、ヴァネロペはある意味でルールを破ってしまっているわけですが、それだけ自由になりたいという気持ちが強かったという現れとも見ることができます。

もちろんアーケードゲームのキャラクターが自由に動き回れる時間はあります。それはアーケードが閉じた後、つまり仕事が終わった後です。

でもSlaughter Raceのようにプレイヤーはプレイヤーで自分のアバターになって動いている世界では、ゲームのキャラクターは他人の指示ではなく自分の意思で動き回ることができ、それこそが仕事なのです。

自分で自分のことは決められず、他人にしたがってその通りに動くことが仕事の世界にいたヴァネロペが一度その自由を知ってしまうと、もう他人の指示に従うことが仕事であるシュガーラッシュに戻ることなんて自ら不自由になりに行くことに他ならないのです。

そして、代わりのハンドルが手に入るということは、彼女にとっては再び手錠をかけられるようなもの。

 

Slaughter Race という自由な世界を目にし、プリンセスたちに本当に自分が望む夢を追いかけることの大切さを諭されたヴァネロペは、ハンドルが手に入ったと聞いたのに少しも嬉しい気持ちにならない自分の姿のリフレクションを水面に見て、ふと思うのです。そして歌い始めます。

 

⑤最新のプリンセスも “I WISH SONG” を歌う でも歌う(歌える)のは新しい夢、自分の夢だけ:Place Called Slaughter Race

従来のプリンセス的要素を大量にネタとして笑い飛ばした一方で、温存された要素もあります。

それは、「I WISH SONG」を歌うということ。

今作では、ヴァネロペが歌う「The Place Called Slaughter Race」というナンバーが唯一劇中歌として組み込まれていますが、

これはアラン・メンケンによる完全なるこれまで彼が作ってきたプリンセスソングのセルフパロディになっています。ビジュアル的にも音楽的にも。

ヴァネロペとシャンクが二人で月に向かって雲の上を駆け抜けるまさにほぼWhole New Worldみたいなビジュアルのシーンもあれば、Part of Your World、Beauty and the Beastや、Whole New Worldの曲の最後にある、フルートによる装飾なんかも完全に再現されてます。

 

今回興味深かったのは、「先輩プリンセス」たちによって強調されていた2点の扱い方。

本当に自分が心から望んでいる夢でないと歌が歌えないのだという点。

そして全員ではないが一部のプリンセスにおいては、自分にとって重要な水面を見つめて、自分が反射している時にしか歌が出てこない可能性があるという点。

前者は、一つ前の項で書いたように、誰かに与えられたものではなく、自分自身の夢を追うことの大切さを強調することに一役買っています。だからこそ、シュガーラッシュのハンドルが欲しい、という歌は機能しなかったのです。ベルには、「そのハンドルっていうのは何かのメタファーなの?」とか言われる始末。

後者は、まあ正直ほぼネタみたいなものですが(笑)文字通りReflectionが曲のタイトルであるムーラン。白雪姫は願いの井戸、シンデレラは掃除中の石鹸の泡、モアナは「I’ve staring at the edge of the ocean」とそのまま歌詞になっている(笑)

ちなみにヴァネロペが眺めていたのは、コップで水をこぼして作った水たまりでした笑 ながめていたらいつの間にかSlaughter Race の場所へワープしているという演出でした。これは「important water」のリフレクションでなきゃいけないというルールももはやひっくり返しているということです。

つまり残ったのは、「本当に自分が心から望んでいる夢」でないといけないということ。モアナでも強調されたように、与えられた使命や他人の夢ではダメなのです。

 

Place Called Slaughter Race のシークエンスは、とにかくこれまでのアランメンケンソングのピースを Slaughter Race内で再現する形でできていて、もはやパロディじゃない部分を探すのが難しいくらい。これについてはまた別記事書きます。

 

