westergaard 作品分析

映画、ミュージカル、音楽、自分が好きなものを分析して語ります。

Frozen2 アナと雪の女王2:エルサの新曲「Into the Unknown(イントゥジアンノウン)」歌詞・和訳(随時更新:最終更新2019/9/30)

はじめに

歌詞全貌が判明したので、記事を書きなおしました。

コチラへどうぞ。日本語吹き替え歌詞等の情報もコチラ↓↓↓で更新しています!

ikyosuke.hatenablog.com

 

 

(以下、8月当時の記事)

 

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D23 expo のウォルトディズニーアニメーションスタジオのプレゼンテーションの会場へ行っていたフォロワーさんが、Frozen2についてのプレゼンテーションで発表された内容について、英語で詳しくまとめてくれたTumblrを共有してくれたので、そちらを日本語に訳したいと申し出たところ、承諾してくださったのでこちらに訳したものをこちらのブログに記しました。 

ikyosuke.hatenablog.com

こちらには、新キャラのマティアス中尉の登場シーンや、回想シーンで姉妹の母親イデュナ王妃が2人に子守唄を聞かせるシーンや、クリストフの登場シーン、またエルサを心配する穴の仲睦まじいシーンについての詳細レポートを和訳して解説しています。

 

そして今回は、その中でも映画冒頭のエルサの新ソロ曲「Into the Unknown(イントゥ・ジ・アンノウン)」のシーンの映像について、歌詞や映像の詳細までレポートしてくださっており、そちらも紹介していただいたので、訳していきたいと思います。

またYumekaさんの元記事では、この歌詞紹介に続いてストーリー展開の予想もされていますので、こちら原文に当たりたければ以下のリンクからご覧ください。

Yume Dimension — Now that D23 Expo is over and I’ve had some time...

Special Thanks: Yumeka (Twitter @Yumeka36  / Tumblrhttps://yumeka36.tumblr.com/)

 

音楽は部分的に映像で公開されており、以下の二つで視聴することができます。(2019/10/01現在)

www.youtube.com

www.youtube.com

 

 

エルサ新曲「Into the Unknown」 シーン 歌詞・和訳  映像の状況説明(原文:Yumekaさん、和訳:当ブログ筆者)

(!)NOTICE(!)
これはYumeka さんが記憶に基づいて書き起こした歌詞や情報ですので、正確さについての保証はありません。また私の解釈での翻訳であることはご了承いただいた上で、参考程度に見ていただければと思います。

 

 

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As Elsa’s walking down the corridors of the castle.
エルサがアレンデール場内の廊下を歩きながら

 

I can hear you, but I won’t.
聴こえてくるの でも聴かないようにするの

Some look for trouble while others don’t.
自分で災難を招くような余計な真似をする人もいれば、そうでない人もいる

There’s a thousand reasons I should go about my day
私が自分の日常を送るべき理由は千とある

and ignore your whispers which I wish would go away, oh. Oh.
だからあなたのささやきを無視するの
どこかへ消え去って欲しいの、切実に

 

You’re not a voice.
声じゃないわね

You’re just a ringing in my ear
ただの耳鳴りね

and if I heard you – which I don’t…”
あなたの音を聴くとき…
いいえ私は聴かないわ

 

She stops and looks at paintings on the wall, One is of the Frohana group and the other is of her parents.
エルサは立ち止まり、壁にかけられているフローズンファミリーの絵と、両親の絵を見上げる。

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...everyone I’ve ever loved is here within these walls.
私が愛してきたみんながここ、お城の内側にいるの

I’m sorry secret siren but I’m blocking out your calls!
ごめんなさい、神秘的な誘う歌声さん
でもその呼びかけは遮らせてもらうわ

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She continues walking through the castle and ends up outside.
エルサは歩きお城を抜けて外へ出てきた。

I believe it’s the exact same location where she fled Arendelle in the first movie, the area behind the castle near the fjord.
(Yumekaさんが思うに)おそらくそこは一作目でエルサがアレンデールから逃亡した時とまったく同じ場所、お城の裏のフィヨルドのそばのエリア。

 

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Are you here to distract me
私の気を散らそうとしにきてるの?

so I make a big mistake?
私に大きな過ちを犯させるために?

 

Or are you someone out there who’s a little bit like me,
それともどこかにいる、ちょっとばかり私みたいな誰かで

who knows deep down I’m not where I’m meant to be?
実はいるべき場所に 私が今いないことを知ってるの?

 

Every day’s a little harder as I feel my power grow.
自分の力が毎日少しずつ強くなるのを感じるの

 

Don’t you know there’s a part of me
わかってくれないの? 私の中のどこかに

that longs to go into the unknown?
未知の領域へ行きたいと切望している部分があることを

 

※以下の紫色の部分は2019年9月30日に日本で特別公開されたクリップで明らかになった歌詞です。

 

I’ve had my adventure
私の冒険はもう終わったの

Don’t need something new
新しいなにかは必要ないの

I’m afraid of what I’m risking if follow you
あなたを追いかけるために犯すリスクを恐れてる

Into the Unknown
未知の領域へ

Into the Unknown
未知の領域へ

Into the Unknown
未知の領域へ

 

Are you out there?
そこにいるの?

Do you know me?
私を知ってるの?

Can you feel me?
私のことを感じられるの?

Can you show me?
見せてよ?

 

 

Around this point, the magical ice particles that we saw in the trailer appear.
この辺りで、予告編に登場していた魔法の氷の粒子が現れる。

The first image they form is a heard of reindeer, like we saw in the trailer scene with Kristoff and Sven.
その粒子が描き出す最初の映像は、予告編でクリストフヤスヴェンとともにいたトナカイの群れ。

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Then the fire spirit (it looks like a little wispy, bouncy flame, just like the purple fire from the trailer),
続いて炎の精(ほっそりとした、バウンドする炎、ちょうど予告編に出てくる紫色の炎のような感じ)、

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then the Nokk,
それから水の精Nokk、

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then the earth giants,
そのあとに土の巨人、

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and then the blowing leaves.

それから風に吹かれる枯葉が。

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There was also a moment the ice particles seem to “pull” her towards the edge of the land and she spontaneously makes a ledge of ice so she can follow them even farther.
また、その氷の粒子がどうやらエルサを「引っ張り」陸地の端っこへ導き、さらにそれを追いかけていけるように、エルサが無意識に氷の出っ張りを作り出すシーンもあった。

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This leads to the other trailer scene of her reaching her arm out towards the fjord before the ice crystals with the symbols appear all around her. 
このシーンが予告編にあったもう一つ別のシーン、エルサがフィヨルドの方に向かって腕を伸ばしているシーン、ちょうど柄の書かれたクリスタルが飛び出してくる直前のあたりのあのシーンにつながる。

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The footage ends there.
D23で上映された映像はここで終わり。

 

 

書き起こしと和訳、終わり。

さて一体実際はどんなメロディなのでしょうか?

この先も曲の続きがあるのでしょうか?

私の個人的な予想にすぎませんが、Into the Unknownの楽曲のみについては、プロモーションのために、一曲丸々の映像がYouTubeなどで9月末~10月中旬くらいまでに公開されるのではないか、とおもっています。

はやくフルバージョンで見て見たいですし、色々な想像をさせられる歌詞になっています。
みなさんの考察や分析の材料のご参考まで。

 

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Frozen2 アナと雪の女王2:D23 expo 2019 でのプレゼンの内容詳細 公開された映像の情報も

はじめに

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アメリアナハイムで行われているD23expo2019。
各スタジオから新作の情報がどんどん公開されていますが、8月24日はウォルトディズニーアニメーションスタジオのプレゼンもあり、Frozen2に関する情報もたくさん。映像も多数公開され、新曲の生披露もあったようです。

 

D23の会場へ行っているフォロワーさんが英語でまとめてくれたTumblrを共有してくれたので、そちらを日本語に訳したいと申し出たところ、承諾してくださったのでこちらに訳したものを記します。原文に当たりたければ以下のリンクからどうぞ!

 

Special Thanks: Yumeka (Twitter @Yumeka36  / Tumblr https://yumeka36.tumblr.com/)

Yume Dimension — Just got out of the Go Behind the Scenes panel at...

 

Yumekaさんのレポートの和訳(プレゼンで公開された順に紹介

 

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  • アナとエルサが両手を握りしめるシーン(霧の中に歩いて入って行く直前)
    アナが言う「We do this together, okay? 一緒にやるのよ、いい?」
    エルサ「I promise 約束するわ」

 

 

  • アナ(旅行用の衣装)とクリストフがテーブルのそばにに座っていて、アナが彼に対して怒っている、あるいはイライラしている様子で、彼が少し恥ずかしそうあるいは罪悪感を覚えるような顔をしている様子のスクリーンショット

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  • エヴァン・レイチェル・ウッドが回想シーンでイデュナ女王の声を担当。D23ではイデュナが幼いアナとエルサに子守唄を聴かせるシーンが公開された。歌詞は北の風と川について言及する。

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  • スターリング・K・ブラウンがマティアス中尉の声を担当。製作陣は、彼は中尉で、彼の部隊は魔法の森の中に30年以上行方不明になっていた。
    アナが彼と(おそらく彼の村あるいはキャンプを見下ろしながら)話しているシーンが公開された。
    アナがマティアスに何を恋しいかと尋ねると、彼の父親とアレンデールでの良き日々だという。

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  • ジェスチャーゲームのシーン
    フローズンファミリーが城の中の部屋でジェスチャーゲームをしている。しかしエルサが声に呼ばれることに頭を悩ませ(※これは上記の記事では省略されていたが他の筋からの情報で補足)
    エルサが去った後、アナはクリストフにエルサが何かおかしいと主張。特にアナがジェスチャーゲームで選んだ言葉が氷だったことを言及しながら、エルサはそれならできるはずだったのに、と。
    その間、クリストフは面白おかしくアナに婚約指輪を渡そうとするが、失敗し、アナは気付かずエルサを探しに部屋を出て行ってしまう。
    アナはその際彼に短いキスをして、彼のことを「ハニー」と言う。
  • 次のシーンでは、アナがエルサの部屋に行って話をする。
    エルサは何も問題はないと言うがアナは、エルサが身につけているショールは母親のもので、エルサがそれを身につけるのは何か問題があるときだけだ、と指摘。
    2人はベッドの上に座り、エルサが自分が問題を起こすのが怖いと言うとアナはそれを慰めて、「いつになったらエルサは、私が姉さんを見るのと同じように、自分を見られるようになるのかしら(when will you see yourself the way I see you?)」と。
    エルサはアナが必要だといい、アナは決していなくならないわ、と。
    アナはエルサをなだめて、ベッドの中で寄り添い、そして母イデュナが回想シーンで歌ってくれた子守唄を歌い、2人は一緒に眠りに落ちる。

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  • 次のシーンは、2人が眠っているとエルサが再び声を耳にし飛び起きる。

    エルサは部屋を出てここから「イントゥ・ジ・アンノウン」のシーンへ続く。歌はエルサが、その声にどっかに行ってと伝えるところから始まり、(フローズンファミリーの絵を見上げながら)自分は愛するみんなとすでに一緒にいると言うことを言う。
    しかし曲はさらに盛り上がりエルサは城の外へと歩き出し、もしかしたら自分が今の居場所に属していないかもしれないという感覚や、この声が自分をどこか別の場所へ導いているかもしれないと歌う。
    ここからさらに、予告編で見せられた光のつぶつぶで表現された精霊のシーンのさらに長いバージョンのシーンへとつながる(炎の精霊が一番最初だった、Nokkよりも先)<westergaardのコメント:ということは、炎、水、土、風 の順ですね>
  • プレゼンの最後にはクリステン・ベルイディナ・メンゼルジョシュ・ギャッド、ジョナサン・グロフのキャストが全員出てきて、新曲「サム・シングス・ネヴァー・チェンジ」を披露。
    フローズンファミリーがそれぞれ自分たちの関係性を、そして自分たちがずっと一緒であることを歌う。アナとオラフの可愛らしいデュエットに始まり、クリストフとスヴェン、そしてエルサ、そしてみんなで。どうやら森へ向かう旅の途中で歌われるようだ。

 

以上です。

いやぁアナとエルサが一緒にベッドに入ってアナがエルサをなだめながらかつてイデュナママが歌ってくれた子守唄を歌うシーンとか、涙ものですね。。。

早く映像が見たいです!

 

Thank you for letting me translate it, Yumeka-san!! 

