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実写アラジン「Speechless 心の声」考察:「ギリシア神話 イカロス」と「女性の商品化」の観点から

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はじめに

日本公開から約一ヶ月が立つ実写版アラジン。アニメーションから30年近くたってのアップデートということで社会状況がかなり変化していることを踏まえて様々な面での更新が図られていることは一般に述べられている通りです。

その一つとして、このブログでは、「Arabia:アラビア」をオリエンタリズムの文脈で他者化し続けてきたことについて、いかにディズニーが少しずつ反省し、その表現を改善してきたかを、アニメオリジナル1992年版、批判を受けて改訂した1993年版、2014年のブロードウェイ版、2019年の実写版の4つを変遷追いながらまとめた記事を書きました。 

ikyosuke.hatenablog.com

 

今回は Speechless の歌詞とそれに対応する映画の他の部分のセリフや歌詞などを対応させながら、ノベライズ版や公式が出しているミュージックビデオなども参考にしつつ、Speechlessを通してジャスミンが言いたかったこと、つまりはDisneyがジャスミンに言わせたかった、ジャスミンの口を通してオーディエンス(私たち)に伝えたかったことを

1)ギリシア神話イカロスの翼』の引用

2)「Better Seen and Not Heaerd」というジャファーのセリフの引用

という、2つの観点から探っていこうと思います。

 

 

www.youtube.com

 

ikyosuke.hatenablog.com

 

 

前提1:なぜ今Speechlessだったのか

ジャスミンディズニープリンセスの第二波のアリエル、ベルに続く80年代フェミニズムの文脈に乗っかったエンパワメントプリンセスの3人目として1992年に登場し、「I'm not a prize to be won(私はゲームの賞品なんかじゃないの)」というセリフとともに記憶されている3人の中では最も過激な発言をしたプリンセスとして認識しています。

しかし彼女はプリンセスとして登場しながら、主役ではなくあくまで主役はアラジンであり、アラジンの恋愛対象として描かれていたこともあってか、他のプリンセスのように前半に登場して自分の夢について歌う「I Wish Song」は作ってもらえず、言わずと知れた A Whole New World でアラジンに対して合いの手を入れるくらいしかさせてもらえていませんでした。このことについては、こちらの記事で These Palace Walls の歌詞の和訳とともに紹介しましたので、興味のある方は是非ご一読ください。

 

ikyosuke.hatenablog.com

そういういみでようやく「自分らしい」自分の歌を程入れることのできたジャスミンは「Speechless」をもってはじめて Speechless(主張なし)ではなくなったということが言えるかもしれません。なにせ、自分らしい I Wish Song を持つことは、「プリンセスであるならば当然」であることが、ヴァネロペとOhMyDisneyのプリンセスたちとの会話を通して公式で認められているわけなのですから。

 

【プリンセスであるための必要条件】:一般的に人々から「大きくて強い男性」から助けてもらったことで全ての悩みが解決したと思われている、と感じていること
【プリンセスならば持っている特徴(十分条件)】:自分が本当に心から望んでいることについて歌を歌うと、スポットライトが当たったり背景に音楽が流れてきてミュージカル的になる

詳しくはこの年末に書いたこの記事にまとめてあります。

ikyosuke.hatenablog.com

 

 

前提2:そもそも Speech と Voice ってどう違うの?

ロングマン英英辞典から、それぞれのワードで今回の文脈で当てはまるだろう意味の説明を取り出すと以下のようになります。

Speech:a talk, especially a formal one about a particular subject, given to a group of people (語り、特に何らかの特定の主題についてのフォーマルなもので、なんらかの人々の集団に向けてなされるもの)

Voice: the right or ability to express an opinion, to vote, or to influence decisions(意見を表明する、あるいは投票する、または結果に影響を及ぼすための権利あるいは能力)

「心の声」という吹替のタイトルは、心の中には「声」があるけどそれを表に出せない、口にできないという意味合いで歌われています。

この声は「Voice」のことです。実際この映画においてもジャスミンは日頃から、父国王やジャファーに対して意見はしています。

しかし、Speechというのは聞いてくれる相手がいる前提となっているため、Voiceをいくら発しても相手にしてもらえなければ「無力な声」になってしまいます。その「(聞き入れてもらえる)声なき状態」を「Speechless」と表していると言えましょう。

