westergaard 作品分析

映画、ミュージカル、音楽、自分が好きなものを分析して語ります。

「ノーサルドラ」と「サーミ」:アナと雪の女王2でディズニーが宣言する「今できる正しいこと(The Next Right Thing)」(ネタバレあり考察)

はじめに 

 

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サーミにインスパイアされた「ノーサルドラ(架空の民族)」のリーダー:イエレナと手を取り合うエルサ・アナ

2019年11月22日 日米同時公開した「アナと雪の女王2(Frozen II)」。

一作目からノルウェーを舞台とすることを幾度となく公言しながら、クリストフをあまりサーミらしく描かなかったことや、サーミの文化を参照した音楽を使いながらもサーミの人たちが登場しないというようなことが指摘されてきていた。

(例えば、2014年当時の記事)

www.reflector-online.com

 

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そんなFrozenが2作目にして登場させたのが「Northuldra(ノーサルドラ)」という架空の民族。

こちらの民族はサーミをモデルにしていることを公式も発言しており、その衣装や「ククサ」など使う道具、乗り回すトナカイの群れなど表現がよりリアルになっていることは予告編段階からかなり前面に押されていた。

そんなウォルトディズニーアニメーションスタジオ(以下WDAS)がサーミの人たちと「契約」を結んでいたことが先日記事で明らかになりました。

この記事では前半でそのニュースの一部を和訳し、後半でこの件について触れながらでディズニーが宣言した「今できる正しいこと(The Next Right Thing)」について議論したいと思います。(もちろんアナのソロ曲のタイトルにかけてますよ。笑)

nowtoronto.com

 

 

記事の抜粋和訳

Sámi people – the Indigenous communities in Scandinavian regions – recognized the tune right away. It turns out the context behind that music was subject to erasure.
サーミの人々(スカンジナビア地方で暮らす "インディジナスな"* コミュニティ)は(一作目を見て)あるメロディにすぐに気づいた。その音楽の背景にある文脈は「消去の対象」となっていたのだ。
※indigenousの訳し方はいろいろな難しさを含む:今までは「先住の」「土着の」とされてきたが、政治的正しさの観点から、「地域にもともといた」と訳すのが最も適切なようである。

www.youtube.com

 

The song is Vuelie and it was written for the film by South Sámi musician and composer Frode Fjellheim, who adapted it from one of his earlier songs, Eatnemen Vuelie (Song Of The Earth). His music draws on joik, an ancient vocal tradition that was outlawed when Nordic Indigenous communities were Christianized.
その曲は「ヴェリィ」(♫ナーナーナヘイヤーナ…)で、その曲は南部サーミの音楽家で作曲家のフローデ・フェルハイムが手掛けたもので、彼は自身が作ったEatnemen Vuelie(大地の歌)をもとに作曲したのだった。
彼の音楽は「ヨイク」と呼ばれるノルウェーのインディジナスのコミュニティがキリスト教化されたときに非合法化された古くからの歌唱伝統の系譜を引く。

The selective use of Sámi culture in Frozen led to debate on social media about appropriation and whitewashing, and not just because of the joiking.
アナと雪の女王におけるサーミ文化の選択的使用は、文化盗用(アプロプリエーション)やホワイトウォッシュ(白人文化化)の観点からSNS上で議論を呼んだ。それはヨイクだけの問題ではなかった。

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The character Kristoff (voiced by Jonathan Groff) has a wardrobe that resembles what Sámi reindeer herders would wear, but he looks very Norwegian. To be fair, Sámi people can have blond hair and blue eyes – the result of forced assimilation and ethnic cleansing for over a century.
クリストフというキャラクター(声はジョナサン・グロフが担当)はサーミのトナカイ飼いが着るような衣装に似た服を着ているが、非常にノルウェー人(ノース人系)っぽく見えるのだ。公平な立場で言うと、サーミの人々であってもブロンドの髪の毛で、瞳の色が青になることはあり得るのである。それは1世紀以上にわたる矯正された「同化」と「民族浄化」の結果によるものだが。

 

To make sure cultural erasure didn't happen in Frozen II, Sámi leaders entered into a contract with Disney that affirms ownership of their culture.
アナと雪の女王2では、そういったような「文化の消去」は起こらないようにするために、サーミの指導者たちはディズニーと、彼らの文化の所有権を確認する契約を結ぶことになった。