 

 

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トイストーリー4 考察 ウッディの決断は行動の方向でほのめかされていた?:スクリーンディレクション分析

はじめに

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トイストーリー4公開から1ヶ月以上が経ち、私もかれこれ吹替・字幕合わせて10回鑑賞したわけだが、お気に入りのシーンの一つはウッディとボーがシャンデリアを見つめるこのシーン。

でもこのシーン、映画の他の部分と比較すると、カメラを置く位置に関して、実は不思議な点があるんです。これを読み解いて行った結果、最後のウッディの決断のシーンでウッディが本当に望んでいたことがどっちだったのかというのが映像の中の「方向」で既に示されていたことに気づいたので、この記事ではその気づきを共有したいと思います。

 

映画の中において描かれる「位置関係」や「方向」は、たまたまそうなっているのではなく、制作する側がそのように「選択」しています。

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劇中の出来事の中でデュークカブーンは2回飛ぶ。正確にはコマーシャルと、飛べなかったトラウマになったジャンプも加えれば4回飛びます。
コマーシャル、リジャーンが発射した時、そしてアンティークショップ内でのフォーキー救出時のジャンプは右方向へのジャンプだ。対して、最後の観覧車からのジャンプは左方向へのジャンプです。

はたまた、ボーピープと再会してからウッディとボーが映る際には基本的にはどのショットでも右側にボーがくるように映されています。

映画の中において描かれる「位置関係」や「方向」は、たまたまそうなっているのではなく、ストーリーの展開と深く関係しており、映画を読み解く上では非常に重要な鍵となります。

 

今回の記事では、トイストーリー4という作品において、画面の中における位置関係・方向:専門用語で言う「Screen Direction: スクリーンディレクション(画面方向)」がストーリー(特にウッディの最後の決断のシーン)とどのように関係しているかについて読み解いていきます。

(もちろんこれはあくまで私の考察であってピクサーの制作チームの意図と完全に一致するものではないかもしれないが、少なくともスクリーンディレクションによって示されていることを読み解いた一つの分析としてお読みください。)

 

では、ここからいつもの「だ・である」調で(笑)

 

スクリーンディレクションによる表現手法からの分析

まずはじめに、基本事項の説明を少しだけ。

映画の製作や分析において重要な要素の一つに「Screen Direction: スクリーンディレクションというものがある。端的に言えば、「画面スクリーンの中における方向」のこと。

特に、アクション、特に移動する時左から右へ向かうか、右から左へ向かうかというところに顕著に現れる。

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ある地点から目的地へ移動する際は基本的にどのショットでも同じ方向へ向かうように映される。そのためA地点からB地点へ向かっている人を移す際に、画面左から右へ進んでいるショットが映された次に右から左へ進んでいるショットが映されることは基本的にはない。(「角を曲がった」などの様子がわかるショットが挟まれば別である。)

 

スクリーンディレクションを考える際には、真横から撮っていなくても(真正面からのショットではない限り)必ず左か右のどちらかへ動いていると考える。このように、ここでいう「右」と「左」は広い意味で捉えている。

この画面の中における方向を担保するために、映像を撮影・編集する世界では、一つのルールが決められている。それが「180-degree rule:180度ルール」だ。 

 

「180-degree rule: 180度ルール」と「イマジナリーライン

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例えば、2人の会話のシーンでは、基本的に対になっている2人の間に仮想上のライン「Imaginary Line: イマジナリーラインがあると想定され、原則的にその「ライン」を超えないようにカメラが動く(切り替わる)ようになっている。

そうすることで、左にいる人は必ず左に右にいる人は必ず右にいるので視聴者が混乱しないようになっており、映像メディアに慣れた私たちは、それを自然と感じるような認識に仕上がっている。

対話している人が3者以上になったり、途中で立ち位置が変わったりするとまた複雑になるが基本的には今書いたことが原則。

またこの「イマジナリーライン」は行動する方向や、モノに向かう人(コンピュータに向かう人)、または画面に映っていない領域(オフスクリーン)の何かへの視線においても生じる。

またこの方向は、物理的な位置関係にとどまらず、考えや目的が同じ人同士は向きが揃えられたり、敵対しているもの同士が向き合うようになっていたりすることもある。そうすることで両者が同時に見えていなくても誰と誰が敵対・対立しているのか、誰と誰が同じ目的で動いているのかということがわかるように作られる。

 

ちなみに意図的にこのルールを破ることもある。「crossing the line」と言って、あえてその「ライン」を超えるカメラの動かし方、ショットの切り替え方をする場合だ。それは稀で、基本的にそれをやった時は「なんらかの意図がある」と考えられることになっている。(La la land のセバスチャンがピアノを弾いているシーンで彼の背中をカメラが通り過ぎた時に、彼のオリジナルソングが始まる(=彼の世界へ入り込む)という演出は非常にわかりやすい例。)

逆にいえば「意図がない限りはラインは超えない」のが映画(というか映像)撮影の基本原則である。

 

今回は、冒頭に示した「シャンデリアのシーン」「デュークカブーンの飛ぶ方向の変化」と「ウッディとボーの左右の位置関係」を中心に、トイストーリー4を「スクリーンディレクション」の観点から分析していく。

 

【1】冒頭の回想シーンでのウッディとボーの位置関係

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この「9年前」のシーンでは、ウッディとボーが映るシーンではボーが左、ウッディが右という位置関係で始まるが、ボーが譲渡されることになり事態が一変するとウッディが左、ボーが右というように左右が転換する。

ボーはウッディも一緒に次の持ち主の元へ行くこと(駆け落ち?)を誘い(⑥)、ウッディもそれに応えて箱に入ろうとするが(⑦)、ウッディが消えたことに気づいたアンディが外へ飛び出してくる(⑧)。

これ以降会話はないが、2人は表情だけでお互いの考えを理解し合い(⑨,⑩)、ボーはウッディのハットと頬を触り、別れの挨拶をする(⑪)。

そのままボーの入った箱は画面右へ引っ張られ、持っていかれる。

 

 

【2】「右方向へ進む」ことは何を意味するか

(1)アンディからボニーへの引き継ぎ「左➡︎右」

この回想シーンに続いて私たちには、アンディとともに過ごした幸せな日々、そしてボニーへゆずりわたされ、ボニーとともに過ごした時間が「You've Got a Friend In Me」に乗せたモンタージュで見せられる。

この時ウッディが「左から右へ」受け渡される様子が描かれる。これは、トイストーリー3の時にも同様のシーンが少し違うフレーミングとカット割りで描かれていたが、3作目においても左から右という方向は同じであった。

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冒頭回想シーンのボーピープが入れられた箱が右に、ウッディが左にいたこととも呼応し、あの時ボーは次の子どもへ譲られていったので、その位置関係とも呼応する。

 

(2)アンティークショップでの移動方向「左➡︎右」

フォーキーがギャビーギャビーによって誘拐された後、ボーに助けを借りてアンティークショップに戻り、店内での救出を試みるシーンが4作目の中盤の大半を占めるわけだが、その際の移動の方向は基本的に右方向である。

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この救出作戦の最中にデュークが1回目のジャンプを見せるためこのジャンプは右向きで描かれます。
このジャンプはデュークとともにウッディが飛ぶことにも象徴的に表されるように、フォーキーを連れ戻し、ボニーの元へ戻るためのジャンプです。

 

 

(3)左から現れ右へ去っていくギャビーギャビー

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ギャビーギャビーは初登場シーンでは、スクリーン左側からウッディに向かう形で登場する。しばらくの間、ギャビーとのバトルシーンは繰り広げられるが、ウッディとの関係でいうとウッディと2人きりになるのは終盤のボイスボックスを譲るシーンである。

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そのシーンでもギャビーは左側、ウッディが右側という位置関係が保存されている。

またこのシーンでは、子供と遊ばれる幸せが、照明演出でも巧みに表現されている。

ギャビーにとって憧れの「持ち主の子どもとの幸せな日々」を過ごしてきたウッディのいる右側だけに窓からの光が当たっている。

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これはちょうどキャンピングカーでのフォーキーとウッデイの関係にも呼応していて、一番遊ばれているフォーキーに最も光が当たり、次に遊ばれているバズたちには車内のサイドライトが、最も遊ばれていないウッディは最も暗い闇の中にいる。ここではチャイルドシートにフォーキー、一段高い床にバズたち、一番低いところにウッディというように高さにもそのヒエラルキーが反映されている。

 

ウッディは自分がどれだけ幸せな日々を送れきてたか、そしてそれがどれほどレアだったのかを実感したウッディはボイスボックスを譲ることを決意。そうしてボイスボックスを手にしたギャビーは念願のハーモニーに気づいてもらえる。

この時ギャビーはスクリーン左側の棚の方から、右側にいるハーモニーへ声を聞かせる。するとハーモニーが右から左へ近づいてきて、ギャビーを手に取る

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しかしハーモニーはギャビーを左側の箱の中に放りなげ、右へ消えていく

続いて迷子の女の子のシーン。

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この時、一行は左方向へ進んでいましたが(なぜここが左だったのかは後ほど触れる)ギャビーはふと立ち止まり右方向へ目をやり、迷子の女の子に気づく

左から戻ってきたウッディは、さらに左にいるボーへ目配せして「change of plan(計画変更だ)」と伝え、ボールころころ大作戦によるバニーとダッキーの助けもあって、右側にいた迷子の女の子は左側に座っているギャビーに気づく。そして拾い上げ、ギャビーを助けたいという気持ちに勇気をもらった女の子は右方向へ向かい、警備員に話しかける。

おそらく警備員が他の警備員と連絡を取り迷子の女の子の家族を探している間に一行はメリーゴーランドの上に場所を移し、次のショットでは女の子が家族と合流した様子が上から見下ろされる視点で描かれる。

この時家族はほぼ真正面へ向かって進んでいくが、ギャビーの視線へ右から左へ向かっており、右へ去っていったと捉えて良さそうだ。

 

 

ここまで見てきてわかるように、

(1)ボーやウッディが「次の持ち主の元へ渡る時 」 

(2)ウッディが「持ち主の元へもどるための行動(フォーキー救出)をとる時」

(3)ギャビーが「新しく見つけた持ち主へ渡る時」

「左から右」へという方向で描かれることがわかる。

総括すれば「左から右へ」というのは「1人の子どもへ尽くす方向」と考えて良さそうだ。

 

 

【3】ずっと右方向に進んでいたウッディが左方向へ折り返すのはいつか?

アンティークショップでのフォーキー救出作戦においては一貫して右方向へ進んでいたウッディ。

ギャビーにボイスボックスを受け渡し、ボニーに連れて帰ってもらえそうになるも、ハーモニーに捨てられたギャビーが気になり、再び右方向へ走る。

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ギャビーの捨てられた箱に一緒に入り、「もう私のたった一回のチャンスは終わったからボイスボックスは返す」と言い絶望するギャビー。

ウッディは画面左の方向にある窓から漏れるカーニバルの光と子どもたちの声の方向へ目をやるようギャビーを促し、「子どもはたくさんいる。その1人にボニーがいる。ボニーは君が来るのを待っている。まだボニーは知らないけど。」と声をかけボニーの元へ連れて行こうとする。

「もし違ったら?」と言うギャビーに対しウッディは「そうだとしても、棚に飾られてるだけなら、その答えも確かめられないだろう?」とボーから学んだ考えでギャビーを励まします。そこへ「その通り」と現れたボーはウッディの右側へ登場。

 

このシーンは、私が以前書いた記事でも取り上げたように、2作目でジェシーをアンディの元へ連れて行くときの会話と重なるように作られている。その対比を通してウッディが、「アンディに対する盲信(予定調和が来るという盲信)」から解放され「何が起こるかわからない現実」を受け入れてその上でそこに向き合わないといけないという考え方に変わっていることが表される。

(1)ジェシーへの口説き

JESSIE: But what if Andy doesn’t like me?
ジェシー:もしアンディに好かれなかったらどうしよう?

WOODY: Nonsense! Andy’ll love you!
ウッディ:そんなバカな!アンディは君のこと気に入るよ!

(2)ギャビーへの口説き

GABBY GABBY: But what if you’re wrong?
ギャビーギャビー:でももしあなたが間違ってたら?(ボニーに気に入られなかったら?)

WOODY: Well, if you sit on a shelf the rest of your life . . . you'll never find out, will you?
それでも、これから一生棚の上に座っていたら…それを確かめることすらできないんじゃない?

決定的に違うのは、(1)では妄信的にアンディがジェシーのことを愛すると信じ込んでいてそれが前提でジェシーを説得しているのに対し、(2)ではボニーがギャビーのことを気にいるかどうかはわからないけど、それでも行動して見なきゃ何も変わらないということを認識した上で説得しているということ。

そして後者の考え方は4作目の冒険を通してボーからインストールされたウッディにとっては新しい考え方だ。この「棚の上に座ってたら何も変わらない」というのはボーの言葉の引用である。

先に確認したジェシーの説得がそうであったように、このギャビーの説得も、ギャビーに向けているようでウッディが自分自身に言い聞かせていることと捉えることができると考えると、これはウッディ自身が『予定調和』(=「Established Harmony」=「ウッディにとってのハーモニー:すなわちアンディ)がない世界において生きて行くことを決意したことの現れと捉えられる。

だからこの次の瞬間ボー・ピープが助けに帰って来てくれて、「He's right」と言うのだ。あれはウッディがアンディから卒業した、つまりウッディが「予定調和」を前提とした認識を捨てた瞬間なのだ。

この引用部分にも書いたようにまさにギャビーにとっての「予定調和(Established Harmony)」が崩壊したこのシーンで、ウッディもそれがない世界で生きて行くための考え方を自分に言い聞かせ、そしてギャビーにも説いているのである。

ここでウッディは完全に自分のストーリー「誰かの持ち主に尽くし続けることだけがおもちゃの唯一の幸せである」から解放されている、と私は読み取る。

 

これ以上詳しいことは是非こちらの記事を参照してほしい。

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このシーン以降、一行はギャビーを連れて左方向へ進み続ける。その途中でカブーンが左方向へ向かって大ジャンプを決める。

方向については触れていなかったが、以前の記事でも次のように書いていた。

あのジャンプは、過去の<設定>や、それによって生じたトラウマを克服できさえすれば、ボーの言葉で言えば「今の自分になれる」。そうすれば、今まで自分にできるはずがないと思っていたことさえできるようになるということである。

過去に縛られ、自分が期待していた予定調和に裏切られたことに傷ついている、ウッディやギャビーの目の前で、飛べないから生きる意味がないと思っていたカブーンが飛ぶことで、彼らに勇気を与えることになる。

この説明と、上記の「ウッディの方向転換」を踏まえれば、あの大ジャンプが、それまでの右方向へのジャンプと異なり、左方向であることの理由はこれで明白であろう。

アンティークショップ内で右方向に飛んだ時のデュークはまだ、「自分に設定されたストーリーのようにカッコよくスタントを決められなかったせいで捨てられた」という過去に囚われており、そのことがノイズとなってジャンプを失敗しかける。

しかし終盤でその10倍の大ジャンプを成功させる時は左へ向いている。「ストーリー」から解放されたことが左へ向かっていくこととして象徴的に描かれていると言える。

カブーンはそれ以降1人の子どもの持ち物となって尽くすことは描かれない。この時カブーンに続いて左方向へ渡ったおもちゃたちのうち、唯一1人の子供へ尽くす方向へ進んだのはギャビーであり、この方向は【2】に見たように「右方向」であった。

左右方向への動きはこのように描き分けられていると考えられる。

 