3)ヒーロー(=BIG STRONG MAN)像

何が書き換えられるか・反転されるか 

危険のサイン “You’re Welcome”: マウイからモアナへの転換

結果としてみれば全ての発端を作ってしまったのはラルフ。

毎日が同じで退屈だと言うヴァネロペを喜ばせようと勝手に新しいコースを作ってしまったことが、プレイヤーの子どもを戸惑わせ、

ハンドルの破壊につながってしまったから。

 

それでも少なくともハンドルが壊れたと知るまでは、新しいコースを作ってくれたことに喜び感謝するヴァネロペ。

この際ラルフがヴァネロペに対して満足そうに言うのが、「You’re welcome!」。

当然連想されるのは『Moana』におけるマウイのナンバー。それも、ヒーロー(しかも過去の栄光)に酔ってる時点のマウイのナンバー。そのあり方が「真のヒーロー像」ではないということは作品を通して強調されていました。

 

冒頭のシーンでラルフは、新しいコースに喜んだヴァネロペに対して、ヴァネロペが一昨目でくれた「YOU’RE MY HERO」メダルを見せながら、「まぁヒーローとしての義務を果たしただけだよ」と自慢げに言います。

マウイにとっては体を覆い尽くす栄光の歴史を刻んだタトゥーがヒーローとしての証でしたが、ラルフにとっては「YOU’RE MY HERO」メダルがそれに値するのです。

ラルフの中で、「人(この場合は特定の人=ヴァネロペ)を常に喜ばせる存在でいないといけない」という義務感がいかに強いかということが、このメダルを通して象徴される演出は一作目からの繋がりとしては非常に秀逸。

しかし当然この直後ハンドルが破壊されたことがわかり、プラグが抜かれる=ゲームがなくなると言う展開を引き起こしてしまうわけで、これは「ヴァネロペのためを思ってやったのに逆の結果を引き起こしてしまうという出来事」の最初の一つとしてラルフの記憶に刻まれます。

表面的には「相手を喜ばせようとする」行為でもそれがあくまでも自分本位である可能性というのをこの作品は全体を通して伝えようとしていると思います。

 

そしてこの「You’re Welcome」というセリフは、終盤でプリンセスたちに救われたBIG STRONG MANことラルフに対してMoanaがいう形で再登場します。

しかもラルフが Thank you という前にいうところからしても、皮肉が感じられます。

『Moana』はヴィランは「ハート」を失った善なる者であることを Te Fiti / Te Kaa を通して上手く描き、「I’m not a princess!」というセリフにもあるようにモアナはあくまで「村長の娘」であると名乗り、すでにdpostさんを引用するかたちで書いたように、呼ばれる場所へ行くだけではなく「I am Moana」と自らを定義するプリンセスとして描いた点で先進的でしたが、それでもやはりマウイという男性に力を借りていた点が残念でした。

 

今作では、男性であるJPスパムリーは助けにならず、変わってガウンを脱ぎ捨てたプリンセスたちが助けるという風に、従来のステレオタイプ的なジェンダーロールをみごとにビジュアル的にひっくり返した後で、さらにモアナにたったひとことでそのポジションを反転させる演出は実に憎い。(笑)ヒーローぶっていたラルフを皮肉るという意味において。

 

3)ヴィラン

誰もがヴィランに成りうる世界:エルサ・マレフィセント以降のヴィランのあり方

一作目の『Wreck It Ralph』前後のプリンセス系の作品である『Brave(2012)』『Frozen(2013)』『Maleficent(2014)』に着目すると、プリンセスの描き方がアップデートされ、誰もがヴィランになりうるという点が追加されて描かれるようになりました。

エルサは、ハンス王子の「Don’t be a monster they fear you are」で表されるように自己防衛のために自分の力を使うことでモンスターになりかけていました。

マレフィセントは、欲に駆られたステファン王の行った悪行に対する復讐心によって闇に落ちていました。

しかしエルサはアナの「Act of True Love」によって、マレフィセントは自らがオーロラを愛していることに気づくことを通して、それぞれ自分自身を制御できるようになり、結果として自体を収拾します。

この二作におけるエルサとマレフィセントは、『マレフィセント』のエンディングのオーロラの語りの中で表現されるように「both hero and villain」であるというように描かれます。