This time, filmmakers Jennifer Lee, Chris Buck and producer Peter Del Vecho sought out expert advice on how to respectfully portray Indigenous culture, which is heavily and intricately featured in the film and its reconciliation plot.
今回は、監督であるジェニファー・リーとクリスバック、そしてプロデューサーのピーター・デル・ヴェッコが、十分にリスペクトを持ってインディジナス文化を描くためにどうしたら良いか、専門家の助言を求めたのだった。そしてそれは映画の和解の物語の中で、かなり濃密にそして複雑に取り扱われた。

The sequel finds Elsa summoned by a mysterious siren, a melodic voice calling from a far off land that holds buried secrets about Arendelle’s past. The ensuing story enriches and expands the mythology behind its characters. It turns out Elsa and a fictional community called Northuldra (who are inspired by the Sámi) have a shared history. The film acknowledges the erasure of the Northuldra and their absence from the original film in dramatic terms.
この続編はエルサが謎の呼びかけに呼ばれるところから始まる。その歌声はアレンデールの過去についての葬られた秘密を持った遠い場所からきているのだった。
それに続いて起こる物語は、登場人物たちの背景の神話をより豊かにし、拡大していく。結果として、エルサとノーサルドラと呼ばれる架空のコミュニティ(サーミからインスピレーションを受けたもの)は共通した歴史を持っていることがわかる。そして映画は、ノーサルドラの抹消と一作目の映画に彼らが登場しなかったことを作劇的に認めた表現をする。

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After finding out that their culture would play an even more significant role in the Frozen sequel, the Sámi parliaments of Norway, Sweden and Finland, along with the Saami Council (a non-governmental organization of the Sámi people), reached out to the movie’s producers to collaborate. The filmmakers were on board, and the Sámi groups rounded up a group of experts (called Verddet) to act as cultural consultants for the animation team.
サーミの文化がアナと雪の女王の続編でより重要な役割を果たすことになることが分かってから、ノルウェースウェーデンフィンランドサーミ議会と、サーミ評議会(サーミの人々によるNGO:詳しくはこちら)は映画の制作者たちとコラボレーションするために連絡を取った。製作陣は現地へ向かい、アニメーションチームを支えるために文化のコンサルタントとして動く専門家集団(Verddetと呼ばれる)をサーミの人たちが形成した。

Among the group was Anne Lájla Utsi, managing director at the International Sámi Film Institute, who shared with NOW the ceremonial non-confidential version of a contract drawn up between Walt Disney Animation Studios and the Sámi people.
グループの中には、かつてWDASとサーミの人々の間で結ばれた、今となっては形式だけで信頼の置けないバージョンの契約を結んだ、国際サーミ映画協会のマネージングディレクターAnne Lájla Utsiもいた。

The contract, signed by Del Vecho and the Sámi parliament reps, is printed to look like a hand-written document. It outlines the studio's “desire to collaborate with the Sámi in an effort to ensure that the content of Frozen 2 is culturally sensitive, appropriate and respectful of the Sámi and their culture.”
デルヴェッコとサーミ議会の代表たちによって結ばれた今回の契約は、手書きの書類のように印刷された。その中では「スタジオ側にある、アナと雪の女王2の内容を文化的に敏感で、ふさわしくそして十分にリスペクトを持ったものにすることを保証するための努力をするためにサーミの人々とコラボしたいという要望」が説明された。

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In exchange for the Sámi people’s input, Disney agreed it would also produce a dubbed version of Frozen II in one Sámi language (similar to the Maori-language, Tahitian and Hawaiian dubs of Moana) and participate in cross-learning initiatives that contribute to Indigenous communities in Scandinavia.
サーミの人たちの協力へのお返しとして、ディズニーはアナと雪の女王2のサーミの言語での吹き替え版を制作すること(モアナにおいてマオリタヒチ、ハワイの言語で行なったのと似たように)スカンジナヴィアのインディジナスコミュニティに貢献する横断的学びのイニシアチブに協力することに合意した。

“We have been approached by many outside filmmakers who are interested in Sámi stories,” says Utsi, who is appreciative of Disney’s collaboration and hopes others follow the studio's lead when it comes to telling Sámi stories.
Utsiが言うには「我々はこれまでも、サーミの物語について関心を持った多くの海外の製作陣から接触された」と。彼はディズニーの協力に感謝し、サーミの物語を伝えることにおいて、他がそれに続くことを望んでいる。