もう少しフォーマルに言えば「政治的発言権」はあっても「その声に力が(十分に)ない」状態と言えるでしょう。

「いやジャスミンアニメの頃から言いたいこと言ってるやん、どこがスピーチレスねん」って思っていた方も、SpeechとVoiceのニュアンスの違いを何と無く掴んでいいただけるのではないかと思います。

 

1)Speechless におけるギリシア神話イカロスの翼」の引用

① ChirO_oy5656 さんのツイート

Speechlessについてのツイートを色々と検索かけながら見ていたところ、 @ChirO_oy5656 さんのこのようなつぶやきを発見しました。

このアカウントの一連のツイートを参照しながら、引用されていた「イカロスの翼」神話と照らし合わせると確かにこの歌詞で使われている比喩が、イカロスを意識していることがだいぶはっきりとしてきました。

 

イカロスの翼という神話の必要箇所を簡単にまとめます。

ダイダロスと息子のイカロスが閉じ込められたときに、ダイダロスが小さい鳥の羽を蝋で固めて大きな翼を作り、息子イカロスにも翼をつけさせて飛び方を教え、脱出しようとします。

その際、ダイダロスイカロスに「必ず中空を飛ぶ」ように指示します。「低すぎると海の水しぶきで羽が重くなる。高く飛ぶと、太陽の熱で蝋が溶けてしまう。まぁ、私についてくれば安心だ」というそうです。

その後実際に飛び始めると、最初こそついていくのが精一杯だったイカロスも、次第に飛んでいることが楽しくなり、いつの間にか父を見失って空高く飛んでしまい、結果蝋が溶けて羽がバラバラになり、海に真っ逆さまに落ちてしまったということ。

 

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イカロスの墜落 シャガール

 

② 歌詞の中の神話引用の該当箇所

この神話を引用しているであろう、歌詞の中の該当箇所を並べます。

Part 1

Here comes a wave
Meant to wash me away
ほら 私を洗い流そうとする波がやってきた
A tide that is taking me under
私を引きずり降ろそうとする大波が

これが、低すぎるとかかってしまい翼が重たくなってしまう、波しぶきのメタファーと重なります。

Part 2

Try to lock me in this cage
この牢屋に閉じ込めてみなさい
I won't just lay me down and die
横になって死んでいったりしないから
I will take these broken wings
この壊れた翼を持ち出して
And watch me burn across the sky
空を駆け抜け燃える私をみなさい

 

パート2においても、Lock me in this cage というのは完全に捕らえられたイカロスとダイダロスを想起させる言い方です。
また、イカロスの引用ということを念頭において歌詞を読んでいくと、「空を駆け抜け燃える私をみなさい」というのは、空高く飛ぶことで蝋が溶けて燃え出すことを想定した上で、それをわかっていても高く飛んでやるというジャスミンの強い意志が感じられる歌詞として認識できます。

 

③ 翼=教育、牢=古い価値観、脱出は親子で

@ChirO_oy5656 さんは、翼と牢獄の比喩を、翼はジャスミンの受けてきた教育、牢を「受け継がれた古い価値観」と捉えておられます。

翼を蝋でくっつけるという行為をジャスミンがしてきた学びとそれを授けてきた父王の地道な努力として暗喩することは確かにこの文脈に非常に即していると私も考えます。

なぜなら、この実写版アラジンは密かに教育についても言及しているからです。

 

アニメ版では「One Jump Ahead: ひと足お先に」の序盤でアラジンが迷い込むのはハーレムで、そこにいる女の子たちが歌うシーンがありましたが、実写版ではそこは黒板に向かって本を開いて勉強している少女たちに差し替えられています。その子たちを指導しているのは女性教師です。

これは明らかに「女子教育の必要性」を世界に訴えたマララさんの影響があると見てよいでしょう。

実写版美女と野獣でもエマワトソン演じるベルが、自らの発明で洗濯を自動化(馬力の利用だったが)することによってあいた時間で街の少女に文字を教えるシーンが加えられていましたが、あの世界(フランス)では学校に行く子どもたちは全員男の子で、校長先生はおじさん、そのおじさんが少女への教育を勝手に行おうとするベルに嫌がらせをする演出になっていました。

それに対して今回は「想像されたアラビア」の世界観で、全く逆のもとから女子教育が普通になされている様子というのを描くというのは非常に意図的であると捉えられるわけです。

 