つまり根っからの悪は存在せず、何らかの原因で、ある視点から見たときには「悪:ヴィラン」になってしまう可能性がある、という表現になります。(まぁピクサーはだいぶ前からやってたような気がしますが、これがディズニープリンセス系の文脈で描かれることが重要だった。)

善悪は相対化されたけど、いまだに残る「ヴィラン

ただし、エルサやマレフィセントヴィランにもなり得たけど結果としてはヒーローでもある、というように描かれるようになった一方で、ストーリーの中での「ヴィラン」はまだ登場していました。

それはハンスであり、ステファン王であります。

ピクサーの『Brave』でも独占欲の強かった王子が魔女の魔法を利用して熊・モルデューになったという形で描かれますが、彼が改心することはなく、ヴィランとして駆逐されてしまいます。

これらは、権力や名誉などといった欲求の強さが原因して「ヴィラン」となり、改心しないため駆逐されるという描かれ方であり、その点においては古典的なプリンセス作品で登場した「魔女」「継母」たちといったヴィランズと似た構造に置かれています。

 

つまりこの3作においては、「誰もがヴィランになり得る」よね、と善悪を相対化したように見せかけつつも、本質的に悪な存在として描かれる者が消え去ってはいないのです。

もはや真のヴィランなど存在しない『Moana』以降の世界

そしてそれが最終的に消される(といいきっていいか微妙ですが)のは『Moana(2016)』。

『Moana』では、モアナのゴールである「生命の源である全知全能の女神:テフィティ」にマウイによって盗まれた「ハート」を返しに行くことを阻む「マグマの悪魔:テカー」が一見ヴィランのように描かれますが、実はテカーこそが「ハート」を失ったテフィティの姿であった、というように善と悪が表裏一体だと表現されます。

これは「誰もがヴィランになり得る」という前3作の共通メッセージを踏襲しながら、ストーリーの構造における最終的なヴィランがその役割を果たすため、ハンスやステファン王のような駆逐される「ヴィラン」は登場しません。

モアナが描くのはもはや「ヴィラン」など存在しない世界なのです。

(もちろん途中で登場するカカモラをどう位置付けるか微妙ですが、彼らの意図がはっきりしない以上本質的なヴィランとは決め付けられないためここでは一応カカモラの存在はスルーすることにします。)

最大の敵は自分自身の心の中にある:"Wreck It Ralph 2" の"It"とは何か?:「自分の心は自分で溶かす」時代

今作においては、それらすべてが踏襲され、伝統的なヴィランは登場しませんし、ハンスや前作のキングキャンディのような裏切り系のヴィランも登場しません。最大のヴィランは自分の心の中に潜む「insecurity」であるとしてラルフ自身のクローンこそがヴィランとして描かれます。

テフィティ/テカーは主人公であるモアナが見つけるべき対象であり、あくまで他人でしたが、自分自身をテフィティ/テカーのようにしてしまった点が今作においてヴィランの描き方のアップデートされた点だと言えます。

 

自分においてもあり得た姿として描かれる悪というのは、ピクサーやプリンセス系でないディズニーの作品でも描かれていました。

一作目の、『Wreck It Ralph』でのヴィラン、キングキャンディはラルフのあり得た姿として描かれていましたし、

『Zootopia』でも、主人公のジュディのあり得た姿としてのベルウェザーが、駆逐される「ヴィラン」として登場します。

自分自身の心の中で肥大化した「insecurity」の分身であるジャイアントラルフを目の前にしたラルフは、イエスにヴァネロペを逃させる際、心配するヴァネロペに「I gotta deal with the man in the mirror.」と言い放ちます。

そうです、まさかのMJ。このセリフからもわかるようにこの時点でのラルフは変えなきゃいけないものが自分であること、そしてそうしない限りこの状況は打開できないことを認識しています。

Pinterestのサイトにあった巨大のピンのオブジェを持ち出して、ジャイアントラルフに飛び乗り、振りかざしていうセリフは "I’m gonna wreck it!”。