“This is a good example of how a big, international company like Disney acknowledges the fact that we own our own culture and stories. It hasn’t happened before.”
「これは非常に良い事例なわけです。どのようにこの巨大で国際的な会社であるディズニーが我々が自身の独自の文化や物語を持っていると言う事実を正当に評価するやり方のね。こんなこと今までありませんでしたから。」

In Frozen II, Fjellheim's Vuelie gets an encore recital, but this time it is sung by the Northuldra characters, a nod to their Sámi-inspired heritage. Other elements in Frozen II inspired by Sámi culture include spirits that represent earth, wind and fire.
アナと雪の女王2においては、フェルハイムのヴェリィが再び演奏されるが、今回はノーサルドラの登場人物たちによって歌われるのだ。サーミからインスピレーションを受けた遺産への敬意の表現として。アナと雪の女王2における、サーミの文化からインスピレーションを受けた他の要素としては、大地、風、そして火を代表する精霊たちが挙げられる。

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There’s also the Northuldra dress, which Utsi explains was a sensitive area. Indigenous communities across the globe have to be wary of how their traditional garments are used considering how they are often appropriated for mascots or Halloween costumes.
加えて、ノーサルドラの衣装もある。Utsiによればそれは非常にセンシティヴな部分だと言う。世界中のあらゆるインディジナスコミュニティは彼らの伝統的な衣装がどのように使われるかについて非常に警戒しているのだ。それらが頻繁にマスコットとしてあるいはハロウィンのコスチュームのように文化盗用されることを考慮して。

“We felt good about them,” says Utsi about the white fur garments worn by Northuldra characters, as well as their traditional use of reindeer and guksi cups.
「我々は良いと感じました」とUtsiは言います。ノーサルドラの登場人物たちが着ている白い毛皮の衣装についてと、トナカイやククサという器の伝統的使用について含めて。

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アナが手にしているのがククサ

 

**** 記事の抜粋和訳終わり ****

 

1作目〜2作目と舞台版、小説との横断的な考察

1)アグラバーからアレンデールへ

昨今、WDASを含むディズニーカンパニー全体はかなり過去の「差別」や「文化盗用」について反省しており、姿勢を変えたいこと、そして過去の作品で作ってしまった私たちオーディエンスの中にある認識を変化させていきたいと本気でおもって行動していることが感じ取れることが多々ある。

例えば実写版の2019年アラジンの「Arabian Nights」での「アラビア」の表現や、「Prince Ali」での「Slave(奴隷)」や「女性の商品化」の観点でもそうであったように。

詳しくはこちらの記事参照のこと。

ikyosuke.hatenablog.com

ikyosuke.hatenablog.com

 

今作においては特に、物語の大筋が「過去の過ちを正すこと」に主軸を置いていることからもその本気度を感じられる。

 

それはアナに唯一与えられたソロ曲「The Next Right Thing」で歌われるように、「先代のあやまちを認識した以上、それを踏まえて今できる次の正しい一歩を踏むことしか、今生きる我々にできることはない」というメッセージそのものである。

 

※それは、この映画のメタ性が、一作目をメタ的に揶揄るオラフのネタだけでなく、そもそも冒頭から、「プリンセスのおとぎ話」を「うぇっ、キスじゃ救えないよ」という幼少期エルサの一言目のセリフから揶揄していることからも十分に伺える。
またあのシーンは同時に、幼少期のアナがいかに「フェアリーテールウェディング(あえて皮肉としてパークっぽいこの表現をしておく笑)」を求めていたかがわかる描写にもなっている。ブロードウェイ版のアナのソロ曲には「私が求めてたのは所詮フェアリーテールだったのね」というフレーズすら入れられている
ハンス経験後のアナはまさに、そんなもん糞食らえである。(フェアリーテールウェディングの略称はFTWだが、そう書くと F**k the Worldとも読めてしまうのは如何なる皮肉であろうか笑)

 

2)ブロードウェイの「Diversity on Stage」

実際その流れは、映画の中心人物であるリー監督や、ロペス夫妻が関わって制作したブロードウェイ版フローズン(アナと雪の女王)のミュージカルにも様々な面ですでに反映されていた。