2)Speechless における「女性の商品化:"Better Seen Not Heard"」に対するアンチテーゼ

① ChirO_oy5656 さんのツイート:「低すぎず高すぎず」

もうひとつ @ChirO_oy5656 さんが指摘していたポイントは、ダイダロスイカロスに教えた「高すぎず、低すぎず、中空を飛べ。私についてこい」という指示の解釈について。

@ChirO_oy5656 さんは、「Stay in your place, Better seen and not heard」を「見目麗しく愛想よく(=低すぎず)、但し高飛車な意見は言うなというジャスミンが受ける抑圧」として解釈されていました。

 

ジャスミンの心にエコーする父王とジャファーの「声」

ここがジャスミンの受けてきた抑圧であることは公式が出している歌詞付きのミュージックビデオにおいてもこの部分の映像が、「アンダース王子との謁見シーン」「宮殿」「国王」となっていることからも明らかです。

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スクリーンショット Speechless Oficial Lyric Video

Stay in your placeというのは、王妃が殺されてから自分の娘まで危険にあうことを恐れて部屋から出るな、宮殿から出るなという父王の「声」のエコーであることは間違いないと思いますが、「Better seen and not heard」というのは劇中のセリフだけを頼りにするのであれば、あきらかにジャファーの「声」のエコーです。

これは、ジャスミンが兵士たちに連行されながらPart 2を歌い始める直前に彼女の脳裏をよぎる言葉としてエコーをかけられた状態のジャファーのセリフが繰り返されることからも明らかです。

そのジャファーのセリフとは Part 1 が歌われ始める直前のこれのことです。

「人生ラクになりますよプリンセス。伝統を受け入れれば。あなたは見てもらっていればいいのです、聞いてもらえなくても。」

"All you have to do is to be SEEN not HEARED"

というものです。(まだ手元に円盤や台本はないので一言一句正確である保証はありません)

ここは、字幕版だとだいぶ意訳されてしまっています。

字幕担当の翻訳家:中沢志乃さんの訳「女性に必要なのは美しさ、意見は不要。」

 

これをうけての歌詞の部分がこちら。(和訳は私による独自のもの)

Stay in your place
Better seen and not heard
宮殿にとどまり
容姿は見られるようにして 意見は言わないようにしていた方がいいとされてきた

But now that story is ending
でもそんなお話はお終い

この部分の中沢さんによる字幕翻訳は、現在日本の公式アカウントがYouTubeにアップしている動画で確認できますが、このようになっています。

「女の意見は不要 そんな時代も終わる」

 

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スクリーンショット ディズニー・スタジオ公式アカウントの「スピーチレス〜心の声」(字幕)

もちろん字幕で表示できる文字数には限界があるため全ての要素を反映することはできませんが、Better seen and not heared というワードは原語の台本だともう少し繊細に扱われています。

 

③ プリンス・アンダースとはなんだったのか

ジャスミンに謁見しにくるプリンスアンダースはバックグラウンドこそ丁寧に描かれないものの、ほぼ唯一の「White」の名前とセリフのあるキャラクターです。 

実はこのプリンスアンダース、キャストが発表された2年前から話題になっていました。なぜ、この世界観と流れで「White」のプリンスが出てくるんだ?と。

www.hollywoodreporter.com

 

で、結果はみなさん映画を見ての通りです。

唯一の「White」の訳者によって演じられたプリンスアンダースは、ジャスミンを「まなざす対象」とし、「見ることで楽しむ」、まさに「女性を商品化する男性」の代表として描かれました。

アニメ版でこそジャスミンを色目で見て、赤ジャスミンなるものを魔法で作り出し求婚を迫るなど、この上なくジャスミンを性的対象化するジャファーですが、今回の実写版においては、ジャファー本人が女性を商品化することはありませんでした。

またプリンスアンダースは、ノベライズ版を読む限りでは最終的な映画になって行くにあたってだいぶ登場シーンや、そのキャラクターとしての役割、要素が削られたであろうことが読み取れます。

ラジャーに噛まれた後、プリンスアンダースは自国からの献上品として「大砲」を披露し、実際に港に浮かべてある船を撃ってみせるというデモンストレーションまでする予定だったようです(ノベライズ参照)。これはつまり、ジャファーが映画で説明する軍事同盟を結びにきたという意味合いを強めるためのシーンであり、またジャスミンが国民の安全を考えて戦争推進政策を進めようとするジャファーに対する反抗をよりはっきりと描こうとするために必要と考えられていたシーンだったのでしょう。