【4】ボーとウッディの位置が入れ替わる時

ボーとウッディの位置については、【1】で示したように冒頭は「ボー(左)、ウッディ(右)」からスタートし、ボーが連れて行かれうることになってから「ウッディ(左)、ボー(右)」へと転換する。

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それ以降、公園での遊びのシーンで再開したショットでも、その後に茂みの陰で会話しているショットでも、メリーゴーランドの上で景色を見せてもらうショットでも、アンティークショップの中でのショットでも基本的にボーが右側という位置関係を貫いている。

 

照明演出も含めていうならば、最初にメリーゴーランドの上に登ったときは右にいるボー側だけ日差しが当たっており、左にいるウッディは影の中だ。

同じような演出はアンティークショップの中でジャンプの準備をする際にランチャーをもって棚の上に登っていくシーンでも描かれる。

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ボーは右側で高い位置におり、ウッディは低い位置にいて影の中にいる。
そんなウッディに対して、「移動遊園地と一緒に移動して街を出るの。もっと広い世界を見てみない?」と誘うボーは、「あなたにもできる」と言い、マジックカーペットに乗せて「A Whole New World」を見せに誘うアラジンかのようにウッディに対して右手を差し伸べる。ウッディがそれを掴んで登ることで、影の中から引き上げられる。

(引き上げるという動作自体は、冒頭のRCを救うシーンでの「Operation Pull Toy(おもちゃ引き上げ作戦)」と重なるように感じる。)

そうして引き上げられたウッディは、ボーに促されて振り返ると、そこにはウッディが見たこともないような美しい光景が広がっている。

人生のほとんどの時間を子ども部屋にしかいなかったウッディにとって、シャンデリアを見るのはきっと生まれて初めてだろう。このシーンの重要なショットは幸いにも全て予告編の中で公開されていたので順番に並べてみることにする。

 

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さて、記事の冒頭で紹介したイマジナリーラインがここで必要になる。

①②のショットにおけるイマジナリーライン は、シャンデリアと2人を結ぶ線であり、その線の片側180度以内でカメラが動かされている。

しかし続くショット③では、ウッディ越しのボーが映される。これはその直前のショットのイマジナリーラインは超えている。
続くショット④はその切り返し(リバースショット)で、ボーを見つめるウッディがボー越しに映される。
この二つのショットではイマジナリーラインがウッディとボーの間に切り替わっているとわかる。

ここのショットが面白いのは、

1)まずウッディが右側、ボーが左側となっており、これまでのウッディとボーの位置関係から考えると「例外」のショットと言えること。

2)カメラが2人の背中側に置かれていること。

 

ここで①、②のショットと、③、④のショットを分けて考える。

まず①と②。

f:id:ikyosuke203:20190823171819p:plain先に確認したように、直前シーンではウッディとボーの間にイマジナリーラインがあるが、この時登る方向と、2人とシャンデリアを繋ぐイマジナリーラインは同一直線上にある。

この後ジャンプをするシーンでもこのイマジナリーラインは維持される。

前後のシーンにおいては進行方向に向かって右側にしかカメラはなく、反対側にカメラが回ることはない。

 

つづいて③、④。

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シャンデリアを見上げる2人、そしてシャンデリア側から2人を見下ろす視点のショットが映された直後、ウッディ越しにボーを見つめるショットに切り替わった瞬間イマジナリーラインがウッディとボーの間に90度移行する。
この直前のショットでカメラはシャンデリア側へ回っているため、それに従うなら私が黒塗りの丸数字で示した❸、❹の位置にカメラをおけばよかったはず。
そうすれば左にウッディ、右にボーという位置を維持できたはず。さらに、顔や視線の向きはともかく、体の向き的には正面側から捉えていて自然なショットなはずである。

それでもわざわざ2人の体の裏側にカメラを回り込ませ、ウッディとボーの左右の位置を逆転させているのはなぜか、不思議に思い考えていた。

位置関係的に確実に言えるのは、背景にシャンデリアを入れられるということだが、シャンデリアを入れるためだけなら、ボーとウッディの左右の位置をこのようにする理由を完全には説明できない。

しばらく考えながら何回か鑑賞したいたが、以前の記事でも気づきを与えてくれたツイートとして紹介したアカウントだったがこちらの方のツイートがヒントとなった。

 このシーンにおけるボーを見つめるウッディが、冒頭のフォーキー誕生シーンにおけるフォーキーを見つめるボニーのショットと呼応しているというツイートだ。

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実際にこのショットを並べて見ると、背景に映り込むオフフォーカスの光のつぶつぶといい、右から左へ見つめる向きといい、対応していることがわかる。

この対応から考えるに、背中越しのショットが入ることで「ウッディが本当に望むもの」と「今やっていること:フォーキーを救ってボニーへ届けること」とが一致していないことを示していると見ることができそうだ。

ボーに教えられて、振り返った瞬間ウッディはこれまで見たこともない輝く景色に気づき、カメラが背中側に回り込んで、ウッディとボーの位置が転換する。 

しかしそのまま再び振り返り元の方向へむきなおり、スクリーン右へ向かってのデュークとの大ジャンプに繋がる。

シャンデリアのある方向とは真逆の方向にジャンプするという位置関係は非常に巧妙にできている。ボーが誘っている「広い世界」の「見たこともない美しさ」の象徴である「シャンデリア」の輝きを背に向けて、「フォーキーを救ってボニーの元へ届ける」という「忠誠心」に従ったミッションが今まさに始まろうとしている、というシーンなのだから。

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この、持ち主の方に向かう方向(ここではフォーキーを取り戻しに行くという方向)と逆方向に輝きがあるという構図はこれまでのシリーズでも登場した。

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博物館や保育園に残る選択をすれば、「永遠の幸せ」が手に入れられたかもしれないのに、ウッディは常に忠誠心に従って最終的にはアンディの元へ戻る選択を取り続けてきた。アンディの元に戻る幸せが「有限」であることは、「永遠の幸せ」の選択肢の方が「輝いている」ことと対比される形で「影や闇」で表現されてきた

今回のフォーキーを救うために向かう先は闇と言えるほどではないが、それでもボーが見せてくれた輝くシャンデリアのような美しい光景は背に向ける構図になっている。

 

これら2つの点から、カメラが2人の背後に回り、背中側の肩越しでウッディがボーを見つめるショットが選択されたのは、背景にオフフォーカスの光を入れ、ボーの見せてくれたような世界やボーと共に生きることがウッディの心から望むことであることを示すためであると考えられる。
またそれは同時に、忠誠心だけに従って選択してきたウッディが、またもう一度その選択をできる岐路に立っていることを示しているとも考えられる。

 

【5】ウッディの最後の決断のシーンで描かれた「方向」 

さてこれまでの4つでこの話をするための準備が整いました。

【1】では冒頭にボーが去る時からボーとウッディの左右が入れ替わり、ウッディが左、ボーが右という位置関係がある程度固定されるようになったこと。

【2】では右方向に進むということが、「1人の持ち主に尽くす方向」として描かれるということ。

【3】ではウッディが「1人の持ち主に尽くすことがおもちゃとしての唯一絶対の幸せである」という「ストーリー(予定調和)=呪縛」から解放された時に、進む方向が「左➡︎右」から「右➡︎左」へ思いっきり転換するということ。

【4】ではウッディとボーの左右の位置が入れ替わるシーンで、背景に「ウッディの知らない広い世界」の象徴として「オフフォーカスの光」が輝くようにフレームインされていること。

を確認してきた。

ではここで、最後の決断のシーンを自分の覚えているショットだけ描き起こして再現してみる。

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ここまで確認してきたことを反映すれば、バズたちが乗っているボニーの車がなぜ右側にあるのか、そしてボーとウッディがこのシーンでこの左右の位置に来る理由がお分かりいただけると思う。

ウッディがデュークたちに別れを言う時には背景はメリーゴーランドの屋根である。しかし羊たちへの挨拶を終えた後ボーの方へ向き直ると、背景には観覧車の光がオフフォーカスで映り込んでくる。

これはウッディが本当はボーと共に残り、世界を見て回りたいと思っていることが表現されていると捉えられる。右から左へと言う視線もここで生きて来る。

さらに、これは気付いた人も多いだろうが、冒頭のお別れのシーンともしっかり呼応している。

 

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まず第一に、冒頭では雨の日の夜、車の下で行われたのに対し、今回は晴れの日の夜、車の上のサンシェードの上で行われる

冒頭の回想シーンでのお別れではなかったボーがウッディに抱きつくという行動が加えられているほか、フチにかけた両手がクロースアップショットで映され、そこからチルトアップさせてウッディの言葉にならない表情を見せると言うカメラワークも完全に対応している。

さらに、仕切りを超えてボーがウッディの帽子と頬に触れるというアクションも対応している。

このアクションは、冒頭のシーンではかなり引きのワイドショットで映されるが、今回はカメラの位置がずっと近くなっており、このカメラの物理的な距離の近づきが、別れに対する2人の感情の高まりを象徴していると捉えられる。

決定的に違うのは、ボーとウッディの左右の位置が入れ替わっていること。もちろんこれは、右に向かうことが「1人の持ち主に尽くす方向」としてセットアップされてきたことを受けて、ウッディが右側にある車へ向かうと言う方向として描かれているわけだが、冒頭と呼応するシーンとして考えた時には、また少し別の要素も見え隠れする。

冒頭では、去っていったボーが右にいたことを考えると、ボーの視点で「ウッディが去っていってしまう」という見せ方にも読むことができそうだ。 

 

続きをみる。

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メリーゴーランドの屋根の上から名残惜しそうにウッディを見つめるボーを背にしながら、ウッディはサンシェードの上を渡ってバズの方へ歩いて来る。

この時、ウッディはボーの方を一度振り返る。この時にわかりやすいが振り返ったウッディの顔はカーニバルの明かりに照らされている。しかしバズの方へ向き直ったウッディの顔は完全に逆光で陰になっている。

右側にいたバズに「She will be okay. Bonnie will be okay. Listen to your inner voice.」と言われると、ウッディは光の指している方向にいるボーの方へ向き直り、左へ向かって走って行く。ボーもメリーゴーランドの屋根から飛び降り、サンシェードに降りて駆け寄って来る。抱きついてくるくると反時計回りに回る2人の後ろには同じく反時計回りで回転している観覧車が。この時の2人は先ほどのショットよりもずっとクロースアップで移されており、さらなる感情の高まりが反映されていると言える。

つづいて仲間たちとの再会を果たした後ジェシーシェリフバッジを受け渡す方向も左から右へ、そしてバズと抱き合うウッディの後ろには右側にジェシー、そして左側にボー。

そして左側に残ったボーとウッディが右側へ向かって去って行くボニーの車に乗った仲間たちを見つめながら終わる。

この車がさって行く方向もほぼ真正面と言えるような方向で、ギャビーが持ち主と去っていった方向と非常に近い。しかしここではバズたちの視線が画面左へ向いていて、それにたいするウッディとボーの視線が右へ向いているため、ギャビーの時と同じように「右へ去って行った」と捉える。

 

 

 

ここまで分析すると、ラストのウッディの選択のシーンで

 左から順にボーとウッディ、バズたちが並んでいることがいかに巧妙かがわかる。

 

 

 

デュークが示した象徴的な左へのジャンプ、そしてそれでも1人の子どもへ尽くすことを選び右へ進んでいくギャビー。

それらをを踏まえ、右にバズたち、左にボーがいる間でウッディが右か左かを選ぶ構図になっているのだ。 

そう考えると、バズの言葉を聞いたウッディが、左にいるボーの方へ駆け寄ることが「自分の内なる声」「本当に望んでいること」に従いながら、右方向:つまり1人の子どもに尽くす方向をもう選ばなかったということを、スクリーンディレクションで示していることがお分かりいただけると思う。

またボーのいる方向に輝きがあり、バズたちが去って行く方向は闇になっているというのも、持ち主の元へ戻るということと別の人生を生きることの対比がこれまでと同じように光と闇の演出でなされており、しっかり引き継いでいる。

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もちろんバズたちが不幸せなわけではなく、バズたちのように必要とされる子どもに尽くすことは「おもちゃにとって最も気高きこと」として描かれている。

その役目を終えても輝ける場所があることをボーとウッディは示してくれているという点で、バズやジェシーたちも安心して「有限の幸せ」である「闇」の方へ向かっていけるのかもしれない。

 

このように映画の画面の中における方向「スクリーンディレクション」もかなり理詰めで意図的に計画されていることが確認できると同時に、このようにスクリーンディレクションを通して我々に物語のヒントが与えられていることがしっかり確認できたと思う。

またスクリーンディレクションに着目するということが、映画を分析する際のヒントになるかもしれないと思い今回このように記事にしてみた

 

今回も最後まで読んでくださった方、お付き合いありがとうございました。

 

 

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実写アラジン【ディスク収録・未公開曲】「Desert Moon(デザートムーン)」(歌詞・和訳)

はじめに

f:id:ikyosuke203:20191010210709p:plain

 

世界的にも日本でも大成功を収めた、実写アラジン。

実写バージョンの続編公開も検討されていると言われるほど。。。

collider.com

 

それはそれで楽しみなのですが、新しいコンテンツがウェブ限定で公開(のちにディスクや配信版の特典映像に収録)されたのでそちらのご紹介を。

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劇中でジャスミンがダリアと偽ってアラジンの住処を訪れたときにジャスミンがアラジンが「拝借している」という楽器で弾き始めた母との思い出の曲は、アラジンにとっても母との思い出の曲でした。

約束に現れないアラジンを待つジャスミンとこれから魔法の洞窟へ向かうアラジンが歌う 2人それぞれの母との思い出の曲。

その曲のフルバージョンがアラジンとジャスミンの役者2人、メナ・マスードとナオミ・スコットによって歌われたデュエットバージョンで公式VEVOにおいて公開されました。

今回はその歌詞を聞き取り書き起こした上で訳していきたいと思います。

 

www.youtube.com

www.youtube.com

 

 

歌詞・対訳
 

[Jasmine]
When the shadows unfold
闇が広がり

When the sun hides its gold
太陽がその黄金の輝きを隠し

When the wind and the cold come calling
風と冷たさがやってきて

When the path isn't clear
道がはっきりわからないとき

And the stars disappear
そして星までも消えたとき

As an endless midnight's falling
永遠の真夜中が降りかかるとき

 

[Aladdin]
At the edge of the sky
空の端っこで

There's a moon hanging high
月が高くにぶら下がっている

When you're lost
道を見失ったとき

It'll try to remind you
思い出させてくれようとする

 

[Jasmine]
On a dark desert night
暗い砂漠の夜に

You can look to the light
光に目を向けられるの

Cause it's shining there
だってそこに輝いているんだもの

To find you
あなたを見つけるために

 

[Jasmine & Aladdin]

Desert moon
砂漠の月夜

Light the way
進むべき道を照らして

Till the dark turns to day
闇が明け陽が昇るまで

Like a lamp in the lonely night
孤独な夜に灯したランプのように

Bright and blue
明るく 青く輝く

Desert moon
砂漠の月夜

Wild and free
自然のままに 妨げられることなく

Will it burn just for me?
私だけのために燃えてくれない?

