「モアナ、プリンセス否認やめるってよ?」
2019年5月8日午後、Twitterのフォロワーさんが、少し前の私のツイートに対するリプライで、モアナがどうやら正式にプリンセスになるらしい、という情報を教えてくださいました。
まじかよ!
— westergaard🏳️🌈🏳️⚧️❄️🌵 (@westergaard2319) 2019年5月8日
「I’m not princess」じゃなかったのかよ!!
公約違反だ!!!(大げさ) https://t.co/Hz5pPsvv9Z
今回の情報は9月に新しく出るプリンセスの情報まとめ本「Disney Princess The Essential Guide, New Edition」のamazonの商品紹介ページから発覚しました。
(2019/09/05追記:2019年8月中にアメリカの公式サイトにもモアナが追加され正式にプリンセスになりました。しかし大々的な告知や従来のプリンセスのような「戴冠式」イベント(後述)は行われず、密かに追加されました。)
まず表紙のセンターにモアナが描かれ左右にはアクティヴプリンセスの代表であるベルとジャスミンが並んでいます。
商品説明の文章にもモアナが追加されたことが記載されています。
(翻訳は筆者による)
DK's updated Disney Princess: The Essential
DK(出版社の名前)のアップデートされた「ディズニープリンセス:エッセンシャルガイド」:ディズニーのとっても愛されているプリンセス映画への究極の手引書は、今やBrave(メリダとおそろしの森)のメリダ、そして最新のプリンセスとして正式に就任するモアナをフィーチャーしています。
Enter the magical worlds of Snow White, Cinderella, Sleeping Beauty, Ariel, Belle, Jasmine, Pocahontas, Mulan, Tiana, Rapunzel, Merida, and Moana and find out everything you ever wanted to know about the lives, loyal friends, and fiercest enemies of your favorite Disney Princesses.
白雪姫、シンデレラ、眠れる森の美女、アリエル、ベル、ジャスミン。ポカホンタス、ムーラン、ティアナ、ラプンツェル、メリダ、そしてモアナの魅力的な世界へ足を踏み入れ、その生活や、忠実な友達、そして凶暴な敵対者たちについて、あなたがずっと知りたかった色々なことを発見してください。
With stunning artwork, readers will be transported to enchanted royal kingdoms with this irresistible book.
とても美しいアートワークに導かれ、読者は魔法にかけられた王国へこの魅力的な本とともに連れて行かれるでしょう。
「モアナってプリンセスじゃなかったの?」
ここまで読んで、「モアナってむしろプリンセスじゃなかったの?」と思われる方も多いのではないかと思います。
というのも、シュガー・ラッシュ:オンラインでもプリンセスたちのシーンに登場していましたし、ウォルト・ディズニー・ジャパンの運営するディズニープリンセスの公式サイトをみてもプリンセスの一覧の中にモアナが掲載されているからです。
この辺り、一体どうなっているのかについて今回書こうと思ったのですが、色々と前提を紹介しないと伝わりづらい部分があるなと思ったので、段階を追って説明しようと思います。
知っている方は適当に読み飛ばしてください笑
そもそも「ディズニー・プリンセス」って?
もともと今「ディズニー・プリンセス」と呼ばれているキャラクター例えば、白雪姫やシンデレラなどは「ディズニー・プリンセス」というくくりで存在したわけではなく、ディズニーの長編アニメーション作品のうちの一つに登場する一人のキャラクターとして存在していました。
しかし、初期の3人(白雪姫、シンデレラ、オーロラ)に加え、1980年代以降のいわゆる「ディズニー・ルネサンス期」にアリエル、ベル、ジャスミン、ポカホンタス、ムーランなどのプリンセスが続々と登場したことを受けて、
2005年に、ディズニーストアやパーク(ディズニーランドなど)で商品展開やイベント、キャンペーンを行うにあたって、ひとまとめにしてビジネス展開するために、上記8人にティンカーベルを加えて、全9人で「ディズニー・プリンセス」という名でフランチャイズとしてまとめられました。
正式に追加されるには「戴冠式」が必要!