例えば、Vuelie以外にも「ヨイク」が効果的に使われた。アナとエルサの母親イドゥナは「ヨイク」を唱えて「Hidden Folk(映画でいうトロール)」を呼び出し、「北方遊牧民の子孫である」と名乗るシーンすら加えられた。

ikyosuke.hatenablog.com

 

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キャスティングの面において、クリストフとアナとエルサの父親は「African American(黒人)」の役者によって演じられ、アナとエルサの母親は「Asian American(アジア系アメリカ人)」の役者によって演じられることになっていた、これは初代がカンパニーを去った後、役者が二代目に交代してもそうであった。

ikyosuke.hatenablog.com

またアナとエルサの「スタンバイ」(つまりオリジナルキャストが怪我や病気、バカンス等で登壇しない日のために、毎日舞台裏でスタンバイしているキャスト)はそれぞれ「African American」のAisha Jackson、「Asian American」のAlyssa Foxがキャスティングされており、私はNY在住時には二人同時に登壇する日の情報を手に入れてその舞台を観に行ったりもした。

しかし、これらの「舞台上のダイバーシティ」は設定の話とはかけ離れており、それが「appropriate(適切な)」表現かと言われるとそこは難しい点があるが、それでもAfrican AmericanのAisha Jacksonがアナを演じた日の出待ちで、彼女がステージドアから出てきたとき、たくさん待っていた同じような肌の色の子どもたちの笑顔を忘れることはできない。(これはまた実写アリエルのキャスティングの時にでも話すことにしたいと思う。)

3)舞台からスクリーンへ(Back to Screen)

 

さて、このように明らかに意図的に多様性を取り入れるようになったFrozenフランチャイズは、アニメーションの一作目ではほぼノース人と思わしき風貌の人たちしかいなかった架空の王国アレンデールにも、2作目では様々な「肌の色」の人たちが描かれるようになっている。

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このことについては、1作目と2作目を繋ぐ架け橋となる小説「Forest of Shadows」 (こちらの翻訳本は年末に日本でも日本語になって登場予定だそう)で、エルサの戴冠(つまり1作目)の後に、様々な場所から人々が移住してきてアレンデールに住むようになった、という説明がなされている。

つまり、1作目にいた一部の人の肌の色を「変えてそうだったことにした」のではなく、あの世界でもエルサ戴冠後に移民が進んだという設定にした、のである。

 

Frozen 2: Forest of Shadows

Frozen 2: Forest of Shadows

 
小説 アナと雪の女王 影のひそむ森 (角川文庫)

小説 アナと雪の女王 影のひそむ森 (角川文庫)

 

 

***

 

「多様性」つながりということで少し脱線したが、話を戻す。

 

4)人間と自然の架け橋(Bridging Human being and Nature)

今作「アナと雪の女王2」は、人間と自然とのブリッジになる主人公エルサとアナの愛を中心に置きながらも、その過程で行うミッションは、過去の歴史を明らかにし、政治的過ちを正すことである。それは結果として、ノーサルドラとアレンデールの関係を結び直すことであると同時に、自然と人間(アレンデール)との橋の掛け直しにもなっている。そしてその掛け直しは、人間側のアナと自然側のエルサとの間における「真実の愛」によって成立するのである。

 

しかも明らかになる歴史は、姉妹の祖父が「魔法」を頼る「インディジナスの人々」を恐れ、支配するためにダムを作り、さらにその式典を利用して虐殺を図ろうとしたという事実であり、支配のためのツールが自然破壊の象徴であるダムであることや植民地化の歴史を参照すればするほど非常に生々しい設定である。

今作が非常に政治的作品であることは、次の記事をはじめとするあらゆる批評家によっても指摘されているように明確である。

www.inverse.com

例えばこちらのレビュー動画のように、過去に都市計画を優先した結果、自然と共生する人たちの生活を破壊し、気候変動までもたらしたことのメタファーとも読み取っている方もいる。


映画『アナと雪の女王2』感想【レビュー編ネタバレあり】(アナ雪2)〜イントゥ・ジ・アンノウン♪天気の子の真逆の作品!?