 

[Jasmine]
Shine down
光を降り注がせて

 

[Aladdin]
Shine down
光を降り注がせて

 

[Jasmine & Aladdin]
Till I find my way to you
私があなたへ通ずる道を見つけるまで

 

[Aladdin]

At the edge of the sky
空の端っこで

There's a moon hanging high
月が高くにぶら下がっている

When you're lost you can try the view
道を見失ったとき 視界を開くチャンスをくれる

 

[Jasmine & Aladdin]

'Cause it waits for you there
だってそこで待っているんだもの

And if you see it too
もしあなたにもそれが見えるなら

 

[Jasmine]

I can find my way
こうして見つけられるの

 

[Aladdin]

I can find my way
こうして見つけられるの

 

 

[Jasmine & Aladdin]

I can find my way
私の進む道

To you
あなたへと通ずる

 

こんな素晴らしい曲を本編にもエンドロールにも使わず、後日ネット公開のみだなんて。。。

なんて贅沢なんだ。

 

歌える日本語訳詞をつけて、交流のあるミュージカルシンガーの松岡さや子さんに歌っていただいた動画(2024年2月収録)を掲載しておきます。

youtu.be

 

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トイストーリー4 サウンドトラック劇中登場順に整理 シーン一覧

はじめに

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この記事ではトイ・ストーリー4のオリジナルサウンドトラックとして収録されている曲が、それぞれどのシーンでどのように分割されて使われているかを私が干渉した記憶を元に書き起こしていきます。

そもそもサウンドトラックは映画に使われた順番で収録されているんじゃないか?というツッコミが来そうですが、実はそうでもないんです。

ピクサー作品のサントラはすべての曲目を英語でタイトルで順番に並べることができるくらいには暗唱していますが(無駄な知識)、使われていない部分が収録されている場合、順番が入れ違っている部分、一つの曲が分割されて何箇所かで使われている場合、大事なシーンなのにその音楽が収録されていない場合などもあり様々です。

 

完全に出来上がった作品に対して音楽をつけているのではなくシーン単位で音楽を用意していき、それを編集の段階でシーンの入れ替えなど行う過程でカットされたりしているのだということが推測できます。

また、サウンドトラックの収録と販売のプロセスと、映画の最終編集が同時変更で行われていることも推測できます。そうでなければ最終盤で使わなかった曲はカットしたり、ギリギリで追加した曲も入れられるはずだからです。

その見えないために答えがはっきりわからないプロセスについてはともかく、今回はまずサウンドトラックの収録順リストを提示してから、その後私なりにトイストーリー4にシーン番号を振ったのでそれに合わせてサウンドトラックの何曲目のどの辺りが使われているかを見ていくことにします。

一つの曲で複数のシーンをカバーしている曲については、秒数で区切ることもできたのですが、一つの曲で3シーン以上が含まれていることはほとんどなかったので、「前半/後半」くらいのざっくりした分け方になっています。ご承知おきください。
ざっくりしてますが、みなさんもサントラ聞けばわかるくらいにははっきり分かれています。

 

サウンドトラック曲リスト

♫01 You've Got a Friend In Me/君はともだち

♫02 I Can't Let You Throw Yourself Away/君のため

♫03 The Ballad of Lonesome Cowboy/孤独なカウボーイのバラード

♫04 Operation Pull Toy/オモチャ引き上げ作戦!

♫05 Woody's Closet of Neglect/ウッディは置き去り

♫06 School Daze/はじめての幼稚園

♫07 Trash Can Chronicles/ゴミ箱に帰りたい

♫08 The Road to Antiques/アンティーク・ショップへの道

♫09 A Spork in the Road/先割れスプーンは手がかかる

♫10 Rubber Baby Buggy Butlers(前半)/ギャビー・ギャビーと腹話術人形(前半)

♫11 Buzz's Flight & a Maiden(前半)/どうする? バズ(前半)

♫12 Ducky, Bunny & Tea(後半)/ダッキー&バニーは名コンビ(後半)

♫13 Moving at the Speed of Skunk(前半)/スカンクで飛ばせ!(前半)

♫14 Bo Peep's Panorama for Two/世界は広い

♫15 Three Sheeps to the Wind/奪われた羊たち

♫16 Sneaking and Antiquing(冒頭)/アンティーク・ショップに潜入!(冒頭)

♫17 Recruiting Duke Caboom/デュークにお願い

♫18 Prepping the Jump/いざジャンプ

♫19 Let's Caboom!/レッツ・カブーン!

♫20 Cowboy Sacrifice/すべてはボニーのために

♫21 Operation Harmony/ハーモニーに愛されたい

♫22 Duke's Best Crash Ever/デュークの華麗なるクラッシュ

♫23 Gabby Gabby's Most Noble Thing/ギャビー・ギャビーの夢

♫24 Parting Gifts & New Horizons/別れと旅立ち

♫25 The Ballad of Lonesome Cowboy (Soundtrack Version)/孤独なカウボーイのバラード(サウンドトラック・バージョン)

♫26 Plush Rush!(前半)/ふわふわアタック!(前半)

 

 

映画のシーン一覧

S01) おもちゃ引き上げ作戦:RC救出とボーとの別れ
アンディのおもちゃ達 @アンディの家
♫04 Operation Pull Toy/オモチャ引き上げ作戦!

 

S02) プロローグ:アンディの成長とボニーへの譲渡
アンディのおもちゃ達 @アンディの家、ボニーの家
♫01 You've Got a Friend In Me/君はともだち

 

S03) ボニーに遊んでもらえないウッディ
ボニーのおもちゃ達 @ボニーの部屋
♫05 Woody's Closet of Neglect/ウッディは置き去り

 

S04) ボニーの幼稚園オリエンテーション
ボニー、ウッディ、フォーキー @幼稚園
♫06 School Daze/はじめての幼稚園

 

S05) フォーキーの紹介
ウッディ、フォーキー、おもちゃ達 @ボニーの部屋
♫07 Trash Can Chronicles/ゴミ箱に帰りたい

 

S06) ロードトリップ
ボニー、ウッディ、フォーキー、おもちゃ達 @RV
♫02 I Can't Let You Throw Yourself Away/君のため

 

S07) フォーキーの投身
ボニー、ウッディ、フォーキー、おもちゃ達 @RV
♫08 The Road to Antiques(前半)/アンティーク・ショップへの道(前半)

 

S08) フォーキーにおもちゃの人生を説くウッディ
フォーキー、ウッディ @ハイウェイ
♫09 A Spork in the Road/先割れスプーンは手がかかる

 

S09) アンティークショップの中へ
フォーキー、ウッディ @グランドベイスン
♫08 The Road to Antiques(後半)/アンティーク・ショップへの道(後半)

 

S10) ギャビーギャビーとベンソンとの出会い
フォーキー、ウッディ、ギャビー、ベンソン達 @セカンドチャンスアンティー
♫10 Rubber Baby Buggy Butlers(前半)/ギャビー・ギャビーと腹話術人形(前半)

 

S11) バズの追跡
バズ、ジェシー、おもちゃ達 @RV
➡︎ バズ @カーニバル
♫11 Buzz's Flight & a Maiden(前半)/どうする? バズ(前半)

 

S12) ボー・ピープとの再会
ウッディ、ボー @公園
♫11 Buzz's Flight & a Maiden(後半)/どうする? バズ(後半)

 

S13) ビリー、ゴート&グラフとの再会
ウッディ、ボー、ビリー、ゴート、グラフ @公園
♫16 Sneaking and Antiquing(後半)/アンティークショップに潜入!(後半)

 

S14) ギグル・マクディンプルズとの出会い
ウッディ、ボー、羊たち、ギグル @公園
♫10 Rubber Baby Buggy Butlers(後半)/ギャビー・ギャビーと腹話術人形(後半)

 

S15) アンティークショップへ出発
ウッディ、ボー、羊たち、ギグル @公園
♫13 Moving at the Speed of Skunk(前半)/スカンクで飛ばせ!(前半)

 

S16) 私のハーモニーは完璧
ギャビー、フォーキー @ギャビーのキャビネット
♫12 Ducky, Bunny & Tea(後半)/ダッキー&バニーは名コンビ(後半)

 

S17) ダッキーとバニーとの出会い
バズ、ダッキー、バニー @スターアドベンチャー
♫12 Ducky, Bunny & Tea(前半)/ダッキー&バニーは名コンビ(前半)

 

S18) スカンクでの移動
ウッディ、ボー、羊たち、ギグル @カーニバル
♫13 Moving at the Speed of Skunk(後半)/スカンクで飛ばせ!(後半)

 

S19) ボーが見せる広い世界
ウッディ、ボー、羊たち、ギグル @カルーセル
➡︎ バズ @セカンドチャンスアンティーク入り口
➡︎ ウッディ、ボー、羊たち、ギグル、バズ、ダッキー、バニー @セカンドチャンスアンティーク屋上
♫14 Bo Peep's Panorama for Two/世界は広い

 

S20) 釘付け
ジェシー、ドーリー、おもちゃ達 @RV
♫このシーンの音楽は収録なし

 

S21) アンティークショップ潜入
ウッディ、ボー、羊たち、ギグル、バズ、ダッキー、バニー @セカンドチャンスアンティーク店内
♫15 Three Sheeps to the Wind/奪われた羊たち

 

S22) ダッキーとバニーの妄想
バズ、ギグル、ダッキー、バニー @セカンドチャンスアンティーク棚の上
♫26 Plush Rush!(後半)/ふわふわアタック!(後半)

 

S23) ギャビーに報告するベンソン
ギャビー、フォーキー、ベンソン @ギャビーのキャビネット
♫16 Sneaking and Antiquing(冒頭)/アンティーク・ショップに潜入!(冒頭)

 

S24) ピンボールマシンへ
ボー、ウッディ @ピンボールマシン
♫16 Sneaking and Antiquing(前半)/アンティーク・ショップに潜入!(前半)

 

S25) デューク・カブーンの紹介
ボー、ウッディ、デューク @ピンボールマシン
♫17 Recruiting Duke Caboom/デュークにお願い

 

S26) ジャンプ作戦の準備
ボー、ウッディ、ギグル、デューク、バズ、ダッキー、バニー @棚の下▶︎棚の上
♫18 Prepping the Jump/いざジャンプ

 

S27) 作戦実行
ボー、ウッディ、ギグル、デューク、バズ、ダッキー、バニー、ギャビー、ベンソン達@棚の上▶︎ギャビーのキャビネット
♫19 Let's Caboom!/レッツ・カブーン!

 

S28) ギャビーとウッディの対話
ウッディ、ギャビー、ベンソン達 @閉店後のセカンドチャンスアンティー
♫20 Cowboy Sacrifice/すべてはボニーのために

 

S29) バズがおもちゃのルールを破って喋る
バズ、おもちゃ達 @RV
♫このシーンの音楽は収録なし

 

S30) ボーがウッディの元に戻る決心をする
ボー、羊、ギグル、デューク、ダッキー、バニー @カルーセル
♫このシーンの音楽は収録なし

 

S31) ボイスボックス移植手術・ハーモニーに貰ってもらえないギャビー・ボー再合流
ウッディ、ギャビー、ボー @閉店後のセカンドチャンスアンティー
♫21 Operation Harmony/ハーモニーに愛されたい

 

S32) フォーキーの伝言とジェシーの思いつき
バズ、フォーキー、ジェシー、おもちゃ達 @RV
♫このシーンの音楽は収録なし

 

S33) 再びスカンクでカーニバルへ
ウッディ、ギャビー、ボー、羊、ギグル、デューク、ダッキー、バニー @カーニバル
♫このシーンの音楽は収録なし

 

S34) カーナビ作戦と観覧車からのジャンプ
バズ、トリクシー、おもちゃ達 @RV
ウッディ、ギャビー、ボー、羊、ギグル、デューク、ダッキー、バニー @観覧車
バズ、トリクシー、おもちゃ達 @RV
♫22 Duke's Best Crash Ever/デュークの華麗なるクラッシュ

 

S35) 迷子の子を見つけたギャビー
ウッディ、ギャビー、ボー、羊、ギグル、デューク、ダッキー、バニー @カーニバル
♫23 Gabby Gabby's Most Noble Thing/ギャビー・ギャビーの夢

 

S36) ボニーは大丈夫
ウッディ、バズ、ボー、ジェシー、おもちゃ達 @カルーセル
♫24 Parting Gifts & New Horizons/別れと旅立ち

 

S37) クレジットシーン
♫02* I Can't Let You Throw Yourself Away(インストゥルメンタルバージョン)/君のため(インストゥルメンタルバージョン)* 【収録はされていない】
♫26 Plush Rush!(前半)/ふわふわアタック!(前半)
♫03 The Ballad of Lonesome Cowboy/孤独なカウボーイのバラード

 

未使用曲
♫25 The Ballad of Lonesome Cowboy (Soundtrack Version)/孤独なカウボーイのバラード(サウンドトラック・バージョン)

 

 

 

 

トイストーリー4:「3のエンディングが素晴らしいことはわかってるけど…」監督&プロデューサーインタビューの書き起こしと和訳

トイストーリー4の製作についての監督とプロデューサーへのインタビュー動画

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現在ディズニーデラックスで視聴できるスペシャルコンテンツにあるトイストーリー4の製作に関するインタビュー動画のなかから一部分だけ私が抜粋して原文を書き起こし、独自に和訳しました。

というのは、ディズニーデラックスの方で視聴できる動画にはすでに和訳された字幕だけがついているのですが、字幕という媒体の限界によって少しはしょられている部分もあるので、一度本人たちの喋っている英語の原文を書き起こした上で字数にとらわれずしっかり理解したいと思い、和訳してみました。

 

インタビューの書き起こしと和訳(抜粋) (フル版はディズニー・デラックスで!)