その後、「プリンセス作品」が出るたびに映画公開の一年後を目安にプリンセスへの追加というのが公式にアナウンスされて、そのフランチャイズに続々とプリンセスが増えていくことになりました。
最初に加わったのは2009年全米公開の「The Princess and the Frog(プリンセスと魔法のキス)」のティアナ。ティアナは、「ディズニー・フェアリーズ」フランチャイズ(2005年~)に移籍することになったティンカーベルと入れ替わりに、新しい9人目のプリンセスとなり、2010年3月14日、ニューヨークで「戴冠式」が行われました。
続いて、10人目は2010年に公開された「Tangled(塔の上のラプンツェル)」のラプンツェルが2011年10月2日にロンドンで、11人目はピクサーキャラクターとして初めて「ディズニー・プリンセス」となった2012年公開「Brave(メリダとおそろしの森)」のメリダが2013年5月11日にフロリダのディズニーワールドで、それぞれ戴冠式を経て正式なメンバーとして追加されました。
アイドルではありませんが、このように「ディズニー・プリンセス」は実は映画が公開されただけではなく、正式に追加されて戴冠式を経ないと入れないハードルの高いグループなのです。
アナとエルサはプリンセスじゃないの? 意外とドライなビジネス関係
ちなみに、メリダの次に登場した「プリンセスらしきキャラ」は2012年公開の「Wreck-It Ralph(シュガーラッシュ)」のヴェネロペ・ヴォン・シュウィーツや、2013年公開の「Frozen(アナと雪の女王)」のアナとエルサですが、ヴァネロペはプリンセス設定ではあるもののゲームキャラであるせいか、またFrozen姉妹については、「Frozen」フランチャイズで十分に独自で商品展開できるだけのブランド力と売り上げがあるからというビジネス的な理由で、2019年の続編公開を半年前にした現時点でもいまだに「ディズニー・プリンセス」フランチャイズには正式追加されていません。
平たく言うと、Frozen姉妹は独自経営で十分儲かるから、ディズニープリンセスに加盟しなくても自立してやっていけてしまうという笑
アレンデール王国自体も貿易で潤っている国でしたが、リアルな世界でも潤っているのですね。
このように、非常にドライな理由で「ディズニー・プリンセスである/でない」という所属可否が決まっていることがお分かりいただけると思います。
プリンセス、グループ編成年表
ここで一度、これまでのグループ編成の流れ(アイドルかよ)を簡単に年表でまとめると次のようになります。
「I’m not a princess」:2016年、ベルとモアナのプリンセス否認
さて、問題のモアナ。
映画が公開されたのは2016年ですが、これまでの傾向からいうとその翌年には戴冠式が行われて正式に追加されるという手続きが行われいたはずだったので、モアナはFrozen以降の流れを受けて、「ディズニー・プリンセス」にはならないのではないかと、少なくとも私は推察していました。
というのも、モアナは映画の中で自分のことを「チーフの娘である」と言う一方、マウイが一族の娘で動物の相棒もいるんだしプリンセスじゃないか、というメタ的な揶揄りを入れるとモアナは「OK, first I am not a princess」とプリンセスではないことをはっきりと発言します。
この「I am not a princess」 というセリフは、モアナと同年に公開された実写映画「美女と野獣」でもエマ・ワトソン演じるベルが、自分のことをプリンセスと呼ぶマダ・ド・ガルドローブに対してそっくりそのまま言います。
ベルについては、いまやディズニープリンセスの代表的な一人という位置づけが確立していますが、実際のところ生まれはシンデレラと同じようにロイヤルではない家庭に生まれていますので、文字通りプリンセスではないわけです。
しかし、これらは映画自体が「プリンセス映画」として観客にみられていることを踏まえた上で、物語というフレームの中の登場人物たちがわざわざ一歩外側の視点(=観客と同じフレーム)に立って揶揄ったり、否認したりしている、いわゆる「メタ的なネタ」と言えます。
少なくともモアナの下りについては、「一族の娘で動物の相棒がいる」のを「プリンセス」とみているのは舞台となっている時代のポリネシアンの登場人物の視点ではなく、あきらかに現代の観客である私たちの視点を写したものであると考えられるからです。
この「プリンセス否認」は昨今「流行り」のメタ的なネタということにとどまらず、これまで長らく問題視されてきた「ディズニー・プリンセス」に対するジェンダーの観点を踏まえた、これからの子どもたちに向けた新しい認識形成について意識していることが考えられます。
子ども「モアナはプリンセスじゃない」:プリンセスの与える影響をみた学問研究
実はこのモアナの「I’m not a princess」に関連して、子どもたちがモアナをどう認識しているかについて明らかにするための学問的な研究がなされています。ここでは具体的に、Hineらが2018年に行なった研究について紹介したいと思います。
この研究では、複数の子どもたちを対象に「Sleeping Beauty(眠れる森の美女)」と「Moana(モアナと伝説の海)」を視聴してもらい、その前後でインタビュー調査をするという形式で、3つの問いを立ててそれを明らかにするための考察がなされています。
第1の問い:子どもたちが、その二つの映画の間における「伝統的な(traditional)」と「現代的な(modern)」のジェンダー役割描写の「進歩(progression)」に気づくか?