しかしこのシーンが、時間の都合などがあった可能性もあるとはいえ、最終的に全く登場しなかったということが何を意味するか。それは、プリンスアンダースについて「軍事同盟を結びにきた人」というより「ジャスミンを商品化する人」という要素を強調すためではないかと考えられるわけです。

しかもそれを唯一の「White」の役者が演じるキャラクターに「押し付け」る。

アラビアンナイト の歌詞変遷の文脈でも書きましたが、「non-White」の「エキゾチック」な女性を「White」の男性が性的にまなざすという側面における「オリエンタリズム」について、ディズニーが自覚的になっていることの表れであるとも言えます。

 

ジャファーは本人こそ女性の商品化を直接する描写はありませんが、ジャスミンが商品的価値が高いことを政治利用しようとしていることは間違いありません。それこそが、「Better Seen not Heared」という言葉でしょう。
しかしそこにジャスミン(女性)の「発言力」はありません(Speechless 状態)。

 

④ ダイヤの原石は「女性を商品化する気配」を感じさせてはいけないのが2019年:アラジンの描かれ方のアップデート

実はジャスミンの心の中でこだまするジャファーの声「Better Seen and Not Heared」は、非常に重要なワードとして扱われていることは、他のミュージカルナンバーの歌詞の変更にも影響していることからも伺えます。 

 

まず、アリ王子の凱旋パレード「Prince Ali」。

[1992]

Heard your princess was a sight lovely to see
伺ってきました おたくの姫君は見応えのある美しいご光景だと

 

[2019]

Heard your princess was hot! Where is she?
伺ってきました おたくの姫君はセクシーだと!どちらにいらっしゃるかな?

 

まあこれについてもいろいろ議論はあると思いますが、92年の時には、ジャスミンのことを「a sight lopvely to see」と、「光景」=「まなざす対象」と捉えていることが明らかな歌詞になっていました。

Hot(セクシー)というワードチョイスをどう捉えるかは、微妙なところですが、あまり意味が変わらなかったとするなら、わざわざ変えなくても良かったわけです。

でもそれをわざわざseeに近い音としてsheを持ってこれるような歌詞変更をしたということは、それだけこのタイミングで「see」を使いたくなかったということの表れと言えます。つまりアラジンが、ジャスミンを「see」 する対象 としている他の王子(プリンスアンダースのような)とは違うんだということを強調するために必要だった改変と考えて良さそうです。

 

もう一つ、アラジンが女性を商品化しなくなったことを表すために変更のあった曲はジーニーといえばの「Friend Like Me」。

これは歌詞変更ではありますが、歌詞だけを見てもあまり伝わりませんので、画像で。
92年のアニメーション版では、ジーニーが自分の魔法でこんなこともあんなこともできるというデモンストレーションをする過程で、セクシーな女の子たち(ヴァーチャル)を作り出して、アラジンに見せてあげるシーンがあります。

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[1992]

Can your friends go poof?
Hey, look here
君の友達はこれできる?ハッ!
ほれ、見てごらん?
Can your friends go "Abracadabra," let'er rip
And then make the sucker disappear!
君の友達はアブラカダブラ唱えて おもいっきりやっちゃえ
それからそいつら消すことも!

 

[2019]

Can your friends go- (start voice percassion)
君の友達はこれできる?(ボイパ)
(rapping) I'm the genie of the lamp
I can sing, rap, dance, if you give me a chance, oh!
(ラップしながら)俺はランプの魔人
歌えて、ラップも
できて、踊れちゃう、チャンスさえくれれば、そう!

 

しかしそこは実写版においてはウィル・スミスが得意なボイパとラップを披露するシーンに完全に差し替えられていました。あれだけアニメーションに忠実に実写化しているシーンなわけでこの改変は明らかにアラジンが、そのような女性の商品化では喜ばないことを示すためであると捉えられるでしょう。

 

このように「Better Seen and Not Heard」こそがジャスミンを抑圧してきた価値観(直接的にはジャスミンの心の中でこだまする「ジャファーの声」)として強調されるような作りになっているわけです。

 

次の記事では、これを踏まえて実写版アラジンがどのようにプリンセス(理想的な女性像)とプリンス(男性像)をアップデートしようと試みたのかについてまとめたいと思います。

 

 

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