監督:ジョシュ・クーリー(JC)
プロデューサー:マーク・ニールセン(MN)、ジョナス・リヴェラ(JR)

 

1)4作目製作のプレッシャーについて

JC
We love Toy Story 3, and I love Toy Story 3, its ending is amazing, and there was a lot of pressure coming into do the fourth one, right off the gate.
僕らはトイストーリー3が好きだし、僕も個人的に好きだし、あのエンディングは素晴らしいよ。だから4つ目のをやることになったとき、最初からすごいプレッシャーはあったんだ。
Like, how do you go from there?
いったいあそこからどこへもってくんだ?ってね。

And so that was a question, but we had an idea with Woody that can make a story go even further.
そう、だからそれはすごい問題だったんだ。けど僕らにはアイデアがあったんだ。ウッディについてならこの物語をもっと先へ持っていけるだろうって。

The end of Toy Story 3 is the end of Woody’s time with Andy.
3作目の終わりは、ウッディにとってアンディとの時間の終わりだ。

Now he’s with the new child Bonnie, and it’s beginning of the something new.
今や彼は新しい子どもボニーといる。それこそ新しいことの始まりなんだ。

 

 

2)4作目製作で気をつけたことについて

JR

We want Toy Story 4 to feel brand-new, like it’s something you’ve never seen before, and yet that is familiar enough that it feels like an organic continuation of the first three.
僕らは、トイストーリー4をまったく新しいものに感じて欲しかったんだ。今まで見たこともないっていうか。でも同時に親しみやすくしたかった。前3作からの自然なつながりの延長に感じられるくらい十分にはね。

And I think that the biggest challenge was the balancing.
だから僕が思うに、最大の挑戦はそのバランスを保つことだったんだ。

We know the audience got a feeling that 3rd film had such a beautiful ending.
僕らもわかってるさ、3作目が美しいエンディングだとオーディエンスが思っていることは。

So we tried to engineer it forward, that was a misdirection for us set up a new beginning.
だから僕らはなんとかして前に進めようとしたんだ。あれはある種のミスリーディングで、実は新しい始まりのための準備だったんだ、って。

 

MN

There’s also a lot of love for these characters, Buzz and Woody, within the crew within the studio, we care about these characters as much as anybody.
もちろん僕らクルーやスタジオの中には、バズやウッディへのあふれんばかりの愛情もあるよ。僕らは他の誰にも負けないくらいこのキャラクターたちのことを気にかけているからね。

The crew really rolling around the story to do everything they could to make it the best thing as possibly be.
うちのクルーたちはほんとうに頭を悩ませて思考を巡らせてこの物語を可能な限り最高のものにするためにできることはなんでもしたさ。

 

 

3)作品のメッセージについて

JC

The story is about transition.
今作は「トランジション:変化」についての物語なんだ。

Woody go from Andy’s room to Bonnie’s.
ウッディはアンディの部屋からボニーの部屋へ行く。

It’s a whole new situation for him.
彼にとってまったく新しい状況だよ。

Bo Peep has gone through a transition.
ボーピープは変化を経てきた。

Forky, trash becoming a most important toy.
フォーキーはゴミから最も大事なおもちゃになった。

Everybody go through things differently but we all kind of experiencing the same thing as a whole.
それぞれが違う形でこの変化を経験するわけだけど、僕らはみんななんらかのかたちで似たようなことを全体としては体験するんだ。

 

 

4)ウッディとフォーキーの関係について

MN

It’s not easy but Woody’s job is kind of make sure that Forky be there for Bonnie the way that he wishes he could be.
簡単なことではないが、ウッディの仕事はフォーキーが確実にボニーのそばにいてあげるようにすることなんだ。彼がそうできたらいいと思っているようにね。

 

 

5)ボーピープ関係について 最近のプリンセスの傾向を意識したのか? 

JC

We went back and look at Toy Story 1 and 2, to see how Bo acted in the original films.
僕らは、ボーが元の映画でどういう風に振舞っていたかを確認するために、1作目と2作目を見返したよ。

And she was always a really strong character, she wasn’t in the foreground but she was always off to the side and whenever Woody had a problem, he would approach her and kind of confess his feelings about what’s happening with Andy or the room and she would give him advice that actually would help.
彼女はいつも本当に強いキャラクターだった。彼女は前には出てこないんだけど、常に横にいて、ウッディがなにか問題を抱えた時には、彼からアプローチしていって彼の思いを打ち明けて、それがアンディのことであっても部屋のことであっても、それで彼女は彼に役に立つアドバイスをしていたんだ。

And it was interesting to see that, and we realized that all we need is kind of bring her to the surface.
とっても興味深かったし、私たちが必要なのはただ彼女を表面へ持ってきて見せればいいだけなんだって気づいたね。

And so, she is the same character but she’s been through a lot more a life than Woody has ever been through.
だから、彼女はおんなじキャラクターだ。だけど彼女はウッディが経験してきたよりももっと多くのことを経験してきているんだ。

She’s made of porcelain but she’s not afraid to break.
彼女は陶器製だけど壊れることを恐れていない。

And she’s more independent and strong, but she’s the same character.
それに彼女はより自立していて強いけれど、それでもおんなじキャラクターだ。

So we looked at how characters can be independent but also we didn’t want to make a completely new, different character, different Bo, so she’s still same Bo.
だから僕らはたしかにキャラクターをより自立させるにはどうしたらいいか考えたけど、完全に新しい、違うボーを描こうとは思わなかった。ボーはこれまでと同じだよ。

Just a little bit more present.
ただちょっとより存在感が増してるんだ。

 

 

6)4作目を作ろうと考えた最大の理由

JC

Bo Peep.
ボーピープが最大の理由だったね。

At the very beginning of this project, the code name for us internally was “Peep.”
このプロジェクトの発足当初、内部でのコードネームは「ピープ」だったんだ。

That was kind of a seed.
それが「種」だったね。

Where was she? Where she had been? What she’s been doing?
ボーはどこにいたのか?どこへいってたのか?何をしてたのか?

And that was kind of the beginning of the story and it can develop from there.
それこそが物語のはじまりだったし、そこから生まれてきたんだ。

So I say it was kind of a . . .
だからいわば、それが。。。

 

JR

She was the driver.
彼女こそが「ドライバー:原動力」だった

 

JC

The driver for the whole thing.
そう、すべての「ドライバー:原動力」。

 

JR

Toy Story at Pixar is the legacy of the studio.
ピクサーにおいてトイストーリーはスタジオのレガシーだ。

There was a bit of a challenge to this one.
だから今作にはちょっとチャレンジングな部分もあった。

Because, 3 was so good and so beloved.
なにせ、3作目はとっても素晴らしくて、愛されている。

It started to feel like, we love challenges, we love risks.
だからこう思うようになったんだ。僕らは挑戦が好きだし、リスクが大好きだって。

And it almost seemed like a bigger story challenge to prove that.
そしてこれこそ(僕らがリスクや挑戦が好きであることを)証明するのに適した、より大きな物語の挑戦だろうって感じたんだ。

I don’t know but we just get inspired by, that felt worthy.
わからないけど、僕らはそれに刺激されて、そこに価値があると感じたんだ。

Because we love these characters so much, and we wanted to show what would happen after Andy.
だって僕らはこのキャラクターたちがとっても好きで、だから僕らはアンディを離れた後どうなったのかを見せたかったんだ。

What would their world be like?
彼らにとっての世界はどうなるのか?

What would Woody’s purpose turn into?
ウッディの目的はどう変わっていくのか?

What would change it, who would change it? 
何が変えるのか?誰が変えるのか?

Where was Bo?
ボーはどこにいたのか?

All of these questions floated around us.
こういうあらゆる疑問が僕らの中に浮かんできた。

And just felt like... It was just more challenge that really motivated us and the crew.
これこそが僕らや他のクルーのモチベーションになるようなチャレンジだったんだ。

 

おわりに

このインタビューを見ると、クーリー監督たちがどれほど3作目までのストーリーを大事にしながら、さらにその先を私たちオーディエンスに見せようとしていたかが伝わってきます。
同時に彼らが、自分たちのストーリーテラーとしてのプライドをかけてチャレンジした成果物として私たちに提示してきていることも伝わってくるようです。

また、ウッディがフォーキーにある種自分の「身代わり」をさせているという構図や、ボーピープがウッディが経験してきたこと(すなわち私たちが3作目まででみたこと)を超えるような経験をしていることがはっきりと言及されているのも貴重な情報です。

さらに、ボーピープはキャラクターが変わったのではなく、あくまで前面に押し出されただけだということもはっきり言及されています。

 

このことについては私も別の記事

彼女自身の変貌は新しく何かを身につけたのではなく、自身が持っていたものへの見方を変えることで構成されている。(中略) スカートの生地を裏返してマントにする、というのは、もともと彼女が自分の内側に持っていた内面的な強さを外に出したということをビジュアル化していると捉えることができる。

と書きましたが、認識の変化でありキャラクターすなわち人としてのあり方自体の変化ではない、ということが巧妙に表現されていると思っています。

 

また作品のテーマが「transition: 変化」であり、ウッディがアンディからボニーへ手渡された変化と同じかそれ以上の変化を、ボーピープの変化とフォーキーの変化と並列に扱っているということもこれではっきりわかりました。

特に、フォーキーがゴミだったのに突然おもちゃになったという変化は見落としがちです。

フォーキーはゴミからおもちゃになった、というのは当然我々も承知していますが、いまのおもちゃとしての人生があるのと同様に、その前にゴミとしての人生があった(?)という想定もしっかりしなくてはいけないなと思いました。

 

ウッディがいかにフォーキーに自分の価値観を押し付け(?)ているかについては劇中で使われるこの曲「I Can't Let You Throw Yourself Away」の歌詞に非常によく現れています。

ikyosuke.hatenablog.com 

とはいえ、この曲がインストルメンタル版になってエンドロールでも使われていることから、このウッディなりのおもちゃとしてのフィロソフィーは否定されることなく、別の形で生き続け、ボーたちとの活動の根底に流れていることも示されていると考えています。

 

 

フォーキーとボーについてはまだまだ語られていないことが多いので、年末から少なくともアメリカではサービスの始まる「Disney +」で配信されることが決定している「Forky Asks a Question」と「Lamp Life」というフォーキーとボーそれぞれの短編シリーズを観られるようになるのが楽しみです。

 

 

ちなみに、私が書いたトイストーリー4の考察においては、これまでウッディがどのような「transition」を経てきたのかを、トイストーリーという作品の中における「3層のストーリー」の構造というのに着目してまとめてみました。

 

ikyosuke.hatenablog.com

 

 

 

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トイストーリー4考察 <初期設定>と<子どもの作るストーリー>:「役者」としてのおもちゃの「予定調和」からの卒業

はじめに

トイストーリー4は公開以来、色々な評価がされていることは言うまでもないが、私は自分なりにどういう記事にまとめようかずっと悩んでいた。

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Dolly: "Okay, what is it with everyone jumping out the window?"

「これまでのキャラクターたちの登場シーンが少ない」ことも問題視されているが、逆に登場シーンが少ないにも関わらずそこで喋る台詞には意味があるだろう、と考え彼らに注目しながら3回目を鑑賞した時に2つの台詞が引っかかった。

1つは、ミスタープリックルパンツの「I don’t wanna play a baker role. The hat shop owner is what I’m born to play.(パン屋の役はやりたくない。帽子屋さんこそ自分が生まれつき合ってる役だ。)」という台詞。

もうひとつは、ドーリーの「What is it with everyone jumping out the window?(みんな窓から外へ飛び出すけど、いったいなんなの?)」という台詞。

この2つのセリフが、私がずっと考えていた「ウッディにとってのアンディとはなんだったのか?」「なぜウッディにとってアンディが重要だったのか?」という問いに対する答えへのヒントをくれた。

この記事では、それらを踏まえた私なりのトイストーリー4の考察を紹介してみようと思う。

 

端的に言えば…

私がトイストーリー4を、一文で説明するなら、
「『スター役者』として生きていたウッディが、突然舞台裏でのスタンバイを強いられ、『役:role』を与えられなくなり生きる意味を見失うも、『物語:ストーリー』から解放され、現実世界で『自分自身として』生きる選択をする話」
である。

ここでは《初期設定》《子どもの作るストーリー》という2つの観点から、「おもちゃ=役者」という視点を取り入れて分析、考察する。

分析の対象は、トイストーリーの長編4作に、中編の「トイストーリー謎の恐竜ワールド(Toy Story: That Time Forgot)」を加えた5作品。

 

トイストーリーにおける「遊びのシーン」:《子どもの作る物語:ストーリー》において《おもちゃ=役者》

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Andy's Playtime

1作目から3作目には必ずアンディによる遊びのシーンがある。
1作目は冒頭に現実世界のアンディの視点で。
2作目はアンディがキャンプに出かける直前に現実世界のアンディの視点で。
3作目は冒頭にアンディの空想世界の視点で。