▶︎考察1:全体として、結果によると子どもたちはより中性的でバランスのとれたジェンダー像をモアナに、よりフェミニンな(古典的な女性性をベースとした)ジェンダー像をオーロラに位置付け(identify)した。
第2の問い:進歩に気づくかどうかという発見は、子どもたちの中のより広いプリンセスの概念化において影響するのか?
▶︎考察2:映画を鑑賞する前後という条件を変えた調査をしても、参加した子どもたちにおけるプリンセスの概念化に関して、大きな違いは見られなかった。
第3の問い:子どもたちは、現代的なディズニープリンセスについて、彼女らのかつてよりもバランスのとれたジェンダー役割描写について「プリンセス」として認識するのか?
▶︎考察3:子どもたちは、具体的なヴィジュアルのヒント(ここではドレスを着ているかどうかなど)を、そのキャラクターが「プリンセスかどうか」の判断をする際に用いている可能性が高く、また、この研究に参加した子どもたちはモアナをプリンセスとして位置付け(identify)しなかった。おそらく彼女が(子どもたちの期待する)ヴィジュアル的なヒント(ドレス)の条件を満たさなかったからだろう。
さらに、モアナが「OK, first, I am not a princess」というプリンセス否認をした点に大方同意しているようで、「モアナはプリンセスか?(Is she a princess?)」という質問に対しては「いいえ(No)」と回答した率が最も高かったことは特筆すべき。
上記に加えて、この研究における考察の部分で注目すべき点は、以下にまとめられそうです。
- 子どもたちが、プリンセスというジャンルとしてではなく、キャラクター個別でみている可能性が示唆される。
- モアナのような新しい表象が子どもたちの認識を変えることができるとしても、ディズニー作品の場合は今でも古い作品に触れることができるため認識を変えていくには不十分である可能性がある。
- プリンセスという概念は、モアナのような(より進んだ)表象が登場しても、プリンセスとして子どもたちに認識されないかもしれないため、実は影響がないかもしれない。
- 一方で、子どもたちは、(かつてのステレオタイプ的なジェンダーから脱した)新しい表象について気付いているため、それらのモデルに触れることで、女性の役割についてよりポジティヴな解釈がされることが見込まれる。
つまり、この研究を参考にすれば、子どもたちはプリンセスたちを「ディズニー・プリンセス」というカテゴリーとしてというより個別で見ている可能性があり、モアナのようなプリンセスがオーロラたちのような「古い」ジェンダー表象とは違っていることについては認識しているようであるということは言えそうであるということになります。
一方で、プリンセスとしての認識を多様化するにはモアナ(のようなキャラクター)もプリンセスのカテゴリーで見てもらわないと、カテゴリー自体の認識をアップデートすることには繋がらない、とまとめている点は非常に興味深い。
なぜなら今回ディズニーは、それがビジネス的な理由であったにせよ、わざわざ自らプリンセス否認させたモアナを「正式なディズニー・プリンセス」として再カテゴライズすることを決めたのだから。
プリンセスカテゴリーアップデートはかねてより望まれていた:多様化と「メリダ署名運動」の意義
カテゴリーとしてのプリンセスの概念を多様化する試みは長らく行われてきました。
というのも、ディズニープリンセスたちが2000年以降のフランチャイズとしての「ディズニー・プリンセス」になる以前から、「受動的で(性的にも)対象化された存在」としてのアイコンとして、クラシックプリンセスの3人は長らく批判の対象となってきたからです。
89年のアリエル以降のプリンセスはまさに、80年代のフェミニズムの波を受けてそれに対するディズニー側からのアンサーとして出てきた時代適応型のプリンセスといっても過言ではありません。
【1】フェミニズム対応型プリンセス:アリエルとベル