ここで 『Wreck It Ralph 2』 というタイトルが生きて来ます。ここまでは、『Ralph Breaks the Internet』というタイトル通り、インターネットでBuzzzTuberとしてブレイクしたラルフが、ウイルスとなって文字通りインターネットをブレイク:破壊する展開でしたが、それでは物語は終わりません。ラルフは彼の中のヴァネロペを失ってしまうかもしれないという不安、すなわち「insecurity」を打ちこわさなくてはいけません。

『Wreck It Ralph 2』の「it」は「insecurity」だったのです。

 

しかしジャイアントラルフはなかなか崩れず、Pinterestのサイトごと倒してしまいます。落ちそうになったヴァネロペをジャイアントラルフがキャッチし(ある意味で「救い」)手のひらに乗せて、インターネット上で最高峰の高さを誇るウェブサイト Google の頂上目指して登り始めます。

その姿はまさに、一人の女性に固執し、手放そうとせず、当時最高峰のエンパイアステートビルディングに登る King Kong。

 

ジャイアントラルフが、反抗するラルフを押しつぶそうとした時、ヴァネロペが親友を殺すくらいなら自分を犠牲にすると言った際に、ラルフはようやく本当の意味で目を覚まします。

それは自分が本当に望んでいることではないということに気づくのです。

そしてラルフがジャイアントラルフに対して、確かに彼女と離れることで心は痛むかもしれないけど、friendship はずっと一緒にいること、引き留めることではない、友達の夢を応援してあげるのが友達だ!と言い聞かせる、かたちでつまり自分との対話をします。

そしてラルフの心が晴れた時、彼の中のinsecurityの化身であるジャイアントラルフは「心」から解消していくのです。

まるでアナが自分の Act of True Love によって自分自信を救った時、心臓から氷解していったように。

自分自身の行動によって自分自身を氷解させたアナの姿と重なり、自分自身を変えられるのは自分自身でしかないのだというメッセージがうまいこと強調されています。

 

5)魔法使い像:「魔女」「魔法」「真実の愛のキス」

『Brave:メリダとおそろしの森』以降の魔女・魔法使いのあり方

伝統的なプリンセスストーリーには重要なアクターとして「魔女」が出てきます。

ただここで扱いたいのは「魔女」像としてというよりは「魔法」を取り扱う者としての立ち位置なので、「魔法使い」と書きました。

 

ヴィラン=魔法使い」という描き方は古典プリンセスからディズニー作品において繰り返されてきました。

もちろん、『Cinderella』のフェアリー・ゴッドマザーや、『Sleeping Beauty』のフローラ、ファウナ、メリーウェザーのように「善い魔女」というのも存在しましたし、

『Cinderella』のトレメイン夫人、『Beauty and the Beast』のガストン、『Pocahontas』のラトクリフ総督、『ムーラン』のシャン・ユーのように魔法使いでないヴィランも存在しました。

しかし、「ヴィラン=魔法使い」という構図は、実は『Tangled』のマザーゴーテルが最後で、それ以降は、ピクサーの『Brave』を皮切りに、魔女や魔法使いが登場してもヴィランになることはなくなりました。

むしろヴィランとしての必要条件は、魔法を使えることではなく、世俗の権力に対する強欲さが重要視されるようになっていきました。

 

その皮切りになった『Brave』では、ピクサーがあえてステレオタイプ的な魔女を登場させています。

当時はピクサーがプリンセスを描くということ自体が信じられなかったのですが、魔女まで登場させてしまうという。

 

メリダは、自分が伝統に縛られた、不自由な生活を強いられるのは伝統を重んじる母親がいるせいだ、だから母親を変えられさえすれば私は自由に生きられる、という考えのもとで母親を変える魔法のケーキを魔女に作ってもらい、食べさせますが、そのケーキの魔法は母親をクマに変えてしまいます。

それによってメリダと母親はともに「変わり」大団円を迎えるわけなので、魔女の「変える」というのは結果として成功しています。

 