 

どちらにせよ、真実を暴くことができるのはその真実を暴くべく生まれた特殊な力を持ったエルサにしかできなかったが、最終的にその過ちを正すのは、特殊な力を持たない(このことはオラフの語りによって非常に強調されたが)アナと、そのアナが説得し率いる「アレンデール兵(国民)」である。

結局、環境問題の面で捉えても、プラスチックストローを使わないようにしたり、エコバッグを持ち歩くことなど、一般人にできることで参画することや、政治的な面で捉えても投票の際の一票の重要性を強調しているように私には見えて仕方がない。

もちろん、それをやった上でアレンデールが犠牲を払わなくていいという都合の良いエンディングを迎えるための救済をエルサたち「精霊」がしているところが「まだディズニー的フェアリーテールから抜け出せない部分」ではあるが。

 

5)今できる正しいこと(Do the Next Right Thing)

それでも、クリストフ以外の仲間(人間を超える存在)を失ったアナが行動することによって「The Next Right Thing(今できる正しいこと)」を一歩ずつしていくことの重要性とその意義が強調されるのは確かである。

そしてこの映画の Ralph Breaks the Internet (シュガー・ラッシュ:オンライン)ばりのメタ性を鑑みれば、これがディズニー自身の宣言であると読み取ることはさほど深読みのし過ぎではないと考えてよかろう。

それでこのツイートである。

 

こちらが歌詞付きの動画である。

www.youtube.com

 

原詞と和訳、吹き替え歌詞についてはこちらの記事を参照のこと。

 

ikyosuke.hatenablog.com

(歌詞・和訳一部抜粋)

Just do the next right thing
ただやるの 次にすべき正しいことを
Take a step, step again
一歩、また一歩
It is all that I can to do the next right thing
それしかできないんだから 次にすべき正しいことをする

***

I won’t look too far ahead
遠すぎ先を見たりしない
It’s too much for me to take
私にはそれは大きすぎてできない
But break it down to this next breath
でも次の一息でできる分まで困難を分割して
This next step
次の一歩
This next choice is one that I can make
次の選択は私自身が決められること
 

So I’ll walk through this night
だから私はこの夜を歩き続ける
Stumbling blindly towards the light
よろけながらもやみくもに光に向かって
And do the next right thing
そしてやるの 次にすべき正しいことを

 

この詞はまさにディズニーがディズニー自身のことについて歌っていると考えられる。

ポカホンタスやムーラン等でやってきた、そしてアナと雪の女王の1作目でもやってきた過ちを踏まえ、もっと言えばウォルト・ディズニー氏がかつてやってきてしまった差別的な表現などを含めた「歴史」「先代の過ち」を「なかったことにする」「葬り去る」のではなく、それらをしっかり「認識」した上で、「今できる正しいこと」をすることで光のある未来へと一歩、また一歩と歩んでいこうという決心なのであろう。
ルナードをウォルトに見立ててしまうのは色々と語弊があるが、その線も全くゼロではないかもしれない。

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その価値観に、どこかまだ引きずられているのが、悪名高き祖父ルナード王に仕え、姉妹の父アグナルの護衛に当たっていた「マティアス中尉」である。
このことは、ノーサルドラのキャンプでの談笑のシーンで、アナがククサを使っている隣で、マティアス中尉は鉄と木でできたコップを使っているのも象徴される。

マティアスを説得し、マティアスたちも協力する形でアナが「今できる正しいこと」を行った時、「呪い」は解けエルサは晴れてアレンデールを守ることのできる精霊となり、「一旦の解決」を見ることができたのだろう。

 

一部には、ルナード王を短絡的な悪に描きすぎていることや、短絡的な悪はいない、と言っておきながら、その役回りを過去に亡くなった人に押し付けただけ、という人がいるのは事実だろうし、そこに関しては相当リー監督たちも悩んだのではないかと考える。

ルナードにダムを作らなければならない理由をもっと与えることで、彼の「一方的にノーサルドラを苦しめる悪い人」という側面を解消できた可能性もある。

例えば、ダムをあの時作らないとどんどんフィヨルドが侵食され、アレンデールの土地が徐々に小さくなっていってしまうなど(地理は詳しくないので本当にそうなるのかは私にはよくわからないので違ったら教えてください)。