実際、彼女らの最初登場したアリエル(1989)は、「海の中(under the sea)」での生活に満足できず、「上の世界(upabove)」へいくために「声(voice)」を失うことを引き換えにしてでも自分の「feet(足)」を手に入れて「立ち上がり(stand)」「歩き(walk)」「走る(run)」ことを夢見るというのは非常に巧妙なメタファーであることは何度も論じられてきている。(主にPart of Your Worldの歌詞より)
【2】エスニシティ多様化路線:ジャスミン、ポカホンタス、ムーラン、ティアナ
しかしそれでも王子様と結ばれて幸せにいつまでも暮らす(happily ever after)的展開は温存され、元からロイヤルだったアリエル、本人が初めから望んでなかったとは言え「シンデレラストーリー」を実現した庶民出身のベル(1991)はどちらも「ホワイト」であった。
物語の構造的にも、性の位置付け的にも、幸せのあり方としても、エスニシティの面でも変わってはいない。
続いて出てきたジャスミン(1992)は「Prize to be won(勝ち取られる賞品)」ではないと言いつつも、身分は低い男であっても結局はイケメンと結婚する結末を迎える。またペルシア系というファジーなエスニシティを与えられホワイトから脱したようにも見えるが声優は変わらずホワイト系であった。
その後は、ネイティヴアメリカンの伝承をベースにしたポカホンタス(1995)、中国の古典を原案としたムーラン(1998)など、アメリカにおけるエスニシティの多様性*を意識していることが露骨にわかるプリンセス展開がなされていった。(*アジア系アメリカ人は、現在のアメリカにおいても割合こそ低いが「増加率」は最も高い)
アメリカのニューオーリンズを舞台に登場したティアナが2009年に初のアフリカンアメリカンのプリンセスとなり、ここで「エスニシティ多様化路線」は一旦幕を閉じる。
【3】実は「ディズニー・プリンセス」に加わる予定だったおとぎ話を相対化したジゼル
ティアナの2年前に登場した「Enchanted(魔法にかけられて)」のジゼルは、これまでディズニーが描いてきたプリンセス像をセルフパロディ化して揶揄りながら、フェアリーテイルの世界=おとぎ話の国(アンダレーシア)と現実世界(ニューヨーク)を「相対化(どちらにも優劣つけない「みんなちがってみんないい」的な)」し、現実世界で夢を掴むことを目指すエンディングを迎えた点で非常に画期的であった。
このこともあったのかディズニー側は「ディズニー・プリンセス」フランチャイズにジゼルを加えようとしていたようだが、実写とアニメのハイブリッド映画であったため女優のエイミー・アダムズの版権料を彼女が死ぬまで支払い続けることはコストがかかりすぎるという判断から、追加を諦めたらしいという逸話が残っている。
【4】総集編を結局古典的にCGでまとめたラプンツェル
ピクサーアニメーションスタジオ買収の後、ジョン・ラセター監督を迎えた新体制が落ち着き、初のCGアニメーションプリンセスとして登場したラプンツェル(2010)は、毒々しく美と若さに執着する血縁のない母親に育てられ、外の世界に憧れ、泥棒をしている男と対等に取引しながら自分の夢を叶えつつ、恋に落ち、自分が実はロイヤル=プリンセスであったことに気づき、魔法を解くことで危機を脱して、冒険を共にした男性と結ばれるという終わり方をしており、これまでのプリンセスの「総集編」的な構成になっている。
【5】となりのスタジオから来た「外様」プリンセス:「ゲームチェンジャー・メリダ」
これまで、①ジェンダー像、②エスニシティを多様化させるという点で、プリンセスカテゴリー内での表象を多様化してきたディズニーに対し、別スタジオであるピクサーサイドから登場したプリンセスがあらゆる点で「プリンセス」概念から逸脱しており、これまでのお約束をひっくり返した。
まさにゲームチェンジャーであった。そしてそれはプリンセスという伝統がほとんどない(正確には「バグズライフ(1998)」のアッタ姫がいるが)「外様」であったからこそ可能だったことも予想される。
メリダが画期的だったのは、
- ロマンスに憧れておらず、恋愛や結婚への願望はない