3作目の遊びは、1作目と2作目での要素を足して、ボーピープがいなくなり、さらに2作目の最後に合流したジェシー、ブルズアイ、エイリアンズも登場する設定になっていたが、なによりも3作目での新しさは、初めてアンディが頭の中でイメージしている空想上の世界観が再現されたことだ。

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これを見てわかるように、ウッディたちが「アンディにおもちゃとして遊ばれる」ということは、「アンディが作るストーリーの役者である」ということとほぼ同義である。

f:id:ikyosuke203:20190727230405p:plainおもちゃが「役者」であることを強調するのは、3作目で初めて登場するボニーの部屋のおもちゃたちである。彼らは、ボニーの作るストーリーにおける役者だと認識していて、自分たちをその役に当てはめて即興劇をする。中でもミスター・プリックルパンツは初登場シーンから自分の役に「入っている」から邪魔しないでくれなどという台詞すらある。

そして今回4作目では、彼は話のメインパートである、「ロードトリップ」に連れて行かれない数少ないおもちゃのうちの1つのため、登場シーンはボニーが家を出る前の映画のごく最初の部分のみ。

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(参考)ボニーのおもちゃのうち…

  • ロードトリップに連れて行かれるおもちゃ:
    フォーキー、ドーリー、バターカップ、トリクシー

    (元アンディのおもちゃ)ジェシー、ブルズアイ、バズ、ミスター&ミセスポテトヘッド、レックス、スリンキー、ハム、ウッディ
  • 部屋に残されるおもちゃ:
    ミスタープリックルパンツ、エイリアンズ、クローゼットのおもちゃたち

ちなみに、家に残っているおもちゃたちがあまりにも限られているので、ピクサー作品のディスク版リリース時によくある、「本編でメインストーリーの進行中、見えていない場所で何が起こっていたかを描く短編」としてエイリアンズとプリックルパンツの短編が作られているんじゃないか、と予想しています。

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なんといっても、3作目のエンドロールで「ロミジュリ」をやっているこの4人ですからね。。。笑

 

おもちゃが子どもに演じさせられる《role:役割》と、製造時の《設定》

4作目におけるミスター・プリックルパンツは、非常に短い登場シーンにおける数少ないセリフのうちの1つとして次のような発言をする。

「I don’t wanna play a baker role. The hat shop owner is what I’m born to play.(パン屋の役はやりたくない。帽子屋さんこそ自分が生まれつき合ってる役だ。)」と。

プリックルパンツが、役者的に生きていて、演じることに対してこだわりがあることは3作目で強調されていたため、それをなぞる形でのギャグであることは確かだが、それでもわざわざこれをセリフとして加えるからには理由があるはずである。

特にこのシーンは、ウッディが自分自身のいまの役割に満足できないシーンであり、このパン屋の役が不満であるプリックルパンツはその投影であると考えるのが妥当であろう。

ではこの「role:役割」とは何であろうか?
もちろんプリックルパンツが話しているのは「ボニーが遊ぶ際に、空想している世界観」の中での「role:役割」だ。

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しかし、ウッディの場合はどうであろうか?ウッディはいま、ボニーの部屋では「選ばれない」ため、何の役割も与えられていない。

では、アンディの元ではどうだったか?ウッディは必ず「主役」「ヒーロー」で悪者の「ドクター・ポークチョップ」を倒したり「ボーピープ」を助けたりしていた。

このように考えると、いまボニーの家でウッディが不満なのはもちろん「遊ばれていない」ことなのだが、何の「役割も演じられない、与えられない」=「何にもなれない」ということによるのかもしれないと考えられる。

もちろんウッディは何もしなくても「シェリフ・ウッディ」と保安官である。しかしその「シェリフ・保安官」を示すバッジさえ取り上げられて、ジェシーに付け替えられてしまうのだ。ボニーの世界では「シェリフ・保安官」はジェシーになってしまっているのである。

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この「シェリフ」と言う「role:役割」は、プリックルパンツが「パン屋」をやるのとは少し次元が違う話である。なぜならウッディは<も・と・も・と>「シェリフ」として設定されているからだ。
ちょうど、バズ・ライトイヤーが悪の帝王ザーグを倒す「スペースレンジャー」として設定されていたように。

 

これらのことを整理して話をするには、トイストーリーの1作目や2作目での描かれ方を検証する必要がある。

 

トイストーリーにおける三層の「ストーリー」の構造

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トイストーリーという映画においては、基本的に

(層1)アンディやボニーたち人間のいる世界で起きている出来事
:基本的にはトイストーリーという映画の中ではこれがメインに描かれる

(層2)アンディやボニーたち子どもが遊ぶ際に空想する世界の中でのストーリー
:《子どもが作るストーリー》

(層3)おもちゃに対しメーカーに設定されたストーリー
:《初期設定のストーリー》
:「ウッディのラウンドアップ」「スペースレンジャー・バズ・ライトイヤー

3つの層の重なりで構成されていると考えられる。

 

1作目で、バズ・ライトイヤーは(層3)の《初期設定のストーリー》が現実だと思い込み、自分がホンモノの「スペースレンジャー・バズ・ライトイヤー」であると考えていたものの、ウッディとの冒険を通して自分がおもちゃであることを自覚し、受け入れる。おもちゃであることを受け入れる過程で、ウッディが「おもちゃであることの素晴らしさ」を語る。それは次のようなセリフだった。

f:id:ikyosuke203:20190729010257p:plainBeing a toy is a lot better than being a Space Ranger.
(おもちゃであることは、スペースレンジャーであることよりずっと良いんだ。)
*中略*
Look, over in that house is a kid who thinks you are the greatest, and it’s not because you’re a Spac Ranger, pal, it’s because you’re a TOY! You are HIS toy.
(見て、あの家の中には君のことを最高なやつだと思ってる子供がいるんだ。それは君がスペースレンジャーだからじゃない、おもちゃだからだよ!君は彼のおもちゃなんだよ。)

 

2作目では、ウッディの《初期設定》が明かされ、ウッディ自身が再び《子どものおもちゃになる・である》ことを再度選択することになった。

 

《初期設定》とは何か、逆に《子どものおもちゃになる》とはどういうことか?:3作を通して描かれたウッディの考え方

【1】トイストーリー2において「博物館に行く」のではなく「アンディの元に帰る」決断をしたことの意義:<「永遠の命」vs「有限の人生」>ではない観点から

ウッディは自分自身の初期設定は「なぜか」忘れており、2作目でアルに誘拐された先でジェシーたちと出会い初めて知ることになる。
(この理由は結局4作目でも明かされなかったため、今後の短編や中編、あるいは続編で触れられる可能性は十分にあるだろう。なにせ彼が1950年代後半に製造されているならその人生の大半はまだ語られていないのだから。)

自分の「ウッディのラウンドアップ」の一員としての意識と、「博物館で永遠の命を手に入れる」という考えが、アンディの元へ戻ることに対立する誘惑となるも、1作目の時に自分がバズへ説いた「おもちゃは子どもを幸せにして初めて意味がある」という言葉に、ハッとしてアンディの元へ帰る。

 

この2作目におけるウッディの選択は、ストーリーの構成上どうしても「子どもは成長しいつかはおもちゃはいらなくなる」「いつかは捨てられたり、寄付されたりするかもしれないという <有限性の中で生きること> を受け入れたという選択であることが強調されている。そしてそれが3作目への直接的なつながりになる。 

 

参考)
(1)ジェシーの過去を知ったウッディに対してかけるプロスペクターのセリフがこれ。

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PROSPECTOR:
Andys growing up . . . and theres nothing you can do about it.
アンディは成長する…それは君にはどうすることもできない。
Its your choice, Woody.
自分の選択だぞ、ウッディ。
You can go back, or you can stay with us and last forever.
アンディの元へ戻ることもできるし、私たちといれば永遠に生きることができる。
Youll be adored by children for generations.
何世代もの子どもたちに愛されるんだぞ。

 

(2)そしてバズとの会話においては彼の考えがウッディの中に内面化されているのが次の会話でわかる。

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WOODY: Look, the thing is . . . Im a rare Sheriff Woody doll, and these guys are my Roundup gang.
ウッディ:見ろだからな、オレはレアなウッディ保安官人形で、こいつらはオレのラウンドアップの仲間たち。

BUZZ: Woody, youre not a collectors item. Youre a childs plaything. You are a toy!
バズ:ウッディ、君はコレクターアイテムじゃない。子どもの遊びのためのものだ。おもちゃなんだ!

WOODY: For how much longer?
ウッディ:それはいつまで続く?

BUZZ: Somewhere in that pad of stuffing is a toy who taught me . . . lifes only worth living if youre bein loved by a kid. And I traveled all this way to rescue that toy . . . because I believed him.
バズ:いつか詰め物をした奴(ウッディ)が私に教えてくれた。おもちゃの人生はひとりの子どもに愛されている状態になって初めて価値がある、と。そのおもちゃを助けるためにここまで遥々旅して来た、彼を信じていたからだ。

WOODY: I dont have a choice, Buzz. This is my only chance.
ウッディ:オレには選択の余地がないんだ、バズ。これが唯一のチャンスなんだ。

BUZZ: To do what, Woody? Watch kids from behind the glass and never be loved again? Some life.
バズ:なんのチャンスなんだ、ウッディ?子ども達をガラスの向こう側から眺めて、一生愛されないためのか?大した人生だな。

 

(3)これらを経てウッディは決断をする

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WOODY: You're right, Prospector. I can't stop Andy growing up. But I wouldn't miss it for the world.
ウッディ:あんたは正しい、プロスペクター。確かにアンディの成長は止められない。でも、何としてもそれを見逃すわけにいかないんだ。

 

しかし、この決断は単純に「博物館に行く=永遠の命を手に入れる」と「アンディの元へ戻る=有限の人生を受け入れる」というだけではない意味が含まれている。

 

これを解釈するには、ジェシーがどういう状況にあったかを振り返る必要がある。なぜならこの時点でのジェシーは、ウッディの未来シミュレーターでもあるからだ。

ジェシーはエミリーという少女の持ち物で、アンディがウッディを愛したのと同じかそれ以上に大切にされていた。しかしエミリーは成長し次第にジェシーに対する関心を失って行く。ベッドの下に長らく放置された後、エミリーはジェシーをチャリティ行きの不用品として箱に入れて去ってしまう。ジェシーはこのことがトラウマになり、プロスペクターたちと博物館に行ってラウンドアップのシリーズ商品として展示される人生を望んでいたが、それもウッディが揃わないことによって叶わずにいた。長らく倉庫の中に置かれていたことから暗闇対する恐怖心は人一倍強く、トイストーリー3で屋根裏に連れていかれることや、トイストーリーオブテラー、トイストーリー4の冒頭のクローゼットのシーンでもそのことがまだ影響している様子が描かれる。

ジェシーの過去として描かれる、サラ・マクラクランの名曲When She Loved Meにのせられた回想シークエンスは、ウッディの未来のシミュレーションでもあり、それを知った上でもバズを通して自分の声を聞いたウッディは上のような決断をし、ジェシーも一緒にアンディの元へ行くように誘う。その時の口説き文句がこれだ。

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WOODY: Hey, you guys, come with me.
ウッディ:ねえ、君達も、一緒に来いよ。

JESSIE: What?
ジェシー:え?

WOODY: Andy will play with all of us. I know it!
ウッディ:アンディはオレたちみんなと遊んでくれるよ。絶対!

JESSIE: Woody, I-I . . . I don’t know. I . . . 
ジェシー:ウッディ、私、…わからないよ…

WOODY: Wouldn’t you give anything just to have one more day with Emily? Come on, Jessie. This is what it’s all about: To make a child happy.
ウッディ:エミリーともう1日遊べるとしたらなんだってするだろう?おいでよジェシー。これが全てだろう。一人の子どもを幸せにするってことが。

 

ここでウッディはジェシーを説得しているようで、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえます。

一度エミリーの成長によって捨てられたことで、その有限性のある人生に対するトラウマを持ったジェシーを再び有限性のある人生へと誘っていることは、同時に自分がそうなるという有限性を受け入れる覚悟の表明でもあると捉えられるからだ。

しかし、この<永遠の命>と<有限の人生>という対比による誘い文句だけではジェシーがアンディのところへ来るわけではない。これはストーリーの展開上そうなっているだけ、と言われてしまうかもしれないが、映画として描くにあたってこれだけで葛藤を終わらせなかったのには意義があると考えられる。

 

では、「博物館に行く」と「アンディの元へ戻る」という選択肢の<無限性>vs<有限性>ではない意味とはなにか。

それが現れているシーンが2作目のクライマックスに当たる「ジェシー救出シーン」だ。このクライマックスの救出は現実世界で起きていること(層1)と設定されたストーリー(層3)が重なる形で描かれるのがポイントだ。

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空港で、離陸する飛行機に乗せられる荷物からジェシーを救出する際、ウッディとバズはブルズアイに乗ってラゲッジトラックを追跡する。このシーンの背景にかかっている音楽は、ウッディがジェシーたちとアルの部屋で視聴していた「ウッディのラウンドアップ」の番組内でウッディが、爆発する炭鉱に閉じ込められたジェシーとプロスペクターを助けに行く際にブルズアイに乗って走っている時の曲と同じだ。

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ウッディのラウンドアップは、1957年のソ連人工衛星スプートニク」の打ち上げ成功によって、世界の関心が宇宙のことへ移った結果、人気がなくなり番組自体が打ち切りになった。劇中で描かれたウッディがジェシーたちを救出しに行くエピソードは打ち切りになる直前の最後のエピソードだったが、実際助けられたかどうかが明かされる次のエピソードは放送されなかった。

このことが、現実世界(層1)の救出シーンにおいてもジェシーとの会話で言及される。

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WOODY: Jessie, let go of the plane!
ウッディ:ジェシー、飛行機から手を離せ!

JESSIE: What? Are you crazy?
ジェシー:は?ふざけてるの?

WOODY: Just pretend its the final episode of Woodys Roundup.
ウッディ:ちょっと「ウッディのラウンドアップ」の最終エピソードだと思ってやってみるんだ!