どちらにしろ、それを描くのはさほど難しくない十分できただろう。

しかしそうではなく、最終盤の映画ではあくまでダムを作ったは「ノーサルドラを苦しめるため」という単純な理由しか見せないという決定をしたのは、やはり過去の歴史を見た時に、そう言った一方的な「力(power)」を働かせた「植民者たち(これは西欧だけでなく太平洋戦争中の日本も含む)」がいたことを無視せずに直視しようという決断と私は見る。

もちろんいろんな事情を描くことで得られた沢山のよさも考えられるが、今回スポットを当てたのは、その面こそ無視してはいけないから、他の部分を見せないという判断にしたのだと考える。

 

6)Vuelieについて

1作目で批判の対象となったVuelieは、1作目、2作目共通して冒頭で使用されるが、先ほどの記事中にあった、ノーサルドラたちによってリプライズされるのは、サウンドトラックの「Iduna's Scarf」という曲の 01:00 あたりからである。これはエルサとアナの母親がノーサルドラ出身であったことが分かったシークエンスで歌われることも印象深い。


Christophe Beck, Cast of Frozen 2 - Iduna's Scarf (From "Frozen 2"/Score/Audio Only)

 

エルサとアナの母親イドゥナがノーサルドラ出身であることはブロードウェイフローズンを観たことのある人は映画を見る前からほぼ察せてしまうのが残念だが、あの設定が引き継がれたことで、姉妹が、ノーサルドラ(サーミ)とアレンデリアン(ノース人)との間に立つべくポジショナリティを持っていることが描かれるわけである。そのタイミングで、制作側とサーミ側の両者が合意した上でのVuelieが再度リプライズされるのがいかに感動的かということである。

 

また、全てのやるべき正しいことをやった上で、映画の最後を飾るのも再び「Vuelie」である。


Christophe Beck - Epilogue (From "Frozen 2"/Score/Audio Only)

確かに前作のエピローグでは、For the First Time in Forever と Do You Want To Build a Snowmanマッシュアップのメロディで、姉妹の物語としては美しく終わっていた。しかし今作のエピローグは、今作の序盤の曲「Some Things Never Change(決して変わらないものもある)」のメロディをベースにそこに「Vuelie」を乗せていくという旋律になっていることから、物語全体が1・2を組み合わせても「Vuelie」に始まり「Vuelie」に終わる構造になっている。

 

一方で、クリストフという、本来アレンデリアンではなかろう人を描きながら、その「inbetweeness(どっちともつかない性)」について触れないというのは少し批判せざるを得ない。

もちろん尺の関係上、またプリンス像のアップデートの方にクリストフという駒を使いたかった関係上仕方ないということは納得できるが、彼の所属意識、アイデンティティについて掘り下げるだけでも一本の映画ができたのではないかと思う。

もちろん、彼の年齢的に、森に閉じ込められていたノーサルドラの子孫ではないことは確実なのだが、姉妹が先に旅立ってしまったことを伝えにきたイエレナが、あまり会話していなかったであろうクリストフを一緒に移動するように誘うなど、何か共通性を見出しているような描写があったことから、何かしらまだオーディエンスには見せられていない裏設定があるのだろうが。

 

まとめ 

さて、つらつらと書いてしまったが、ここでまとめる。

昨今の実写作品やアニメーション作品に見て取れるように、ディズニーは明らかに自社が過去に描いてきた作品における「あやまち」を正そうとしている。
(そもそも亡くなった母親の背景を2作目のテーマとすること自体が画期的である。)

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ヴァネロペ「あたしお母さんいない」 プリンセスたち「私たちも」

 

しかしどんなに「売れない」=「観てもらえない」作品で「政治的に正しいメッセージ」を発信しても、より多くの人にはリーチしない。

だからこそ、世界的にあれだけ「売れた」姉妹(なんなら売れすぎてプリンセスラインナップに入れてもらえない姉妹)の物語で、この「インディジナスな人々との関係性」の話、もっと露骨に言えば「colonialism」について取り扱うことを決めたのだろう。

そして、その一部を狂言回しであるオラフによるメタ的な喜劇として描くことによって、作品自体を一歩引いた視点でみせルコとができるようになり、その結果ディズニー自身についての自己言及を自然な形でできた、という結果が、「The Next Right Thing」に象徴的に現れているのではないか?という私の論でした。

 

ここまでお読みいただいた方、ありがとうございました。

 

 

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