- これまで多くの場合、いつの間にか死んだり、限りなく影が薄かった「母親」と向き合うことになる
- 悪役としての魔女がでてこないどころか、魔法も使いこなせないダメ魔女しかでてこない
- 魔女は魔法に責任を取らず、魔法のような解決方法はなく
- 恋愛対象どころか、助けてくれる男性も登場せず
- 自分で向き合って解決せざるを得ない状況に追い込まれる
というこれらの点が挙げられる。
「メリダ署名運動」の意義
このようなプリンセスが特に娘を持つ親たちから望まれていた、期待されていたことがよくわかるのが、「Say No to the Merida Makeover, Keep Our Hero Brave!」キャンペーン、いわゆる「メリダ署名運動」だ。
ここでは、メリダが2013年にピクサーキャラクターとして初のディズニープリンセスに加わることが決まった時、他のプリンセスの作画に合わせ、ディズニーサイドが用意した、新しいメリダの作画が、目をより大きくし、ドレスはキラキラになり、大事にしていた弓を持たず、スタイルもより腰のあたりが細くなった、よりセクシーなデザインに変更されていたことについて、ピクサー側のブレンダ・チャプマン監督も中心となった異議申し立てが行われ、 change.org というウェブサイトでオンライン署名が集められ、主にジェンダー的な視点からこのムーヴメントが非常に大きな波となり、ディズニー側は作画変更を取り下げ、新たな作画を用意するという対応をした。
この一連の騒動で私が重要だと考える点は、メリダを「ディズニー・プリンセス」に加えることへの反対よりも、加えるにあたって作画がよりフェミニンになったことへの反対が大きかったという点である。
つまり、従来の「プリンセスのステレオタイプ的なイメージ」に当てはまらないメリダのようなプリンセスを「ディズニー・プリンセス」に加えることで、「プリンセス」というカテゴリーのイメージを多様化させることについては賛成している人が多かった可能性があるということです。
言い換えれば、「枠に当てはまらない」プリンセスが「ディズニープリンセス」の一員になることに、「女の子」のロールモデルとしてのプリンセスのあり方における多様性を担保するという点で非常に重要な意味があった、と考えられるわけです。
【6】独立経営可能な、「自立系」売れっ子姉妹
ピクサーが出してきたゲームチェンジャーをはるかに超えるセンセーションを巻き起こしたのがディズニーサイドがメリダの次に登場させたFrozen姉妹ことエルサとアナでした。
このうちエルサはロマンスとはまったく結び付けられず、白馬の王子様はしたたかな権力欲に満ちた策士として描かれ、結婚はせずとも家族の一員として労働者階級の男性(もしかしたらエスニシティが違うかもしれない)が受け入れられることになるという点でメリダとはまた違う画期性を示したわけです。
何よりも全てを解決する「True Love(真実の愛)」にずっとつきまとってきた異性間恋愛を前提とした規範(ヘテロノーマティヴィティ)から物語構造を解放(Let go)させたことがメリダの次に登場した作品としては重要な点で、それを外様ではなく本家でやったことに意義があったと考えられます。
しかし、この姉妹はあまりに世界的なセンセーションを巻き起こした結果、グッズは作品単独で展開してもたくさん売れ、そういったビジネス的な理由からこの二人は「Frozen」という作品独立のフランチャイズで展開されつづけ、今でも「ディズニー・プリンセス」に入ることなく、独立で稼いでるのです。
これはもちろん、ビジネス的側面もあれば、これまでのプリンセスのあり方とは違うということを強調する意味合いもあるともとれ、また結果としてそれを強調しているようにも考えられます。
つまり、アナとエルサはビジネスとしてのみでなく、描かれた「プリンセス像=ロールモデルとなる女性像(広い意味でロールモデルとなる人間像)」としても「新しく」て「自立」しているといことがフランチャイズ的な独立の結果、強調されているようにも見えるということです。
【7】プリンセスじゃなくて、わたしはモアナ:それが意味していたことは?