JESSIE: But it was canceled! We never saw if you made it!
ジェシー:でもそれはキャンセルになったの!あなたが成功したかどうか見られてないの!

WOODY: Well, then lets find out together!
それなら、どうなったかを一緒に確かめてみようぜ!

 

これがアンディの元へ行くまでの最後の会話となる。逆に言えばここでの会話と行動によってジェシーの心は決まったとも言える。(もちろん、この時納得しようがしまいが手を離さなければそれこそ大惨事なわけだが…そのことは考慮しない)

つまりジェシーに対して一番説得力があったのは

「Well, then let's find out together!(それなら、どうなったかを一緒に確かめてみようぜ)」というセリフ。

彼らの<初期設定>としての「ウッディのラウンドアップ」は放送打ち切りにより結末が示されていない。もちろん子ども向けの番組であるのだから、“ウッディは無事に間に合ってジェシーとプロスペクターは無事に助かりました”、というハッピーエンド、予定調和(established harmony)が訪れるであろうことは誰でも想像できる。

しかし、予定調和は描かれず、ウッディは現実世界で飛行機から飛び降りる決断をする際に、一緒にその結果を確かめよう、というのである。

これはつまり、初期設定として他人に用意されている「ウッディのラウンドアップ」のストーリーに乗るではなく、そこから飛び降りて、現実に直面しようという決断とも取れる。

ではなぜ、ウッディはその現実に直面することを選び、それをジェシーにも進めるのか?それはアンディがいるからだ。

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ではアンディとはなんなのか?

実際、3作目では、プロスペクターが説いていた見通し(英語では prospect)のように、アンディは大人になりおもちゃとは遊ばなくなってしまったことが示される。

しかし冒頭でウッディたちの幸せな日々として描かれるシーンは、アンディのつくるストーリーの中で実際に「生きている」ウッディたちが展開する「<拡張型>西部劇」だ。

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白黒の操り人形と書き割りのセットで描かれていた「ウッディのラウンドアップ」をはるかに超えるフルCGの世界観で展開されるアンディのつくるストーリーには、おもちゃのメーカーが想定したシリーズに関係なく、さらには本来貯金箱であるはずのハムがドクターポークチョップとして登場したり、ゲームセンターの景品のエイリアンが妹の所持しているバービーの車を運転してきたりする。

子どもの想像する世界で展開されるストーリーは、テレビ番組として作られるストーリーよりもずっと創造性に富んでいて面白いし、楽しいし、プロダクションが打ち切られることも、制作費用の制約や、版権の問題も何もない。

だから「アンディが成長することを止められなかったとしても、それを見ずに逃すことはできない」のだ。

実際そこにはウッディと一緒にあの時「ラウンドアップの最終回」として飛行機から飛び降りたジェシーも一緒にアンディの世界での「役者」として「生きて」いる様子が描かれていた。

 

端的に言い換えれば、ウッディは「有限性の中で生きる」という制約を受け入れてでも「子どもの作る物語の中で生きること」を選択したということだ。アンディと一緒にいるというのはそういうことだ。
ラウンドアップ」の一員として展示されていればウッディは、「ラウンドアップの主人公のシェリフ・ウッディ」でしかない。他のなにでもない。

しかしアンディの部屋にいれば、ウッディはウッディでもアンディが想像するどんな役にでもなれる。

 

【2】トイストーリー3においてウッディが「アンディの元に帰る」ことに固執した理由:同時に「ボニーの元へ行く」ことで期待した「予定調和」

ウッディの場合、問題は、そのあとだった。

アンディの部屋にいればアンディが想像するどんな役にでもなれたが、そのアンディが大人になりおもちゃで遊ばなくなった時、何にもなれなくなった。

だから彼は次に「アンディのおもちゃであること」に重きを置いた。そのためあの時点での彼に保育園で生きるという選択肢はあり得なかった。

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それがあの保育園での1人での脱出シーンにも現れているのだと考えられる。もちろんあれは他のおもちゃたちが捨てられたと勘違いしているから、という側面も大きいが、ウッディにとって保育園で生きることはありえなかったのである。仮にチョウチョ組だったとしても。

そんなウッディも、アンディのところに戻っても遊んでもらうことはできないということは自覚している。そんな中、出会ったのがボニー。

ボニーはアンディと同様、おもちゃをいろんな役に見立てて自分で展開する物語の中で遊ぶ子どもだった。前述の通りおもちゃたちは自分たちを「役者」だと思っていた。

だからウッディは、バズやジェシーたちをアンディの家の屋根裏ではなく、ボニーたちの元へ送るように仕込んだし、自分自身もそこへ行く決断をした。その方が「幸せ」だろうと考えたからだ。それは「ボニーならアンディと同じようにおもちゃを役者に見立てて色々なストーリーを展開しながら遊んでくれる」と考えたからだろう。

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これはアンディも同じ視点であると考えていて、アンディが安心してウッディたちをボニーに譲ったのは、ボニーがアンディと同じように物語を作ってその中でおもちゃたちを「役者」として遊んでいたからだということが、その様子を最初に目にした時の彼の微笑んだ描写から読み取ることができる。

また、ボニーがおもちゃを「役者」に見立てておもちゃを遊ぶ人であることの重要性が強調されるのは「トイストーリー・謎の恐竜ワールド(Toy Story That Time Forgot)」でもそうだ。

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ここでは、クリスマスに金持ちの家の子どもにセットで買い与えられたバトルザウルスたちが、1作目のバズのように自分たちを本物のバトルザウルスだと思い込んでいて、一匹だけおもちゃであることを認識しているCleric(「聖職者」という意味の名前:つまりこれは「宗教」のメタファーだろう、ピクサーにしても攻めたものだ)が、それ以外のおもちゃたちを恐竜だと思い込ませたまま支配している世界が描かれた。そこでボニーのおもちゃである恐竜のトリクシーが、仲良くなったレプティラス・マキシマスに自分がおもちゃであることを自覚させると同時に、「おもちゃであることがどれだけ素晴らしいことか」を説くという、1作目でウッディがバズにやったことと同じことを繰り返す。

この時トリクシーが、自分のことを「恐竜」として遊んでくれないボニーに対して不満を抱いていたにも関わらず、おもちゃであることを認識させるために彼を説く過程で、自分がボニーの想像によって何にでもなれるということの素晴らしさに気づいていく様子がシリーズとしてはパロディ的に描かれていく。

トリクシーがアンディからの貰い物ではなく、もとからボニーのおもちゃだったことは、ボニーがアンディと同様におもちゃたちがその喜びを自覚するくらいに愛し、その遊び方で遊んでいるということがはっきり示されたと言って構わないだろう。

 

【3】トイストーリー4:「予定調和」が崩れた時、「心の声」に気づく

しかし問題は、ウッディが想定していた、ボニーなら自分たちみんなと遊んでくれるだろうという予定調和が現実にならなかったことだ。

この予定調和は、ウッディの想定していた「予定調和」であると同時に、我々観客やおそらく製作したピクサー側も想定していた「予定調和」であると考えられる。この「予定調和」が破られた前提で物語がスタートし、さらにシリーズとしての「予定調和」を崩しに行くのだから受け入れられない人が出るのは当然かもしれない。

 

ここが4作目の冒頭で提示されるウッディ・ネグレクト問題。

ウッディにとって遊んでもらうとはある意味役者のプリンシパルになること。スタンバイではダメなのだ。しかも今まではずっとスターで主役を張っていた。

ウッディにとっては他のおもちゃたちと違って、単純に遊んでもらえないという意味だけではない。彼の場合、役者として「ショー」に出られないなら、物語の中での役割をもらえないなら、生きている意味が見出せない、という状況になっていたのだ。

ウッディの視点では「ラウンドアップのショーのスターとして生きる」こともできたが、その代わりに、「アンディ劇場のスター」として生きる選択をしたが、「ボニー劇場では舞台裏でスタンバイ」のような立場になっているという認識だと考えられる。

これがアンディに固執した、言い換えれば「役者」として生きることに全てを懸けてきたウッディの成れの果てである。誰かに「役:role」を与えてもらわないと生きられなくなってしまっていたのだ。

 

空想の世界(層2)での「役:role」を与えてもらえなくなったウッディは、ボニーを助けるという現実世界(層1)での役割を見出だそうとするもドーリーに止められる。しかしウッディは「それしかすることがない」のでルールを破ってリュックに入って行き、リスクを冒してボニーを助ける。そこで生まれたのが「フォーキー」。

これ以降は「フォーキーが自分からゴミに戻っていかないようにする」ということがウッディの新たな「役:role」になっていく。

そしてウッディが言うには「自分の中の小さな声がこれ(フォーキーを助ける役割)を投げ出したらダメだと言っている」と言うのだ。

そして、この直後にフォーキーが「自由になるため」に窓から飛び出し、それを追いかけてウッディも窓から飛び出す。

日本語では「心の声」と訳されているこのinnner voiceが意味するところはなんなのだろうか。

ここからはこれを検証していく。

 

《窓から飛び出す》とは何か

【1】ボー・ピープは「ショー・"ウィンドウ"」から飛び出した

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この記事の冒頭で、私に気づきを与えた2つのセリフのうちの一つとして、ドーリーの「What is it with everyone jumping out the window?(みんな窓から外へ飛び出すけど、いったいなんなの?)」を挙げた。

これはもちろん、フォーキーが窓から飛び出し、追いかけてウッディが飛び出し、そしてバズまでもウッディたちを探しにいくために飛び出したことについて、半分呆れながらしている発言だ。しかし、わざわざ窓から飛び出すことについて言及している意味はなんだろうか。

Twitterのフォロワーさんの一人 @10Ru_a_tnk さんがこのようなツイートをしていた。

窓から飛び出したおもちゃたちのうち、ウッディ以外は帰って来ることを指摘し、ウッディがフォーキーの言ったように「freedom」になった、という観察だ。

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窓から飛び出す、という言葉に着目して映画をもう一度鑑賞した時、冒頭のRC救出シーンも窓からウッディがスリンキーに乗って飛び降りる。しかし窓から中に入ろうとした時、アンディのママがきて閉められてしまう。

その時、ボー・ピープは箱に入れられ別の持ち主の元へ連れていかれてしまうことに気づいたウッディは、窓から戻らず、車の下に置かれたボーの入った箱へ向かう。

このときウッディは、次の持ち主の元へ行くことを受け入れているボーに一緒に来ることを誘われる。これは明言されていないが、ボーピープは「子どもは日常的におもちゃを失くす。時には庭におき忘れたり、時には入れる箱を間違えたり…」と言い、自分のとなりに空間があることを手で示す。ビリー、ゴート、グラフも後ずさりし空間を作る。ウッディは「その箱はどこかへ持っていかれる」と言って、ボーの提案を理解し、受け入れ、実際に箱に入ろうとフチへ手をかけるが、その瞬間アンディがウッディがいなくなったことに気づいて外へ探しに出て来る。

ウッディはこの時、一緒に箱に入っていれば、ボーと同じように早いうちに「freedom」になれたかもしれなかったが、それは選ばなかった。結局この時はアンディが探しに来てくれて、中に戻ることになった。これが冒頭で描かれたことだ。「窓から出て行き自由になれたかもしれなかった」エピソードと言える。

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時系列的に、次に窓から飛び出したのは実のところ、ボーであると考えられる。

ボーが窓から飛び出したシーンは映画の中では描かれないが、ボーのランプはアンティークショップの通りに面したショーウィンドウに置かれていた。

あのアンティークショップの店主マーガレットばあちゃんは全然在庫管理ができていないので、おそらくボーのランプはずっとあの場所に置いたまんまであろうから、ボーが2、3年あのアンティークショップにいたときからずっとあそこにあったと考えられる。

通りに面したショーウィンドウに飾られていたボーは何を見ていただろうか。あの街にも子どもたちは住んでいたようだから、きっと「子どもたちをガラス越しに見て、誰かに愛されることなく」、「埃をかぶり続けていた(4作目のボーの台詞より)」と考えられる。

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「子どもたちをガラス越しにみて、誰かに愛されることなく(2作目のバズの台詞)」過ごしていたかもしれないのは、博物館に行っていた場合のウッディであり、「埃をかぶり続けていた」のはジェシーである。

ボーはウッディが体験したかもしれない両方の体験を同時にしていたのだと考えられる。あるいはアンティークショップにたどり着くまでにもっと悲惨な体験をしていたのかもしれない。私たちには見せられていないが。

この辺りについては今年末にアメリカでローンチされる配信サービス「Disney+」のスピンオフシリーズ「Lamp Life」としてボーピープの4作目の回想シーンから再登場シーンまでの間の人生を描く作品が公開されることがアナウンスされているのでそこで明かされるかもしれない。

 

【2】ボーは2つの意味で「free」になった

 とにかくボーは、待っているだけの人生には耐えられず、「jumping out the window」して、フォーキーがそれを目指したように確かに「freedom」になったのだ。

しかしボーの場合の「freedom」は「おもちゃとして遊ばれること」を捨てたのではない。

この点については、4作目の劇中でボーが遊ばれているのはウッディと再会するあの一瞬だけ、おそらく30秒以下であるため、ボーが遊ばれている人生であることはほとんど強調されないのでわかりづらい。しかし、ボーは「特定の子どもの持ち物」として生きることをやめただけで、「遊ばれること」はやめていないし、むしろ「遊ばれ続けるため」にいつ壊れてもいいように準備したり、長距離人に気付かれずに移動するための手段を備えていたりしているのだ。

ウッディが最後にあの選択をした後、「子どもに遊ばれない人生」を送っているのではなく、むしろ不特定多数の子どもに遊ばれまくっているということも同時に示している。

では先ほどまで論じていた「子どもの作るストーリーの中で生きる」話とどのようにこれが関係するのか?