しかしこの魔女と魔法の描き方は、それまでのディズニープリンセスの物語を非常にうまく皮肉っています。

もはや魔女は魔法をコントロールできていなくて、その責任も取らずに消えてしまう。つまり都合のいい「魔法のような手段(=「魔法」)」など存在せず、問題には自分で地道に向き合って解決していくしかない、ということをメリダと母親を通して描いたわけです。

そして魔女や魔法自体は悪ではなく、全てはそれを利用する側に責任があるということです。

 

都合のいい「魔法のような方法」なんて存在しない:「魔法」も「真実の愛のキス」も機能しない、あったとしても辿り着けない時代

ラルフは、ヴァネロペがSlaughter Raceにとどまることを決めたと知った時、JPスパムリーにウイルスの手に入るダークウェブへ案内してもらい、ウイルス製造マシンであるダブルダンに「誰も傷つけない、ゲームをつまらなくするウイルス」を求めます。

ダブルダンは、確かにウイルスを製造するマシンかもしれませんが、結果だけを求めて仕組みをよくは分かっていないラルフが頼るという構図はまさにメリダが頼った「魔女(魔法使い)」そのもの。

でもダブルダンがだしてきたのはゲームのプログラムのうちinsecureな部分を見つけそれを複製しまくるというウイルス。

ここでダブルダンはラルフが求めた「進みを遅くする」とは言っていませんが、ラルフはダブルダンに「誰も傷つけないこと」が確かであることを再確認した上でウイルスを Slaughter Race 内に持ち込みます。

結果としてはヴァネロペの glitch を insecurity として検知し、複製してしまうせいでゲームはクラッシュしてしまいます。

「魔法使い」であるダブルダンは、glitchを性質として持ったキャラクターが存在していることなど知らないため、もともと予想された結果と違う結果をもたらしてしまうわけです。この辺りもウイルス=魔法として捉えると『Brave』における都合のいい魔法の手段が存在しないことをうまく踏襲していると言えます。

 

ウイルスを消す方法に関しても、ノウズモアが教えてくれてイエスとともに目指した「Anti-virus District:アンチウイルス地区」は役に立ったのかどうか結果は示されませんでしたが、少なくともこの物語では役割は果たせませんでした。

アンチウイルス地区には、NortonMcAfeeのウェブサイトが立ち並んでおり、そこまでクローンラルフたちを誘導できれば一瞬で消えるはずだ、ということがノウズモアによって語られます。

しかし、結局そこにたどり着く直前でラルフたちはクローンラルフによって突き飛ばされてしまいます。

最終的にラルフ自身によってしか自分の中の「insecurity」が解消できなかったという結果から見ても、ハンスやクリストフとの「真実の愛のキス」が機能しなかった『Frozen』のように、誰かに頼って一瞬で魔法のうように自体を解決できる手段を待っていてはいけないというメッセージも繰り返されているように読むことができます。

普通のウイルスだったら消えるのかもしれませんが、このラルフクローンの場合McAfeeとかNortonで消すことは果たしてできたのかどうか、気になるところではありますが(笑)

 

 

6)「理想の親」像 (おまけ)

これについては、描くかのようなフリだけ見せつつ全く描かないというある種ネタ的な扱いをされていました。

まあ、同年公開ののピクサー作品であるインクレディブルに任せたととっていいのかどうか。

 

フェリックスとカルホーン軍曹が、行き場を失った15人のレーサーたちを養子としてとり、わがままな子どもたちに最初は手こずりつつも、最終的にはうまく成長させ、本人たちも良き親になれることに自覚するという部分だけが映画の冒頭と終盤に語られますが、そのプロセスは全く見せられません。

ラルフとヴァネロペがインターネットに行っている最中は一瞬たりとも彼らの描写はされませんし、最後に子育ての秘訣はこれとこれとこれ、と二人が説明するシーンは、キーワードを言う度に、カメラの前をシュガーラッシュのレーサーたちが通り過ぎる性で、オーディエンスである私たちの耳には何も届きません。

子育てに関しては今回は描かないよ、という意図がしっかり伝わるジョークになっていました。