これらを踏まえて登場したのがモアナで、先に示したように「I am not princess」とはっきり否認するわけです。
ここでHineらの研究の結論に立ち返ってみます。
- 子どもたちが、プリンセスというジャンルとしてではなく、キャラクター個別でみている可能性が示唆される。
- モアナのような新しい表象が子どもたちの認識を変えることができるとしても、ディズニー作品の場合は今でも古い作品に触れることができるため認識を変えていくには不十分である可能性がある。
- プリンセスという概念は、モアナのような(より進んだ)表象が登場しても、プリンセスとして子どもたちに認識されないかもしれないため、実は影響がないかもしれない。
- 一方で、子どもたちは、(かつてのステレオタイプ的なジェンダーから脱した)新しい表象について気付いているため、それらのモデルに触れることで、女性の役割についてよりポジティヴな解釈がされることが見込まれる。
これを踏まえて、これまでみたきたことをまとめると、11人目のメリダ加盟までは、プリンセスという枠組みをアップデートすることに意義があったわけです。(だからあれだけ作画を死守する必要があったのだろう。)
しかし、もはやプリンセスに入らないプリンセスが影響力を持てる時代がFrozenによって到来し、それに続いて出てきたモアナはついにプリンセス否認をしました。
この時点でモアナがいつものスケジュール感(映画公開後1年)で「ディズニー・プリンセス」に加えられなかったことから私は、もはや「プリンセス」というカテゴリーに入らなくても、そのカテゴリーを超えて、一人の個人の生き方(「I AM MOANA」)として、「(ディズニーが提示する)理想的な『女性』像(広く捉えて人間像)」としてやっていける可能性を示してきているんだろうな、と考えていました。
これがモアナがプリンセス否認し、加盟しなかった(というかディズニー社側が追加しなかった)意義だと考えています。
ウォルトディズニージャパンと本国ディズニーの温度差
モアナは、当然Frozen姉妹ほどグッズの収入はなかったことは商品展開や店頭の売れ行きなどからも容易に推測がつきましたがそれでも独自ブランド展開をしていたことを、自分としてはディズニー側のそういう意思表示として捉えていました。
実際、ウォルトディズニージャパンは、本家のディズニーが今回モアナを正式にプリンセスに追加することを決める前から、プリンセス一覧にモアナを入れていました。一方Frozen姉妹については本国に準拠して入れていません。
また、おそらく映画の知名度が低いことから、ポカホンタス、ムーラン、ティアナ、メリダは省略されており、記載がありません。
(この辺りについてはまたいずれ人種やエスニシティと絡めて書きたいと思っています。)
これは「映画の知名度が低い」=「グッズ出しても売れない」=「稼げない」という思考か、あるいは、そう「思い込まれてる」せいで展開するというリスクを犯さないがために結局商品が出していないだけの可能性もあります。出さなければ売れるか売れないかって本当のところはわかりませんが、知名度が低いことは明らかなので、リスクは犯したくないという部分がすくなからず見え隠れします。これはシュガー・ラッシュ:オンラインに関連して登場したプリンセスのグッズ展開や、イベント等あるいはプロモーション画像等での扱いにおいても顕著で、特にポカホンタス、メリダは省かれがちです。
総論1:モアナがプリンセス加盟することでプラス側面とマイナス側面
話を戻すと、今回のモアナのプリンセス正式加盟は、これらの視点で見ると非常に残念です。その理由が独自ブランドではディズニーが期待するほど稼げなかった(人気がなかった)ことの結果であるかどうかは定かでありませんが、結果として、独立した個人としての一人の生き方のロールモデルではなく、プリンセスの中の一人になってしまうからです。
一方で、プリンセスというカテゴリーにモアナが入るということは、先のHineらが導き出していたように、子どもたちの「プリンセス」というカテゴリーの認識をアップデートすることにつながる可能性があるという点で希望も見えます。
確かにこれは、これまでずっと先輩プリンセスたちが貢献してきた道をそのまま受け継ぐ(=プリンセスというカテゴリー内でのロールモデル的なあり方、生き方を多様化する)路線ではありあす。
しかし、先祖が代々積み上げてきた石の上に、貝殻を置くような行為ではあり、モアナ的でもあると私には見えたりもします。
これらのことは公に語られていないし、おそらくこれからも語られないため明らかにはならないと思います。
しかし、プリンセスのカテゴリーをアップデートすることに寄与することは、いまリアルタイムでモアナをみて生きている私たちとしては残念であっても、今後生まれてくる子どもたちがモアナをはじめてプリンセスの一員として見たときには、「こういうプリンセスもいるんだ」という認識につながることは間違い無く、「プリンセス」がディズニーキャラクターの中でも特別な位置付けであることを考えると、それはそれで意義のあることと考えられます。
総論2:姉妹は独立を保てるか?「How far they'll go?」
ただし、仮に今回のモアナ加盟がビジネス的な理由だけであるとしたら、
プリンセスというカテゴリーに入らず独立しているFrozen姉妹も、仮に続編以降のビジネス的な成果が芳しく無ければ、プリンセス加盟を余儀なくされる可能性があるということを意味しており、その点が非常に危惧されます。
Frozen姉妹の独立経営はどこまでいけるのか、How far they’ll go
エルサのことなので test the limits and break through してくれると期待して筆を置きたいと思います。
長文おつきあいいただきありがとうございました。