「ウッディのラウンドアップ」の世界で生きることではなく、アンディのつくるストーリーの中で生きることを選択したウッディは、アンディの元にいる限り、アンディの世界の中である程度一貫したストーリーが組み立てられその中で「役者」を演じ続けることができた。しかし不特定多数の子どもと遊ぶということは、いろんなストーリーの中に身を置くことを意味する。

このようにまずは、一人の子どものおもちゃとして生きる=一つのストーリーの中だけで生きることから「自由」になった。

もう一つの意味での「自由」は、文字通りどこへでもいけるし、おもちゃとして遊ばれる以外にも一人の個人として生きられるという意味でだ。これについてはまた後ほど触れる。

 

《初期設定》が生じさせる「生きづらさ」を抱えるアンティークトイたちが解放される時:デュークが決めたジャンプの意味

そんなボーに助けられフォーキー救出に当たるウッディだが、その過程でいろいろな<初期設定のストーリー>に縛られ生きづらさを抱えているおもちゃたちに出会うことになる。

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デューク・カブーンは、「コマーシャル」のようにジャンプを決められなかったせいで開封直後に持ち主に捨てられ、今でもそのことがトラウマになり自分自身に自信が持てないでいる。

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ギャビーギャビーは、製造時から紐を引いて声を出すプルストリングのボイスボックスに製造欠陥があり、うまく声を出せない。そのためおそらく製造された後今まで60年間ずっと毎日自分の <設定> の描かれた絵本を繰り返し読み、ボイスボックスさえ手に入ればその絵本に描かれている通り、子どもに愛されると思っている。
そして今いるアンティーク店の店主マーガレットの孫であるハーモニーに愛されるはずだと思って毎日化粧をし、絵本に書いてある通りのティータイムごっこの練習をしている。それが「予定調和」だと思って疑わないからである。

ちなみに「予定調和」は英語で「Established Harmony:作り上げられたハーモニー(調和)」だ。『ハーモニーのものになる』とはまさにギャビーが作り上げた予定調和なのだ。私がこれまで「予定調和」を強調して来たのはここに通ずるからだ。

それぞれ、自分が生まれる前に製造する側の人間によって作られた設定に縛られているからこそ、現在の自分の在り方に納得できず、生きづらさを抱えていると言える。

 

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ではデュークカブーンが最後に観覧車からのジャンプをすることはどういう意味があるのだろうか。

あのジャンプは、過去の<設定>や、それによって生じたトラウマを克服できさえすれば、ボーの言葉で言えば「今の自分になれる」。そうすれば、今まで自分にできるはずがないと思っていたことさえできるようになるということである。

過去に縛られ、自分が期待していた予定調和に裏切られたことに傷ついている、ウッディやギャビーの目の前で、飛べないから生きる意味がないと思っていたカブーンが飛ぶことで、彼らに勇気を与えることになる。

だからこそ、ギャビーはそれまで一度もやったことがなかったまだ一ミリも知らない見つけたばかりの迷子の子どもの助けになる、という役割を自ら見出し、挑戦するし、

デュークに勇気づけられてチャレンジしたギャビーを見たウッディは、さらにバズの後押しに助けられ、新たな人生を踏み出すことになる。

 

必要なものは全て自分の内にある・加えて必要なのは「認識の変化」と「状況に応じた条件の調整」

ここで重要なのは、カブーンはこのジャンプを今までできないと思っていただけで、今までもできたかもしれないということ。カブーンがトラウマになっている「コマーシャルのようにジャンプができなかったせいでリジャーンに捨てられた」というのは、リジャーンが十分にカブーンが飛べるような助走をつけていなかったことや、ジャンプ台の角度や長さの設定など様々な要因の結果である。リジャーンが捨てたということは変わらないが、カブーン自体の「物理的な身体能力」が変わったわけではない。カブーンの認識が変わり、また条件を変えたことで、観覧車からの大ジャンプを決められたのだ。

これはちょうど、ボー・ピープ自身の変貌とも連動している。

 

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【1】ボー・ピープの「変貌」は認識の変化の表れ 

発表当初話題になった「ボー・ピープ」の大変貌。ドレスを脱いでパンツ姿になった新しい衣装は、「昨今のアクティヴ・ヒロインの再生産か。これだからフェミニストは。」という否定的な意見が飛び交ったのは記憶に新しい。

しかし、彼女自身の変貌は新しく何かを身につけたのではなく、自身が持っていたものへの見方を変えることで構成されている。

 

この方のツイートにもあるように、スカートの生地を裏返してマントにする、というのは、もともと彼女が自分の内側に持っていた内面的な強さを外に出したということをビジュアル化していると捉えることができる。

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また、本編をしっかり見てみれば、「Ralph Breaks the Internet(シュガー・ラッシュ:オンライン)」でドレスを脱いで部屋着姿がデフォルトになったプリンセスたちとは異なり、ボーはシーンに応じて衣装を変え続けている。スカートのシーンもあれば、マントにしているシーンもあるし、身軽に何も身につけない時もある。

私が参加できたピクサーのひみつ展での特別イベントに講演しにきたピクサーのキャラクター・テーラリング・シミュレーション(衣装についての技術的な調整をする仕事)を担当する小西園子さんによれば、トイストーリーシリーズで一作品のなかでこれほど着替えるキャラクターは今までいなかったとか。

ボー・ピープがこれまで冒険に出なかったのは、製作者側が「彼女が陶器であり割れてしまう可能性があるからできない」のだと考えていたということすらまことしやかに言われているが、その製作者側の認識すら彼女は覆してしまう。
単純な話だが「割れたらテープで止めてくっつければいい」という認識が4作目で端的に示されていた。

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トイストーリーで手が取れるのは、ジンクスだが、1回目にバズの手が取れた時ボーは、真っ青になって叫んでいる。2作目でウッディの腕が完全に取れたのはアルの部屋でだったためボーは見ていないが、1作目の叫ぶシーンと4作目でのボーの腕が取れた時の反応を比べると、その変化は顕著である。手が取れたことを本気で怖がるウッディをボーは笑い飛ばすのだから。

 

【2】ウッディの「予定調和」に対する認識の変化

ウッディに着目すると、ジェシーをアンディの元へ再アドプトするなど、4作目の最後に始める人生に近いことはもともとしていた。実際4作目の中においても、ダッキーとバニーにボニーの元へ連れて行くことを約束したり、ギャビーギャビーヘボニーの元へ行くことを提案するなど、徐々におもちゃを子どもにマッチングさせることをし始める。

しかし、ジェシーをアンディの元へ連れていった時と、ギャビーギャビーをボニーの元へ向けて連れて行こうとした時には決定的に違う点がある。

 

実際会話のシチュエーションは非常に似せて作られており、シリーズを超えて対比しようとしている意図は明らかである。

 

(1)ジェシーへの口説き

JESSIE: But what if Andy doesn’t like me?
ジェシー:もしアンディに好かれなかったらどうしよう?

WOODY: Nonsense! Andy’ll love you!
ウッディ:そんなバカな!アンディは君のこと気に入るよ!

 

(2)ギャビーへの口説き

GABBY GABBY: But what if you’re wrong?
ギャビーギャビー:でももしあなたが間違ってたら?(ボニーに気に入られなかったら?)

WOODY: Well, if you sit on a shelf the rest of your life . . . you'll never find out, will you?
それでも、これから一生棚の上に座っていたら…それを確かめることすらできないんじゃない?

 

決定的に違うのは、(1)では妄信的にアンディがジェシーのことを愛すると信じ込んでいてそれが前提でジェシーを説得しているのに対し、(2)ではボニーがギャビーのことを気にいるかどうかはわからないけど、それでも行動して見なきゃ何も変わらないということを認識した上で説得しているということ。

そして後者の考え方は4作目の冒険を通してボーからインストールされたウッディにとっては新しい考え方だ。この「棚の上に座ってたら何も変わらない」というのはボーの言葉の引用である。

 

先に確認したジェシーの説得がそうであったように、このギャビーの説得も、ギャビーに向けているようでウッディが自分自身に言い聞かせていることと捉えることができると考えると、これはウッディ自身が『予定調和』(=「Established Harmony」=「ウッディにとってのハーモニー:すなわちアンディ)がない世界において生きて行くことを決意したことの現れと捉えられる。

だからこの次の瞬間ボー・ピープが助けに帰って来てくれて、「He's right」と言うのだ。あれはウッディがアンディから卒業した、つまりウッディが「予定調和」を前提とした認識を捨てた瞬間なのだ。

 

「棚の上に座り続ける」か「窓から飛び出す」か:それぞれの「ストーリー:予定調和」からの解放

そしてこの「Sit on a shelf the rest of your life」と対比される表現が先に見た「Jumping out of the window」だと考えられる。

ギャビーギャビーは、ボーと違って通りに面したショーウィンドウではなかったが、ガラス張りの飾り棚に居場所があったことは映画の中で描写されており、この説得ののちにアンティークショップを出ていったことからも、ギャビーが「窓の外へ飛び出した」描写になっていることが確認できる。

 

ギャビーギャビーはこの時、あのずっと繰り返し読んでいた「絵本」は持っていかない。
同様にデュークカブーンも、「ランチャー」は棚の上に置いて来たままだ。そのため観覧車からのジャンプの際には台座の代わりに、ダッキーとバニーが後輪のゼンマイを回して準備している様子が描かれた。
もちろんボーピープのランプはショーウィンドウの中に置きっぱなしだ。

このように、ギャビーは絵本を、カブーンはランチャーを、ボーはランプを、それぞれ全てあのアンティークショップの中に置いてきた。

これが意味するところは、それぞれが自分に<設定されたストーリー>から解放されたということだ。だからデュークは観覧車からのジャンプを成功させられたし、ギャビーは迷子を助けに行くことができた。

ギャビーギャビーがボニーと出会う予定だった場所であるメリーゴーランドへ向かう直前、迷子の女の子の存在に気づいだシーンで背景に写っている光り輝く看板は「Take a Chance」。おそらく宝くじの屋台か何かなのだろうが、まさに文字通り自分からチャンスを掴みに行く瞬間であることを無言のうちにはっきり示してくれている。

ウッディはボイスボックスを譲ったことで、そしてバズに「ボニーは大丈夫だ」と言われたことで、そしてジェシーにバッジを譲ったことで、アンディがウッディに設定した「ずっと君のそばにいてくれる」という3作目の最後でボニーに語りかけた「ストーリー」から解放され「freedom」になったのだ。

そしてウッディは、不特定多数の子どもたちに遊ばれる:不特定多数の「ストーリー」の中で生きながら、さらに自分で自分に与えた「他のおもちゃを助ける」という役割を担いながら「個人として」生きている。

 

今までは、1作目のバズや2作目のウッディで示されたように<初期設定のストーリー>から解放されて、<ひとりの子どもの作るストーリー>の中で生きることが幸せだとされてきたが、ボーピープが出てきたことで、さらにそこから一歩進めて、特定の子どもの「ストーリー」自体からも解放され、いろんな「ストーリー」の中に身を置くことで、そして誰かから与えられる「役割」を演じるのではなく自分自身で「役割」を定義して行くことによって無限の可能性を試していけるということになった。

 

「ストーリー」から解放されねばならない理由は、どのストーリーにも「予定調和:established harmony」が想定されているからだ。
ストーリーから解放されるということは、他人から「役:role」を与えられなくなるということ、また「予定調和を迎えようとすること、迎えるだろうと想定すること」から解放されることであり、そのためには自らアクションを起こし外界へ出て行く、「窓から飛び出す:jumping out the window」するしかないのである。そうしなければ チャンスにすら気付けない。そしてその上で自分から 「チャンスを掴み:take a chance」に行かねばならない。たとえそれが上手く行く保証がなくても。

 

ダッキーが炎を吹きとバニーが目からレーザーを出せるのはなぜか?:誰でも「To Infinity and Beyond」無限の彼方へ向かえる

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ダッキーとバニーは、4作目で登場する新キャラのうち唯一アンティークトイでないおもちゃたちだ。彼らは射的の景品として3年間同じ屋台につられていたらしいが、射的の景品という安物であるため、パッケージもなければ、<初期設定のストーリー>もない。また子どもに遊ばれたことがないので、<誰かのストーリー>の中に置かれたことすらない。

だから彼らは、自分で<設定>を与え<ストーリー>を作り出せるのだ。

空想・妄想シーンがフルCGで再現される(もともとフルCGのアニメーションなので、このように書くのも変な話なのだが笑)のは、3作目の冒頭のアンディの空想する世界でのストーリーのシーンと、4作目でダッキーとバニーがアンティークショップの店主マーガレットを襲う妄想シーンと、射的屋に対する復讐を妄想するシーンだけだ。(※この点についての訂正を下に赤字で追記)
映画で示されている限りで言えば、彼らはアンディの他で唯一フルCGでの妄想ができるペアなのだ。

彼らを縛るストーリーは何もない。
だから彼らは自分の想像に従って、どんな「役:role」だって演じられる。

それは誰でも一緒で、自分自身が身を置く「ストーリー」から解放されさえすれば、自分が想像できるものには何にでもなれる、というメッセージでもある。

だからウッディはいまようやく、本当に to infinity and beyond 無限の彼方へ向かう準備が整ったのだ。

 


ちょうど2万字を超えたようです。長い記事になりましたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。 

 

 

※ 追記(2019/08/04時点)

Twitterで @PixarWorld_net さんからご指摘をいただきました。

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こちらの方のおっしゃる通り、「Party Saurus Rex(レックスはお風呂の王様)」においてボニーはお風呂で遊んでいるときに展開する妄想ストーリーがアンディのそれと同様に再現されていました。 そして、このシーンこそが「唯一ボニーの妄想ストーリーが展開される瞬間」でした。つまりこのシーンはボニーがアンディ同様のイマジネーションでおもちゃたちと遊んでいることを表現のスタイルで記号的に象徴している唯一のシーンと捉えることもできそうです。シリーズを通しながらの分析といいつつ、大事な点を見落としていたことに気づかせていただきありがとうございました!

どちらにしろ、このような妄想は人間の子どもだけがするもので、おもちゃたちがそれを自分でしているわけではないという点は変わらないため上記の分析にさほど大きな影響はもたらしません。おもちゃの中でそれをするのはダッキーとバニーだけです。

 

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